はなし

□しらしらとゆれている
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それはとてつもなく目出度い日になるべきだったのだ。
独身最後の夜だからと遅くまで飲んだくれていたくせに血色のいい新郎に、この日のために伸ばしていた髪を結い上げて、エステが荒かっただのなんだのと文句を垂れながらも美しく真っ白いドレスを着こなした新婦。信じられないほど幸せそうな顔をしたふたりを新婦の親戚らしい知らない男と手を繋いでのアーチで送り出し、同じ高校出身の者達で固めた二次会の準備をこちら側で整える。初々しい夫婦には祝われるという大事な仕事が山積みで、俺達は時間も金も持て余しているような有様だったのだから準備には様々なものを費やした。
ようやく主役達がが二次会会場に到着した時、俺はフォーマルスーツを脱ぎ捨ててミニ丈の白いドレスを際どいガーター付きで着ていた。浮かれた人間ばかりの、気心の知れた酔っぱらいの集まりには抜群に効いて、会場の外まで聞こえるような馬鹿笑いが起こるのを気持ちよく眺めて、新婦が「私が型なしじゃない」と怒るか笑うか判別のつかない有様になっているのを見届けてから着替えを口実に抜け出した。
そう、それから、どうしたのだったか。



女物の下着と、ガーターベルトと網タイツ、それしか身にまとっていないベッドの上。
シーツを捲る勇気もなく、隣に眠る男の寝顔を絶望の眼差しで見やった。ちなみにその男の浅黒い肌は肩までは露出が窺えた。いやシュレーディンガーの猫は偉大だ。見なければまだ分かりやしない。
自分が起き上がったことでめくれたシーツをそっと直し、心持ち内股にベッドに腰掛けたまま周りを見渡す。六畳ほどの寝室は明らかにそういうホテルだとかではなく誰かさんの自室だ。カーテンレールに干された革ジャン、壁紙に合わせる気のないポスター、備え付けであろうよく見る照明。ベッド付近には鞄に突っ込んでいたはずの例のドレスに着替え直したはずのフォーマルスーツたち。見事な皺に頭を抱えようとして、そんな些細な問題に心を裂いてみたがやはり思考は元のものに戻る。つまりは、隣で眠る半裸(仮)の男が何者かということだ。
いや、知らずに済ませるという手もある。一宿の恩はあれども状況が状況なのだ、幸いドレスがはみ出ている以外は変化のない鞄も見つけたことだし、半裸の君が起きてしまう前にスーツを着込んで逃げてしまうという手もある。そうすれば若気の至というこれまた素晴らしい思想でもって全てにかたがつく。
つくのだが、今日ばかりはこのとんでもない驚きを楽しみたい気分だった。社会的に死のうとも、処女のようなものを失っていようとも、全てを笑ってしまおうといういらない決意があった。一昨日から続く衝動だ。固めた決意のままに起こしていた身をベッドへと勢いよく沈めれば、いつの間にやら起きていたらしい半裸の君がなかなかに近い距離からこちらを見つめ返した。寝顔は幼く見えたが、案外精悍な顔をしている。
その精悍な眼差しが、隠すもののなくなった俺の下着姿をくるりとなぞる。

「……明るいところで見ると、キツイな」
「うるせぇ」

お互いにもっと言うべきことがあったと思うの。





「つまりあれか、酔っ払って道端で号泣していた俺を親切にも拾ってくれて、身ぐるみ剥いでダブルベッドすらも使わせてもらったと」
「そうだな」

流石に下着姿で過ごすのは様々な理由で嫌なので、半裸どころかタンクトップ姿であった彼の部屋着を借りて着込み、朝食を食わねば落ち着かないという青年と相飯いただくことになりまして。
炊飯器をさくさくとかき混ぜていた背中が振り返り、湯気を立てる茶碗二つを無言でこちらに差し出す。言葉がなくともそこまでされれば察せられるものだから受け取ってダイニングテーブルに置き、続いて渡された生卵と器も同じように並べる。作りたての味噌汁も二つ渡されたので受け取り、目線で座るよう促されたので味噌汁とともにギイギイ鳴る椅子に落ち着いた。お新香とおひたしを置いた青年が向かいに座り、無言で手を合わせてから味噌汁を啜る。いただきます、と宣言してから同じように味噌汁に口をつけて、あー、と染み入る感覚に思わず声が漏れた。

「……おっさん」
「君、飲み会後の味噌汁をバカにしてるだろう。染みるぞ?五臓六腑が潤うぞ?」
「酒を飲める年じゃないものでな」
「ふうん、君学生か。朝からこんだけ食うなんて偉いじゃないか」

卵を割ってかき混ぜていれば醤油が差し出され、礼を言ってからくるりと掛けてまた混ぜる。炊きたての白米に生卵など何年ぶりだろうかと感慨深くなりながらかっこんで、これまた深く息をついた。

「あー、生き返る……」
「………」
「君今絶対おっさんって思ったろ」
「ん」
「お、すまん。いただく」

出されたものを全て美味しく頂き、食器を洗うくらいなら任されてもいいからと押し切ってキッチンを占拠した。初対面の人物にここまでする彼の好意に付け入る隙を見つけながら、さてどうしようかと考える。あの面子なら二次会三次会、もしかしたら五次あたりまで行っているかもしれないしばっくれた俺のことなど忘れ去られているだろう。厄介なのは光忠あたりか。こちらの方が先輩だというのに分け隔てなく世話焼きの彼にこのような事態が知れれば、説教は免れないだろう。そこは仕方ないと甘受するとしても、せめて新婚ほやほやの二人には伝わって欲しくないなあ。
正直帰るのすら嫌だが見ず知らずの学生のヒモはいただけない。名刺と少しばかりの金を置いて……うむ、シャワーだけ借りて出るか。家には帰りたくないのでどこにどう寄り道をするか候補を上げて、丁寧に丁寧に洗った食器をがらがらの棚に仕舞ってから彼の姿を探し、声を掛けるにしろ名前も訊いていなかったことに気付きつつ寝室のドアを軽くノックしてから開ける。開けた途端に驚き過ぎて固まる。
俺のスマホを耳に当てた青年がちらりとこちらを向いて、何事もなかったかのように前を向いて声を出した。

「光忠か……ああ、俺だ。鶴丸は拾った」

いやいやいや、と混乱しながら初対面のはずの彼が友人と話しているらしい様子を見守って、というかどうスマホを取り返すか隙を窺って、またもやいやいやいや、とまだ酔っている疑惑の罹った頭を押さえて振った。
心配性の光忠のことだから電話やらメールやらがたんまり来ていたのだろうが、勝手に出るとは、いやいやそもそもどうして光忠を知っているのか。光忠の顔は確かに広いが、いや、俺はいつ名乗ったろうか。酔っ払って絡んだらしい時か。
いや、こいつは本当に初対面か。初対面でベッドに寝かせて朝食までご馳走するお人好しなぞそうそういるのか。
光忠との交友関係を地元の高校ぐらいまでさらって、頭に引っかかった映像に膝の力が抜けた。ああ、こいつ、もしかして。

「ああ、任せろ」

何をだ。
なにやら明るい「それじゃあ」という光忠の声がかろうじて聞こえ、通話が終わったようでスマホを無造作に放られどうにか受け取る。

「……君、もしかしなくてもヒロちゃんか?」
「ヒロちゃん言うな」
「はー!光忠の弟の!でかくなったなぁ!」
「……昨日から気になってたが、気づいてなかったのか」
「いやいやいい男になったからな!」

光忠の家に押しかけた時に構っていた、元気に焼けた口下手なちっちゃい弟。
両親が仕事で店に出ていることが多いからと二人して食事を作っていたのを思い出して、あのころころした子どもがこうも成長するのかと感慨深くなる。
それにしても、世間は狭いものだ。酔い潰れた男を拾うほどの親切心には納得だが、それにしてもまさか広光に拾われる日が来るとは。

さて、光忠の身内と分かればこうしてもいられない。シャワーはマン喫に変更だなと計画を訂正し、さっと着信を確認したスマホを鞄に突っ込み財布を出す。適当な札を出して、名刺とともに重ねて広光に差し出した。

「いやあ、世話になったな。服は借りるがすぐ返す。ここに連絡してくれてもいいし光忠を通してもいい。それじゃ電車も近そうだし俺は」
「うるさい」

差し出した諸々は受け取られずに、むしろべしりと払い除けられて紙がはらはらと落ちる。あの可愛いヒロちゃんとは思えぬ行動に驚いて目を瞬かせていれば、行儀悪く舌打ちした広光がドレスを拾い上げてぎろりと俺を睨む。

「昨日、八姫の結婚式だったんだろう」
「おう、はしゃぎすぎてあのザマだ。ま、痛い目見たし次からは気をつけるさ」
「はしゃいで泣くのか」
「おうよ。嬉し泣きと、下着まで仕込んだのに不発に終わった悲しさだな!」
「白いドレスの意味くらい知ってるだろ、アンタ」
「バカウケだったぜ。なあ君、そんなに喋るようになったんだな」

なあ、これ以上迷惑を掛けたくないから帰してくれないか。
尋問のような問いにゆらゆらと心臓が揺れるようで、早く逃げるためにも一纏めにされていたスーツを掴む。保護されて一晩泊めてもらって染み入る味噌汁をいただいて、光忠ではないがこれ以上無様を晒してどうしろというのか。
礼はしたいがともかくは後日に、と訴えようとして、俯いた途端に力任せにスーツを奪われる。無造作に遠くに投げられたスーツ達を追うように鞄も奪われ中身を散らしながら投げられ、開いた口も閉じれずにいればぎろりと睨む広光が俺の腕を掴む。

「なんで泣いてた」
「だから、あれは嬉し泣きだって」
「その顔でそういうのか」
「見えやしないからな、どんな顔か知らんが嬉し泣きだ」
「違うだろ」
「違う訳がないだろ。結婚式の日に泣くのは嬉し泣きに決まってる」
「決めてどうする」
「どうもこうもないさ、ほーら理由は言ったぞ離してくれ」
「違う」
「違くないさ」

違うはずがないのだ。新郎も新婦もあんなにいい顔をしていたのだ、俺は喜ばなければいけない。二人のために泣かなければいけない。自分を哀れんでなど泣いてはいけない。
ああ、駄目だ、だから早くここを出るべきだったのに。
情けなさと彼女へのいとおしさで、みるみるうちに鼻が痛み目が潤う。昨日から泣きはらしたからか涙が目尻に染みてひりひりする。
退けようと触れていたよく焼けた腕を掴んでうつ向けば、それ見たことかと呆れた声が降ってきた。味噌汁の如く染みる声だった。



16.04.05
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