はなし

□ノーマルエンドの幸せ
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↓おまけ



別に、幸せになりたいとかしてやろうとか、そういう前向きな動機でこうなった訳では無いので、そこそこのダメージで済んではいるのだ。シングルベッドよりも二周りは小さいソファで寝返りを打ちながら、滔々と考える。
ボロなんて出ないように師匠とか霊幻さんと呼ばせていたし、触れ合うことだって最小限を心掛けた。まあモブが若いもので、たまに空気を読まずに不自然なほど近いことはちょくちょくあったけれど許容範囲だろう。学生がノリでする程度だ。
モブの両親の言葉だって親としてまっとうなものばかりで、変化球とか俺への直接的な言葉は無かったものだから予測の域を出ていない。いちゃもんをつける客とそう変わりない。
平気だ。覚悟していただけの話だ。いつか来るはずだったものが来ただけだった。
そのはずなのに、だいぶ、疲れた。


もそもそと起き出して首を伸ばし、腕を伸ばす。足腰とついでに背筋も思い切り伸ばした。徹夜も野宿も平気だったのが信じられないほど強ばった体がいうことを聞くようになったので、足をそろっと下ろして部屋の隅にあるシンクに向かう。じゃばじゃば顔を洗い髭を剃り、歯磨きまでしていたあたりで「霊幻さん?」と寝惚けまくった声が聞こえたのでおうとだけ答える。いかん唾飛んだ。泡だらけの唾が付いた鏡をワイシャツの袖で拭いていれば、ソファとテーブルの隙間からはい出てきたモブが後ろに並ぶ。横で顔を洗うようなスペースなど当然ないからだ。もちろん余分な食器もアメニティもタオルもない。引き出しから小分けパッケージされた歯ブラシセットを取り出し、どうにか腰をひねるだけで手渡す。

「ん、これ使え」
「ホテルのやつですか」
「しばらく泊まってたからな。無駄に貯まっちまった」
「僕、ブラシ柔らかめがいいです」
「いやいや俺にどうしろっつうんだよ」
「買ってくるので置いていいですか」

思わず手を止めてしまって、何でもないようにうがいをしてから場所を譲る。
なんでもなく身支度を整える弟子を見守りつつ、ともかくは今日は午後からだなと看板を探す。

「今はここに寝泊りしてるみたいですけど」
「ずっとホテルってのも資金的にな。ちょっとしたツテでここの店番する代わりに住まわせてもらってるんだ。まあ相談所より客足ないからやたら暇だったがな」
「師匠、絵も分かるんですね。すごいなぁ」
「まあな」

バックヤードに積み上げられた箱を見て感心したように言われるが、適当にネットで調べて値札をはったり剥がしたりしていただけだがまあ、なんとかなってはいるので不自由していないし、うん、分かるに分類してもいいだろう。恋人にも弟子にも良く思われたいと思うのは間違いではない。
剃るほど髭の伸びないモブの身支度は短時間で終わり、時計を見るがコンビニしか開いていない時刻であることを再確認したのみで収穫はない。腹は減ったが、一人分のインスタントしかないしなぁ、と己の不摂生ぶりにほんのりと落ち込む。いや、一人暮らしならこんなものだろう、あちらで暮らしていた頃は流石にモブやら芹沢やらのために少しは蓄えがあったけれども。

「モブ、どうする?」
「キスしたいです」
「今そういうのいいから。朝飯だよ朝飯。コンビニまでちょっとあるんだよな、ここ。スーパーなら近いし惣菜も揃ってるんだが」
「……やっぱり、キスしたいです」
「こーら、盛んな」

今までだって、恋人らしいことなんて数えるほどしかしていない。
相談所では師弟として振る舞うよう言い含めていたし、俺の部屋でだってそうそう近付かなかったしあけすけに言ってしまえば致したこともない。それが付き合う当面の条件だったからだ。年の差だとか世間体だとかの妥協点はしっかりと決めて、それでも近くにいたいと言ったのはどちらだったか。
その反動か何なのか、昨日のつい勢いのキスを皮切りにこの調子だ。育った街を離れた事でハイになる気持ちは分かるがこうもあからさまにがっつかれると対処に困る。いつもと変わらない表情筋のくせ真っ赤になってるあたりは可愛らしいのだけれども。
ぐいぐい来るモブを物理的に押しのけようとするが狭い室内では逃げ道もなく、キスうんぬんとのたまっていたくせに、ガキのごとく必死にくっついてくるだけなものだから引き剥がすまでしなくていいんじゃないかと思ってしまう。俺もここ三ヶ月でまあ、うん、人恋しくはなっている。だから腹にくい込みつつある手を叩いたついでに撫でたって仕方がない、はずだ。

「お前大学は?」
「嫌です、キスしたいです、今日は話そらさせません」
「いやいや純粋な疑問だから。学生の仕事は勉強だろが」
「テレポートで帰るからなんとかなります」
「……そんなん何時使えるようになったんだよ」
「昨日です」

なんだその器用さ。ほかの事はてんでダメだというのに狙ってできちゃうもんなのかそういうの。
いざと言う時の行動力と、ついでに火力も素晴らしい恋人は意外と有事の際は頼りになるのかもしれない。そんなことを考えるがモブの顔はいつもののっぺり顔で、妙なところで安心感があるものだと頷いておいた。そんなところが好きなんだよなぁなんて思いつつぺちぺちと手を叩く。

「分かったするから離れろ。この体勢じゃ無理だろ」
「映画では出来てました」
「何見てんだよ」
「参考になるかもって思って……」
「いやいやいや」

横にモブをくっつけたまま、座れも歩けもせずに、何をするでもなく突っ立ったまま温かいなあとらしくもないどうしようもない感想ばかり頭に浮かべる。やはり、三ヶ月は長かった。会わないうちはそうも考えなかったのだが一度触れてしまってはどうにも調子が狂い続けている。

「霊幻さん、もう少しこういうことしたいです」
「なんだ、久しぶりだからってずいぶん積極的だな」
「また泊まりに来てもいいですか」
「寝るとこないぞ」
「また寝袋借ります」
「俺がやなの。虐待とかパワハラとか今うるせえんだから。はー、そろそろアパートでも借りるか……」
「そしたら毎日泊まれますね」
「そりゃもう同棲だろ」
「あっ」
「赤くなんなよ、俺まで照れるだろが」

つらつらと喋っていれば前の調子を取り戻してくるものだ。こちらからもぎゅうと抱きついてやって、おまけに随分と熱心に所望するキスもする。がちりと固まるうぶな恋人を笑って、歳のせいかまた滲んだ涙をどうにか引っ込めた。
終わるべきだった関係が続いてしまったことに安堵しているのだ、これが泣かずにいられようか。



16.09.09
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