はなし3

□部屋のなか
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誰か、と呼ぶ声が聞こえて、ふと立ち止まりあたりを見渡す。
知り合いに遭う前にゆっくりするつもりだったのにと八つ当たりのように考えてから、声の必死さに押されて仕方なく周りをよくよく見た。ここで無視しては人でなしだろう。騙されるにしろなんにしろた手遅れになって加害者扱いされるくらいなら確認くらいはしっかりしたい。
来てくれ、と呼ぶ声はフィルターを何枚か通したかのように遠い。距離があるのか、と見慣れた住宅街に目を走らせて細く古びた石段を見つけ歩み寄る。こんなところにあったろうかとは思うが歴史改変の反動だろうと適当に判断し足を掛けた。
声は明らかに上から聞こえる。踏み入れればげんなりするほどの段数があるのが分かったが、どうしても遠く聞こえる声には返事を返しても届かないだろうと確信できたので、気合を込めながら足を上げ続ける。授業でもかかなかった様な汗をかき、休み休みたどり着いた頂上にそれはあった。

目隠しなのか左右に生垣らしきものがぐるりと囲む、砂利の敷き詰められた広い空間だ。石段から玄関に向かう飛び石を踏みながら、中央に陣取る木造建築を観察する。やたらと古風な、非実用的な彫り物の多い建物は宗教的で、明らかに面倒事だろうとは思うが乗り掛かった船だ。何故かほんの少し開いた引き戸に手を掛け、大丈夫ですか、と声を上げながら室内に足を踏み入れる。純和風の外観から靴を脱ぐべきか悩んだが室内があまりに埃っぽかったので土足で上がらせてもらう。妙に冷えたような空気は建築の仕様だろうか。
床は汚いくせにしっかりしている襖を開けて、まだ遠い声の聞こえる方へと足を進める。ふと開いた襖の向こうにようやく人を見つけた。

「すみません。大丈夫ですか」
「……ああ、来てくれたのか」

呼んでいたのと同じ声のその人しか、部屋には人はいない。
やたらと広い部屋の隅で膝を抱えて座り込む男が一人居るばかりで、家具も照明もろくにないこの建物には彼しかいないだろうことが窺える。
建物の古臭さに反し、青年はもしかしたら同年代と言えるくらいに若い。見たところ大小様々な怪我を負っているようで慌てて駆け寄り携帯を出そうとして固まった。彼の腕には刀が二本抱えられていた。
だが、まあ、武器を抱えていたからといって見捨てるわけにもいかない。少し距離をあけて威圧感のないようにしゃがみ、微笑みを絶やさない彼に怪我ですか、と確認のために訊ねながら鞄を開いた。ティッシュくらいしかないが使えるかもしれない、血を拭くとかくらいには。プロに任せるのが一番だろうが。

「救急車呼びましょうか」
「いやいいんだ。俺は慣れてる。君に頼みたいのはこれなんだ」

ごとりと抱えている刀を置いて、これを壊して欲しいのだと青年は至極真剣に俺を見つめて言う。慣れてるってなんだ、だとか壊すことくらい青年にもできるだろうにだとかぐるぐる考えるが、初対面でそれほど言い募れるほどに人好きする性格でもなく、どうしたものかと青年を見返した。
よくよく見れば、片目は長めの前髪で隠れているがメディアでしか見かけないような整った容姿をしている。廃屋にイケメンと武器。さらに怪我ともなればもう救急車ではなく警察が必要な気がものすごくするのだが、青年がいいのだと頑なに首を横に振るばかりでこれ以上押し付けがましいのも、と切り上げた。
埃まみれの床に置かれた刀も古びていて、鞘や鍔に目立つ傷も多い。壊さなくとも十分に使えも売れもしないだろうそれを眺めていれば再び刀を抱えた彼が改めて俺の前にそれを差し出す。

「俺にも折ることはできるが、それは最後の手段だ。君のような人間に壊されるのが望ましい」
「いや、俺、こういうの詳しくないので解体したりだとかできませんよ」
「触れば分かるはずさ。ともかく、頼む」

周りにいない人種だな、と、指示することになれたような揺るぎない口調に驚きながら手を伸ばし、それを受け取る。
流石は鉄の塊、見た目よりも重い。けれども受け取ったからと言ってそれ以上の何かが分かるはずもないだろうと赤い鞘の方を撫でれば、あれ、と気になる一点が見つかった。
あれ、とそこに力を込めれば、音もなく刀が石や木炭やら水やらの細々したものに変わる。

「……できましたね」
「だろう」

確かに持ち上げたのだから触っただけで崩れるほど劣化していたはずもなく、そもそも全く別の物体としか思えないものばかりが床に残るばかりのそれに、ああ、ここは明らかに踏み入れてはいけない場所なのだと薄々考えていたことを認めた。夏に特番や映画で見かけるような、他人事であれば楽しめるやつのたぐいだ。
どこか自慢げに相槌を打った彼が促すままにもう一本もばらし、転がる物体をそっとまとめてから青年を盗み見る。
抱えていたのとは別に、長い刀を腰から下げている。ばらした刀ほどではないけれどもそれも浅い傷がたくさん見えた。

「あの」
「ああ、俺のことは本当にいいんだ。できれば他言しないでくれれば助かるが……言ったからといって斬って捨てたりもしないさ」
「いえ、貴方は審神者、とかですか」

かなり勇気だとかを振り絞った質問だというのに、青年は表情を消したかと思えば改めてくすりと笑った。常にあった冷めた空気が一段と冷えたようで、それこそ今すぐに切り捨てられても不思議ではない顔だった。ああ死んだかもしれない。

「関係者かい?その割には俺の顔も知らないようだが」
「……姉が審神者で。刀と関わるやつなんて、今時限られますから」
「血縁者か。……そうか」

気が抜けたように脱力した彼がゆらりと立ち上がり、何気ない仕草で俺の腕を掴む。細身の見た目からは予想できないほどの力でぐいと引かれて、為すすべもなく体を吊るされた。いや、足は畳に付いている。役目を果たしそうもないだけで。

「少し、素質のある者の手を借りたかっただけなんだが……仕方が無いな。時間もなかった」
「や、あの」
「今から君を隠す。すまないが帰してやれない」

あまりに急で、暴れる、だとか声を上げる、だとかいった行動もとれなかった。
え、と呟くうちにも目もとを覆われて、そのまま意識がふつりと切れた。




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