はなし

□しらしらとゆれている
2ページ/5ページ


玉子と牛乳にこだわったホットプリン。バカみたいに大きなドームケーキ、作りたてで火傷しそうなクッキー。口の中でパリパリと音を立てる焼きたての煎餅。具どころか工程までシンプルな鳥ごぼうの炊き込みご飯。市販のルーとゴロゴロした野菜のカレー、魚介類たっぷりの量も多いパエリア。
これらは全て、ヒロが俺の費用でなおかつ目の前で作ったものである。

「光忠、ヒロは俺を肥えさせて調理するつもりだ……」

酔って低い沸点のなせる技か、自他ともに認める伊達男が吹いた。そしてむせた。
サングリアを噴射した様を宗三にせせら笑われながらおしぼりを受け取り、カウンターを拭いた光忠がまたもや口を覆う。笑い上戸なのはいいことだ、笑われる立場でなければだが。

「一晩泊めてくれた礼をしたいんだがいらんと言うし、どうしてもと粘ればスーパーに連れてかれるし、財布は俺だがなんか知らんが俺も食って帰らさせるんだが」
「っごほ、餌付けかな……?」
「鶴の餌付けですね」
「やっぱ礼になっとらんよな」
「ヘンゼルですか?グレーテルでも違和感ありませんよねあなた」
「おっと、俺は可愛いヒロを竈に入れやしないぞ!」
「鶴さん問題そこじゃないよね」
「顔は武器だからな」
「ああ……」

そういえば、とぐだぐだと逸れていた話題をぶった切り、光忠が厚紙の紙袋をこちらに寄越す。まあ、今日飲みに来たのは愚痴や近状報告ではなくこれが目的なのだから受け取るけれども。正直受け取るどころか捨てたい代物だけれども。

「はい、この間の写真。デジタルもかさばらなくていいけど、やっぱり印刷して眺めるのもいいよね」
「おう……うわあこんなに撮ったか?」
「これでも減らしたんだよ」

妙に立派な紙袋から出てきた冊子すらも予想より遥かに立派なもので、伊達男監修であることをものすごく匂わせる。ポーズとしてパラパラと捲っておいてしまおうとするが手荷物に突っ込む前にカウンターから伸びた手がそれを攫った。容赦のない力加減はトンビのようだ。

「ふうん、結構人集まったんですねぇ」
「おーい宗三、お前知り合いろくにいないだろ返せー」
「ええそうですね。貴方たちの無様な顔とか写ってないかと思っただけです」
「相変わらず酷いなぁ。あ、僕の泣き顔は無いよ。避けておいたから」
「泣いたのか」
「泣いたんですね」
「そりゃあ、幼馴染と友人の晴れ舞台だからね」

堂々と認めるくらいなのだから潔く写真として残してしまえばいいのに、とは思うがそれは各自の携帯に残っていよう。それはそれで友人に送るように触れ回るとして、問題は俺の方の黒歴史である。
ぱらり、と重々しい音を立てて開かれたページに、ふぅっと静かに吹き出すような音が続く。笑うならもっと激しく笑って欲しいものである。

「まあまあこれは……」
「ね、八姫ちゃん綺麗だろう?」
「そうですね。花嫁よりも花嫁らしい男が紛れてますが」
「よせよ、照れるだろう?」
「これに女装させるとか……顔だけが取り柄みたいな男の使い方を分かっている方がいるものですね」
「あ、言い出したのは鶴さんだよ。これなら盛り上がるだろうって」

確かにすごい盛り上がったなぁ、と思い出し笑いで口元を覆う光忠を小突いて、手元の杯を傾ける。氷で薄まりすぎた酒は物足りないが間を持たせるのには充分働く。それでも物言いたげな宗三からは逃げられずにそのお小言ば耳にするりと入ってしまう。

「白いドレス、なんてあなたらしいのからしくないのか」

問うようにして笑いかける宗三にパタパタ手を振ることで答えて、俺が抜けてからの二次会の様子に話をすげ替えた。











好きだった。
常識や世間の風潮、そんなものにこだわる前に、好きだと思ってしまえば逆らいようもなくその幼なじみの男が好きだった。
けれども「好きな人」には「好きな子」が出来て、「好きな人」だって俺が惚れ込むくらいなのだからあいつが真面目にアプローチすればそりゃあいい方向に話が傾いて、秘めるかどうか悩む間もないくらいにあっさりとその思いに蓋をすることを決意した。固く固ぁく蓋をして、同じように幼なじみである連中と一緒になって応援したりつついたりと騒いで、上京してしまえば幼なじみといえども疎遠になって、お互い社会人という肩書きに慣れた頃の結婚だ。
祝えると、思っていた。応援していたふたりが俗に言えばゴールインしたのだから目出度くないはずがない。浅ましくも彼に会えることにも喜んでしまって、彼女(この時には籍を入れていたらしいから妻だろうか?)だって顔見知りどころじゃなくつるんで遊んでいた仲なので目出度くない訳がないのだ。
ほんの少し、疚しい気持ちが混じっていたのは認めよう。けれども本当に祝いたくて、二人だけじゃなくみんなで笑えるのなら道化にでもなろうと、通販で一式を揃えた白いワンピースは、けれども式で見る彼女のドレスにはどうしても劣っていて。
ああ勝てやしない、そもそも同じ土俵に立つことすらできやしなかったのだと理解して、それでも彼の隣で白いドレスを着てやった。もうどれかといえば熟考して買ったドレスへの供養の気持ちだ。
いや、そう理由をつけて、一瞬でも夢をみたかったのだ。分かっている。これは俺の恋心の供養だ。十五年も燻らせていた恋をドレスとともに埋めるための儀式だった。
この思いすべて飲み込んでしまえばあとはなぁんにも問題ないのだ。後腐れもなくきっと送られてくる年賀状も笑って飾れる。
そう、そのはずだったのに。

「写真。現像したんだろう」
「はいはーいっと。ったく、どこから聞いたんだかねぇ光忠だろうねぇ、あーやだやだ」
「見せろ」
「いやいや俺のドレス姿なんてもう見たろ」
「新郎の方だ、見せろ。生キャラメルいるか」
「くっ、これが飴と鞭……!」

己の金で買い込んだ牧場直送らしい生クリームとなんか高かった砂糖は広光を通すことで見事に菓子へと化けていて、素っ気ない紙に包まれて冷蔵庫にて安置されていた。持ち帰るかと訊かれたが今食うと応えればそのままテーブルへと出され、個別に包まれたそれをペラペラ剥いては口に放る。生といえばビールくらいしか連想できない自分には勿体ない思いである。入れたそばからとろけるそれが旨いので食うのはやめないが。
いつものように学校帰りの広光を拾い、ちょっとお高いスーパーで買い物をして、ようやく彼のアパートに着いたというのに冷蔵庫に突っ込む前に下拵えだ。ようやっとそれも終わったというのに広光は休む間もなく俺の手荷物に目をやり、遠慮も見当たらずパラリパラリとアルバムを捲る。こればかりはゆっくりじっくりだ。

「……忠輝も八姫も変わりないな」
「おいおい、八姫は美人になっただろ?忠輝のいかつい顔は酷くなってるし」
「そうだな」

懐かしげに写真を眺めるヒロを横目に、半透明の紙に包まれた生キャラメルを口に放っては溶かし放っては溶かしを繰り返す。光忠に頼めばいつでも見られるだろうに……だとかなんとか考えるがヒロは俺の弱みをしっかと握っている。なので、まあ、そういうことなのだろう。忙しそうな兄よりは手近な暇人。とても理にかなっておる。いや時間に融通の効く仕事というのはこういう時言い訳にも出来なくて困りものだ。
当社比ではあるが頬を綻ばせてアルバムを見終えたヒロは、その分厚い表紙をバタンと閉じて、しっかり礼も言いながらアルバムを返してくれる。さらには立ち上がってエプロンを付けて、何を食うんだ、と俺に食わせることを前提とした話を振ってくる。なんだかなぁ、とやりきれない思いを口にしつつ、和食が食いたいとオーダーした。


分かっている。
帰ってしまえばいい。アルバムを見せるという用事も済んだし、こないだ貢いだ生クリームだとかは無事腹の中だ。今日買った魚達には悪いが、若い広光なら魚が悪くなる前に食えるだろうし、料理学校に通う広光にとってはいっそ色々な調理法を試せて都合もいいだろう。
そんなことをうじうじ考えながらも、いつもどおりに帰り損ねてこうしてヒロの背中を見つつ居間でテレビをぼんやり眺めている。背中ばかりのヒロはといえば何も話さず、調理学校で習ったことを実践しているのかそれとも男らしく挑戦でもしているのか、黙々と何かを刻んだり煮込んだりチンしたりしている。
規則正しい物音に確かに居心地の良さを感じながら、額に両手を当てて天井を仰いだ。懺悔でもしたい気分である。

なぜ帰らないのか。甘えているからである。

自分は、随分と年下の、友人の弟の、高校生の男に甘えているのだ。
あの日に酔っ払って全て晒してしまったから、これ以上恥ずかしいものなぞないために。

「……何してるんだ」
「後悔と懺悔のポーズだ。小顔効果もあるぞ」
「………」
「無視が一番辛いんだからな!おい聞いてるかヒロ!」
「煮付けとあら汁、胡麻和え、蓮根の金平、貰い物の糠漬けだ」
「無視し続ける気か君も大きくなったないただきます!」

一人暮らしのくせ多めに揃っている食器は急な来客にも影響を受けることなく、もう手に馴染んできた箸を指で挟んで手を合わせてから馴染みの彫り付きの椀を持ち上げる。魚のダシが効いたそれは確かに心を解す。泥酔事件から変わりなく、ヒロの作る料理は何かを解すようだった。
光忠や二人の両親は職業柄もあるのか、話しながら賑やかに食事をとる。けれども広光は昔からただただ無言で咀嚼しているような子どもだった。だからといって浮いているわけでもなく、単に味わうのを楽しんでいるというか、喋るよりも食べる方が大事そうだったというか。
相も変わらず向かいで黙々と食事する広光に、最近のクライアントや光忠、バーにいる変わったバーテンの話をする。苦言するでもなく、むしろ頷いたりだとか反応はあるので不快ではないのだろう。俺の声ばかりが響く部屋はそれでもやはり心地がいい。

静かめな食事を終えてアルバムも回収し、礼もしっかり伝えたしあとは帰るだけだ。
どっこら、と胡座を崩して立ち上がり、紙袋と土産のタッパに詰まった金平入りの鞄を持つ。ヒロの住むアパートは駐車場までは契約していないので最寄りのコンビニまで徒歩だ。ついでにビールでも買って帰ろうかとつらつら考えていれば、こちらは静かに立ち上がったヒロが物言いたげにこちらを見ている。

「ん、どうしたヒロちゃん」
「……送る」
「おいおい、学生が時間をそんなふうに使うんじゃない。テレビなり勉強なり合コンなりに使うべきだ」
「いらない」

いらないって。いらないってなんだよと堪えきれずに笑いつつ、笑ってしまったことでむくれたヒロに悪いのでじゃあ送ってもらおうかと彼の背を押した。振り払われもせず押されるままの背中の広さに成長を感じ、その態度の子供っぽさとのギャップがなんとも愛おしい。

「そういや光忠もよく友達送ってたなぁ。君たちは中身がそっくりだ」
「そう言うのはあんたくらいだ」

車道側を陣取るヒロを横目に、あの日はこうだったあいつはどうだったと共通の地元の話をしながら足を進める。彼がふと口を噤むたび、あれが美味かっただのこれは作れるかだの話題を探して振った。静かになってしまったら、泣いてしまうのではないかと思った。もちろん俺がだ。なんだかもう俺のどこかがヒロの前でなら泣いてもいいのだと誤認してるんじゃないだろうかというほどどこかが緩んでいる。
コンビニとついでに愛車も見えてきたところで、俺の声をぶった切るように広光がおいと声を上げる。タルトのフルーツに掛かっている透明ななにかについての話をやめて、一歩半ほど後ろになってしまった彼を見た。

「………ん、どうした?広光」

はくり、と、言葉になり損ねたものが広光の口から出るのが見えるようだった。
昔よりもさらに寡黙になった広光がついに言葉もないままに手を伸ばす。指先がゆるく曲がった、何か掴みたそうなそこに当てはまるだろうかととりあえず手を伸ばせば、正解だったのか手のひらを握りこまれて引っ張られた。無言のまま踵を返し、もときた道をすたすた歩く。

「おーいどうしたヒロ。忘れ物か?俺が立て替えるから財布なら心配いらねぇんだが」
「今日は泊まれ」
「え、は、いやいやお前明日も学校あるだろ」
「明日は日曜だ」
「あ、そうだったか。いやそれでも学生の部屋を占領すんのもなぁ」

コンビニに停めたままの車も心配で幾度か振り向いたが、ヒロの意志が固いようでどうにも逆らえそうにない。
あーあーあー、と声と踏ん張る足で抵抗してもみるが効果はないようだ。むしろぐいぐいと腕を引くのが楽しくなっているのではないかと思うほどだ。やけにリズミカルに引っ張るなこんにゃろう楽しいじゃないか。



16.04.05
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ