はなし

□ただの春
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「あの脳天気な髭切が難しい顔をしていると、チビ共が遠巻きに気にしておったぞ」

ガハハと軽快な笑い声を上げながら隣に腰掛けたのは岩融で、遠慮も何も無い切り出しに余程気持ちを解されて笑う。確かに辛気臭い顔だと一蹴しつつ、彼が持つとと妙に小さく見える酒瓶をこちらに傾けた。手のひらで転がしていたお猪口を差し出し、ちろりと入ったそれを仰げばまたすぐに次がくる。わんこそば、と打刀あたりが呟くのが聞こえたがなるほどと納得した。蓋をすれば終わるのだったろうか。いや、酒席の場合は瓶が空になるか潰れるかだろうか。
今度は舐めるように酒の甘みを味わえば、体格に見合った己の茶碗に酒を注いだ岩融が一息に呑んでぷはぁと息をつく。

「何、この席で話すことなど戯言と変わらん。吐き出すものは吐き出してしまうのがいいぞ」
「そんなことを言って、前にあの……かまきり?が腹踊りしたことをずっとからかってるじゃないか」
「ん?ああ、へし切長谷部か。あれは真面目すぎてからかうネタがないからな。たまには皆でつつきたくもなるものよ」
「うーん、かわいそうだ」
「主殿がそれを聞いて心配だと長谷部に詰め寄っていたからな。なにもかわいそうではないぞ」

にやりと上座を見やる岩融の目を追えば、上座にて果実酒を舐める主が刀に囲まれて笑っている。そばには今日の近侍である長谷部が真っ直ぐに座っており、彼の周りに酒の類は見当たらない。それでもこの席で浮いている様子もなく、実に楽しそうに浮かれすぎたものを叱りつけては茶を啜っている。時折主から声を掛けられ、肴をよそったり酒を追加したりだの甲斐甲斐しく尽くす様子がこの席からようよう見れて、その全貌を眺められるほどに遠くに座っている己にもやりと胸が妬ける。
嫉妬や羨望は、良くないものだ。
それを抱える己を笑うしかなくひたすら酒を煽る。

「湿気ておるなぁ、髭切の」
「三日月にまで心配されるなんて、そんなに酷いことになってたんだね、僕……」
「やや、自覚がなかったか」
「今のは怒るとこだろ、じいさん」
「おっ?喧嘩か?」
「もう、兼さんはそろそろ寝ようね。また打撲で手入れ部屋に行くつもり?」

気付けばやいのやいのと血の気が多い衆にも囲われ、渦のように見えて穴だらけな輪からそろりと抜け出し盃片手に周りを見る。飲み比べの口実に使われたようで、僕の抜けた円陣の中心に酒が並べられ、わあわあと騒がしさを増して盛り上がっていた。
その輪に再び加わるほどには呑む気分でもなく、どうしようかなぁと悩んでいれば髭切、と野太い声に混じって掠れた高い声が聞こえた。とても覚えのある、聞き間違えようのない声である。声の主へと目を向けて、手招くようにゆらゆら手のひらを揺らす主にそろりと近付く。何かを計るようにこちらを睨んでいた長谷部がふいと冷奴に薬味を振るうため目を逸らしたので、なにかしら合格の印をもらえたらしかった。
硝子の杯をからりからりと揺らし、常になく崩して座る彼女は明らかに酔っている様子だ。

「お隣いいかな」
「どうぞどうぞ。その代わり条件がありますよ」
「ええー……なんだろ」
「私より先に寝ちゃ駄目です。主命です」
「それは厳しいなあ」

先程席を立ったのが退出するように見えたらしく、主にしては幼い素直さで唇を尖らせる。思わず笑ってしまえばさらに拗ねられて、そばに控える長谷部から乱雑に焼酎を渡された。逃げるつもりなど毛頭ないのに逃げ道を塞がれた気分である 。

「あらあら、ふふ」
「どうしたんだい急に笑って。僕、どこか変?」
「変です。ずいぶんいろんなお顔をされてるので」
「それは、」

君もだろう、と言い損ねて、冷奴をつついて崩した。落ちた葱をそのままにほとんど白いひとかけを口に含んで、その豆腐は私も作ったんですよと自慢げに笑う主を褒める。
豆腐一つで頬がゆるんで、主の笑みに幾多の意味があるのに気付けて、そんなことにすら気をさく己の変化に苦笑して。
ああ忙しいなぁ。顕現してから、どれだけの感情を理解したことか。全部全部が君のせいだとなじりたくとも、気持ちよさ気な酒席を乱すこともできずに酒で誤魔化すしかないのだ。 長谷部が今度はそっと氷入りの水をくれた。なんとなく、悲しい気がしながらそれに口をつけた。




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