はなし

□なんにも知らないふりをしてね
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こういっちゃあなんだが、俺は死にたいと思う回数ぐらい死にたくないと思った。別に重い話じゃない、俺の思想とか座右の銘とかそんなやつの話だ。
食うのも寝るのも辛かった時期にゃあ意地で生きていたから特に深くは考えもしていなかった。頭んなかは飯でいっぱいだったし。
学園に入ってからだ、幸せだなあ幸せ過ぎて両親に申し訳ないなあとか余計な事を考えるようになったのは。


「つまりは先生のせいってことですよね」

「まて、どこがだ!どこが!」


洗濯物を干す手をとめてわざわざ振り返って抗議する先生を適当になだめて、またじゃぶじゃぶと着物を川に沈めて洗う。春だとはいえ手が痛むほど冷たい水が日光を反射して清々しい。



「あれっすよ、諸行無常?はれるや?てくまくまやこん?」

「よく分からんがこっちは終わったぞ」

「あ、じゃあ洗うのも任せていいっすか?」


みっつめの桶をよっこいせと渡し、丁度桶がひとつ空いたのでよっつめを引き寄せた。先生はため息をひとつこぼし、隣にしゃがんで勢いよく洗い始める。子どもの拗ね方とすっかり同じな事を指したらきっとどつかれるので笑わないよう腹筋に力を込める。きっと少しでも笑ったら、連想したことまで芋づる式にバレてしまう。


「だーかーらー、いつ死んでもいいけど死にきれないぐらい先生が好きだってことです。日中は女物の着物で過ごすぐらいには」

「……そうか、第二の山田先生にでもなるのかと思っていたよ…」

「純粋な恋心ですよ失礼な。洗濯だって野郎二人よりは若夫婦のが自然ですし」

「純粋じゃなくて計算だろうそれは」


絞った着物をパタパタ延ばしながら干していき、少し離れた所に立って等間隔で並んでいるのを確認する。ふむ、爽快爽快。
手持ちぶさたになったので先生が洗い終わった分もさらって干してしまう。
どうせまたすぐに汗とか泥とか涎とか食い物の汁だとかで汚れるであろう今は綺麗な着物だ、まさに諸行無常。人間だって汚い時と綺麗な時があるものだ。体しかり心しかり。
今晩俺は少なくともひとりは殺す仕事が入っているし、土井先生は相も変わらず先生をしているが孤児院の先生だ。だからこそ俺は幸せだと豪語できる。幸せすぎて申し訳ない。


「先生、乾くまで野草でも採りに行きましょっか?」

「私は午後から仕事なんだが!」

「走れば間に合いますって」


この間、竹の子を採りに行って見つけたシロツメ草の群生地に寄るのもいいなあ。むせかえるような甘い匂いに先生を投げ込んで遊べばきっと楽しい。ガキ達に着物に染みた甘い匂いを指摘されてしどろもどろになればいい。
その様子をひとり想像して笑えば、「早く行くぞ」と頭を小突かれる。仕返しに半歩後ろをしずしずと、草履を踏むように歩けば腰を抱くように隣に引っ張られた。声に出して笑いながら寄り添う。今日殺す人の冥福をもう祈りながら。



なんにも知らないふりをしてね



11.06.01


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