はなし

□ノーマルエンドの幸せ
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「お前ってやつは、恋人が出てっても慌てもしねぇ薄情者だったんだな」

わざわざ腕を二本生やしたエクボが、ひぃふぅと丁寧に指を折ってから今日で三ヶ月だぜと肩を窄める。

「エクボ、記念日が好きな彼女みたいだね」
「うるせえ彼女居たことねぇくせによ」
「彼氏はいたよ」
「カァーッ!バレた途端にこれだよ!隠さなくて良くなったからってか?」
「えっ、茂夫くん、そっちだったんですか」

相談所の二号店経営で忙しいだろうに、パソコンでの作業のヘルプに来てくれていた芹沢さんがものすごく驚いた顔をしていたので、そっちとはどっちだろうと悩んでいれば何故か得意げなエクボが頭上から補足する。

「聞いて驚くなよ?こいつの彼氏ってのはあの霊幻だからな。まああれで隠してたつもりっつうのも無理が、」
「ええっ!えー、全然気付きませんでした……」
「マジか……」

目を皿のようにして、ついでに僕と貼りっぱなしになっている師匠のポスターと僕を見比べるのに忙しそうな芹沢さんは置いておきホームページに届いていたメールに目を通していく。子どもからであろう宿題を手伝ってという横暴な依頼にどう返そうか悩んでいれば、落ち着いたらしい芹沢さんがカタカタと作業に戻った。この依頼の子、呼んでここで宿題をさせるべきだろうか……でも僕が教えられるような宿題ならいいけど。そういう匙加減は本当に上手い人だったな、師匠は。師匠ならこんな依頼も最もらしく解決できたのだろうか。

「ああ、でも、霊幻さんから話は聞いていたんですよね。恋人がいるとは」

滑らかにキーボードを叩く芹沢さんとは反対に、僕の手元やら頭やらは仕事を放棄してそちらに全力で意識を傾けられる。そんなことしている暇があるなら、少しでも溜まった仕事を片付けてしまわなければいけないというのに。ちゃんとひとりでもここを守れると証明しなきゃいけないのに。

「ほー。なんだなんだ、そんな話もしてたのかよアダルティ組は」
「まあ、そこそこ年ですから。身を固めるとかの話もしますし」

ポチポチと入力しては、打ち間違えて消してを繰り返して、諦めてカレンダーに目を向ける。当然のように大きく印刷された師匠の姿にまた心を抉られつつ、当の彼が居ない日数を目で数えてみる。それでもエクボと芹沢さんの会話が耳に入って、どうしようもなく頭を占領していく。逃げ場がない。

「ちょっとだけ思ってたんですよね、失踪じゃなくて駆け落ちなんじゃないかなって」
「駆け落ち……」
「カケオチ」
「ゆ、夢見がちかも知れませんが、あの、恋人の話を聞いている時、だいぶ熱が入ってらしたので」
「ユメミガチ」

エクボはカタコトでしか話せなくなるし、芹沢さんは顔を覆ってキャアと照れているし、僕は僕で師匠が語ったであろう僕の話が気になって仕事どころじゃない。臨時休業にしていたのをこれ幸いと早々に作業を諦めて、パソコンも閉じてしまう。芹沢さんも諦めたようで画面を落とし、休憩にしましょうかとお茶を入れ始める。お茶請けのストックを引っ張り出しつつ、先程から気になってたまらないことをやはり訊ねることにする。

「師匠、恋人のことどんなふうに言ってたんですか?」
「攻めてくるね影山くん!」
「師匠が居たら訊けないじゃないですか」
「や、でもそういうのよくないと思う!」 「やっぱり、芹沢さんから見ても僕と師匠は良くない関係に見えるのか……」
「い、いやいやいや、そうじゃなくてね!その、僕がそういう話に慣れてなくて!霊幻さんが傷つくかも知れない話題だし、僕には責任を負えない案件だし、うん」
「お前らめんどくせぇな」

至極面倒くさそうにエクボが呟き、顔を覆った芹沢さんが尋問にあっているかのように勘弁してくださいと許しを乞う。なんとも不思議な光景になったものだとしみじみ眺めていれば、ひたりと、脊髄に触れるような音が耳に触れた。

モブ。

聞き間違えようもなく、恋人の声だった。
幻聴ではない、三ヶ月ぶりの声。ふたりきりの時にしか聞かせてくれない、着飾らない不明瞭な小さな呟き。
やっとだ。やっと、呼んでくれた。これで僕が彼に会わない理由が消えた。
携帯をポケットに突っ込んで鞄を掴み、忘れ物がないかデスク周りに目を走らせる。

「おいどうしたシゲオ?なんか顔が特徴の薄いラブコメの主人公みたいになってんぞ」
「師匠が呼んだので行ってきます」
「あ、戸締りはしておくので鍵はポストに入れますね」
「ありがとうございます芹沢さん」
「お前も大概呑気だな?というか色々受け入れんの早えな?」

メールは全部読んだし、売り上げ表やら経理やらは芹沢さんがやった方が早くて正確だし、エクボがいれば何かあったとしてもすぐに連絡がつくはずだ。遠慮も何もなく相談所を飛び出して走るより車より電車より速く飛ぶ。知らない街だから土地勘なんてさっぱりなくて、余計に師匠の居場所が浮き上がるように明確になっていく。

エレベーターもない、建ってしばらく経っているであろう小さなビルの一角。見るからに狭そうなそこはシャッターもカーテンも閉まっていて薄暗かったが、狭くて絵やら皿やらがごちゃごちゃ並んでいるのは分かる。この店の商品だろうか。物を避けながらバックヤードだろうレジの向こうへ進んだ。店の半分以下の広さの部屋に、壁に押し付けられた小さなソファと、真ん中を陣取るテーブル とそこここに段ボールが敷き詰められている状態だ。
あからさまに蹴り飛ばされた靴に、ソファの上に呆れるくらい大きく伸びて横たわる体。先日の僕と真逆の体勢だというのに妙に親近感が湧いてしまって、少し笑いそうになりながら腕に隠された顔のあたりに話しかける。

「霊幻さん、呼びましたか」
「俺は寝てる」
「そうですか」

会話が終わってしまった。
けれどもこのやりとりのためだけに県境をふたつ越えたわけでもなく、師匠の足を退かして少しの隙間を作り出しソファの肘置きに座った。部屋が狭いために目の前の壁からの圧迫感がすごい。
黙ったまま、お互い久しぶりに会ったとは思えない馴染み方で息をする。家族と過ごすのとは違うものだけれどもそれぐらい大切な重さのそれを、どうして手放せていたのだろうかと不思議に思いながら、手を伸ばす。図ったように触れる直前に「なあ」と声を掛けられて、構わず彼の無防備な胸に触れた。漫画のような鼓動は伝わらない。けれども確かに温かい。

「ちょうど良かったんだよ、俺はもうダメだ。お前が変なこと言い出したってそこそこ叶えてやりたくなるんだ。何のためにもならないし意味無いだろうし自己満足ですらなかろうが、たぶん、何でもやっちまうんだ」
「そうなんですか」
「おっ前モブ、相槌うつにしたって肯定か否定かくらい決めろよ。なんだよそうですかって。俺はな、連絡なしで消えた無断欠勤で自然消滅するバイトより酷いことしてんだぞ。自然消滅狙ってまるっと街から離れたんだぞ何かしら責めろよ」
「いえ、霊幻さんが思いのほか元気そうなので安心してました」
「これが元気に見えるのか」

僕は彼の胸に手を添えているだけなのに、強ばった彼の体は全く動こうとしないし、避けようともしない。時間に配慮してか声は潜められているけれども、僕に向かってくる言葉は全部が強い。三ヶ月分、貯められた何かだ。一言も話さなかった、触れないでいて貯まったいろんなものだ。僕だって同じようなものなのでそれのエネルギー量が分かる。

「お前は元気そうだな、モブ」
「そうでもないです」
「そうか」
「自然消滅とか、僕にはまだ難しすぎました。だから別れたくないって言いに来ました」
「うん」
「思い通りになりませんでしたか」
「ああ。なんにも思い通りにならねぇ」

彼が顔をぐいぐい擦りながら腕を解き、ぎしりと音が鳴りそうなほど手を握って、泊まってくかと半泣きで笑う。明らかに二人で泊まるには不便な部屋に、嫌ですと素直に答えたら今度こそしっかりと笑いながらぐいと抱き込まれた。



16.09.04



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