□第零夜 原色のイヴ
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0-4 火種の旋律(1/1)

 
 それは、十月の始めのことだった。

 ほんの一月前の炎天が嘘のように涼しげな夕方。昼はまだ少し残暑が続くけれど、日が落ちると僅かに肌寒くさえある、そんな秋と夏の境目。少女が制服の上に着込んでいるベージュ色のセーターも昼間はバッグに仕舞っていたもの。この時間帯でも少々厚着ではあるのだけれど。

「ヒナちゃん、大丈夫?」

 そう問われて、少女は頭を押さえながらも頷いてみせた。

「ここのところずっとね。やっぱりお医者様に診ていただく?」
「平気よ、お姉ちゃん」

 頬に手を当て首を傾げる姉に、少女は「大袈裟ね」と首を振る。具合はそう悪くない。ただここしばらくたまに頭痛がするだけ。少し痛いなという、その程度。

「そう? でも、今日はもういいから、先に帰って少し横になってなさい。ね?」
「うん……そうしようかな。けど、お姉ちゃんこそ大丈夫?」
「もう、お姉ちゃんだってお買い物くらい一人でできます。だから、ほら」

 ぽん、と肩を叩いて笑う姉に、思わず口をへの字に曲げる。重い荷物を一人で大変ね、という意味ではない。世間知らずなこの姉の危なっかしさは自分が誰よりよく知っている。今年で十八になる大学生とはいえだ。後ろ髪を引かれる思いで振り返り、

「真っ直ぐ帰って来てね。知らない人には着いて行っちゃ駄目だからね」

 なんて、幼子に言い聞かせるような物言いは冗談でも皮肉でもない。人の疑い方を知らないあなたにはこれくらいがちょうどいいのですと、真顔の少女に姉は「子供じゃないのよ」と頬を膨らませる。そんな姉に少女は小さな溜息を零して、互いに無言で見詰め合うことしばらく。思わずくすりと笑い合う。

「はいはい。それでは精一杯気をつけます。ヒナちゃんも寄り道しちゃ駄目よ」

 そう、笑顔で手を振る姉に手を振り返して、少女は帰路につく。

 閑静な住宅街を一人歩く。どこからか夕餉のいい匂いが香る。火点し頃に伸びる影法師をとんと踏み、ふと黄昏の空を仰ぐ。
 ちょうど、そんな時だった。

 不意に針のような痛みが頭を衝く。また頭痛……いや、何かが違う。何か、何かが聞こえる。どこ、から?

 手繰るように探る。
 そうして――そうして少女は見付けてしまう。出逢ってしまうのだ。それがすべての始まり。長い長い寄り道の。姉の言い付けは、守れそうになかった。

 悪夢の夜が今、始まるのだ。
 

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