はなし

□ポチがポチ
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道端に倒れていたそれが、雨に濡れているのがあまりに可哀想で拾って帰った。ガリガリで意識もあやふやで体が冷えきっていて、それでも尖ったような気配を漂わせていたそれが尚更哀れで、一人暮らしの手には余るだろうことも帰ったらお風呂に入ってゆっくり寝ることだけを考えていたことも放り出してそれを拾った。今思えば救急車を呼ぶなり近くのコンビニにでも知らせれば良かったと思うのだが、その時は疲れていたのだ。拾わないと、と思ってしまったのだから仕方がない。睡眠不足と酔っぱらいは同じ思考回路になるとかいうあれだ、きっと。

ゆっくり寝てからいつもより遅く起き上がり、居間に転がるそれを見て、頭を抱えた。
人間を拾うのは流石にどうかと思う、うん、昨夜の私はおかしかった。

「………」
「……おい」
「………」
「……ポチ」
「あ?」
「あなたのことはポチと呼ばせていただきます」

寝癖を手で撫でつけつつ、リビングで寝ていた彼にそう告げる。やはりガリガリで捨て犬のような容貌だ。乾いた髪が癖なのかピンと上に跳ねているのも耳のように見えなくもない。
自分のネーミングに満足しながらひとり頷いていれば、当然のようにガリガリの彼はものすごく不満そうな顔をしている。すごく分かる。私何言ってんだ。
なんとなく、こうして起き上がって意識のしっかりしたらしい彼はもんやりと力尽きたかのような感じである。ポチと命名したことに不満はありそうだけれども、反論するだけの元気はないらしい。これは押せば何とかなるような気がする。何とかとはまあ、あれだ、一人暮らしの女性的な優位性についてである。
リビングを占領するように置かれた座椅子をベッドにしていたらしい彼は今のところ敵意もなさそうなので、とりあえずは洗面所へ行って顔を洗う。すっぴんを男性に見られたとかそんなことを考える余裕が出てきたことを感じつつ、ポチは朝食を食べる派だろうかと冷蔵庫の中身を思い出す。私は食べなくても平気だがあのガリガリはいただけない。

「すみません、朝ごはんは食べる派ですか?ご飯?パン?グラノーラならすぐ出せますけど」
「いらねえよ。つうかなんだグラノーラって」
「気になっちゃいますか、じゃあ出しますね」

ドッグフードを彷彿とさせる穀物を皿にあけつつ、携帯でニュースを確認する。どうやら通学に使っている路線は無事のようだし学校も存在しているようだ。遅刻を気にして動いていたのに「怪人が現れました」の一言で予定がごりっと変わってしまうのだから嫌な世の中である。
ヨーグルトをグラノーラの上に落としてからテーブルの小物を押しのけつつ置き、着替えるため寝室に引っ込む。寝室のある部屋を選んだ自分を褒め称えながらリビングに戻ればガリガリくん改めポチは皿を睨むばかりであった。

「食べないんですか?」
「んなよく分かんねえもん、分かんねえ奴に出されて食えるかよ」
「毒なんてうちにありませんよ。ヨーグルトの賞味期限は明日ですけど」
「……ここどこだよ」
「えーと、Q区の私のアパートです。親戚の方が大家なのでこんなんでも広めに住めてます。ちなみに駅まで徒歩十五分」
「なんで俺を拾った」
「さあ」

それは私も知りたいところだ。まあ、寂しいとか疲れてたとかなものでポチの今の重々しい顔に似合うようなものでは決してないだろう。
ドッグフードの如しグラノーラに手をつけず、こちらを睨む様子はまさに拾ったばかりの野良犬のようだ。持ち物もないようだし私には計り知れない訳ありとお見受けする。ならば私は詳細を訊かなくてもいいし訊くべきでもないだろうと思ったので、ともかくは目下の問題は遅刻である。

「すみません、もう学校に行かないとやばいので皿はそこに置いててください、あ、水を張っていただけると大変有難いです」
「は、いや俺は」
「帰られるなら鍵の心配しなくてもいいですよ。大家さん適当に掛けてくれますし」
「いや知らない男をひとりにして、いいのか。何するか分かんねえぞ」
「一晩無事でしたし、ポチですし」

メイクを最高記録と見紛うほどのタイムで終わらせ、時計を見ればいつも乗る電車まであと十五分。急いで靴に足を突っ込み普段言わない「行ってきます」を半ば叫びつつ家を出た。
結局彼が何者なのかも何も分からなかったけれども、一晩限りで彼が消えるのならそれで丁度いいだろうと開き直る。走りながらだからか少々投げやりな思考かもしれないけれども、明らかに普段と違う出来事に浮かれているのもあるだろう。まるでドラマのようで楽しい。拾ったのはガリガリでぼろぼろの男というのがセオリー通りではないけれど。いや、ハードボイルドならありだろうか。
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