Novel
□「ソンザイ」
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「こんにちはー」
また来た。今日はよく人が訪ねてくるな。厄日かな…。
「お、その髪どないしたんや?」
「あれ?本当だ。短くなってる」
彼女の自慢である灰色の髪はロングからショートになっている。長いほうが好みだけど、似合ってるし、個人の自由だから何でも良いんだけど。
しかし、よく見ると彼女の顔からは不機嫌さが窺える。
「切られたのよ」
声が腹の底に響いてくる。こんな声、何処から出ているのかと思うくらい低い。
どうやら相当怒っているらしい。女の恨みは怖いからな、切った奴は血祭りにあげられたんだろうな。
「仕事で失敗したんやなぁ。一部では名前を知らない奴はいないと言われるほどの有名人『ロリハッカ』の名を持つお嬢さんがねー」
おもしろそうに笑う自称関西人。俺としては関西弁をしゃべるバカで変な人。こういう奴がいるから世の中がややこしくなるんだ。
「その名でもう一度私を呼んだら、お前に未来は無いぞ。エセ関西人」
ほら。女を怒らせると恐いんだぞ。
何時だったかな。いきなり「俺のキャラはこれや!」とか
言って関西弁を始めたんだよね。
彼女は自称関西人の相手を止め、俺の方を向いた。
「ねぇ、髪を伸ばしてくれないかしら?」
願い――彼女の願い。
「対価を貰うよ」
対価――彼女の対価。
「勿論よ。何がいいのかしら?」
髪を伸ばすくらいなら大きな対価は要らない。かと言って、時軸を曲げるのだから簡単なものでは済まされない。
だったら…。
「あなたの名前を教えて下さい」
情報屋であり、『ロリータ・ハッカー』の名を持つ彼女の名前ならば同等の対価と言えるだろう。絶対に素性を現さない彼女だからこその、対価。
しかし、ただ髪を伸ばすくらいで名乗るかな。
「いいわよ」
あっさり許可してくれた。髪は女の命というけど、ここまで簡単にされるとなんか意味がありそうとか考えちゃうな。
「おぉ!!あの『ロリハッカ』の素顔が明らかに〜」
自称関西人が口を挟む。
いい加減にすれば良いのに。ほら、彼女の目線が鋭くなってきた。
しかし、そこは大人。横目で見ながら一呼吸をおき、対価を払う。澄んだ声と澄んだ瞳。平然と口を開く。
「そこのエセ関西人の名前は“コウヤ”。職業はナシ。あ、果物じゃないわよ」
例え果物だったとしても誰も食べないだろう。勧められても、食べないと死ぬと言われても食べたくない。
「なんで俺の名前を言うんや!」
「ま、対価であることに変わりは無いから良いんじゃないかな」
そーゆー問題やない!んな適当に対価決めてたんか――と突っ込まれた。別にそういう訳では無いんだけどな。
「ほら。払ったんだから早く叶えてちょうだいな」
急かすように俺の手を取る。上目遣いのせいか、可愛く見える。老人なのに…。老婆なのに。
「えっと、髪を伸ばすには…」
ゆっくりと左手を挙げ、クラップフィンガーをする。爽快なくらいいい音と同時に彼女の髪がみるみる伸びた。
「あら?コレだけなの?」
セミロングより、少し長いって感じで止まった。
首を傾げることで肩から綺麗な灰色の髪が落ちる。やっぱり可愛い。多分、清少納言著の「うつくしきもの」に載るだろう。
「俺の名前だからか?そないに俺の名前は価値がないんか?!」
うるさい。そんなに叫ぶ事ではないだろ。
自称関西人の名前だから、で答えは当たっているんだろうけど。
「いいじゃない。名前があるってことは、存在があるってことだろう」
名前があるから存在がある。
存在があるから名前がある。
「でも、俺らの場合は……」
言葉に詰まるコウヤ。何も話さない彼女。
続きを言う俺。
「誰かが思わなければ存在しない」
誰かがいる。
人がいる。
願いを持つ人が、いる。
願いがある。
だから――存在する。
「俺たちはそういうモノだから」
それ以上でも、それ以下でもない。俺たちはとても表しにくい存在。とても、不確定な存在。
「ねぇ、私の名前は?」
やっと口を開いた彼女の質問には不安があった。俯いているから表情はわからないけれど、そこには不安があった。彼女なりの、彼女だからこその、不安があった。
「名乗っとらんのにわかるわけないやろ〜」
明るい調子で言う。
まったく。コウヤの言うことも当たり前だけど、もう少し空気を読んで欲しいな。
彼女の目が俺に向けられる。潤んだ目が可愛い。…やっぱり今日は厄日だな。
僕はため息を一つしてから、ソファーに寝転がる。
さて、これは〔願い〕に入るのかな。
「コウヤもルキも、そろそろ帰ったら?」