憧憬之華
□参
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《憧憬之華・参》
後悔と胸を焦がす想いを抱く貴方に出逢った夜のことは、忘れない。
そして、別れた夜も、忘れられない。
『――ラクス、いらっしゃい』
わたくしを生んでから床に臥せがちになった母は、いつも抱きしめてくれる人だった。
『――ラクスの髪は本当に綺麗ね。母様は貴女の髪が大好き。母様の一番好きな華の精みたい』
優しく抱きしめ、優しく髪を梳き、優しく微笑んでくれた母は、一番好きな華が咲き誇る季節に逝ってしまった。
わたくしはその華が、桜が、嫌いになりそうだった。
しかし母は死ぬ間際、いつものように優しく抱きしめ、髪を梳き、そして微笑んでおっしゃった。
『――母様が好きな桜を、毎年貴女が代わりに愛でてね』
その言葉を最期に儚くなってしまった母様。
寂しくて、寂しくて、泣き暮らしていたら、いつの間にか季節は巡り、また桜が咲く季節になって。
そして、母様を喪くした同じ季節に、わたくしは貴方に出逢った。
『――ラクス、いいね?この御方は皇太子殿下だ。お怪我をなされ、今は眠っている。殿下の介抱を頼むよ』
皇后様がお亡くなりになり、宮廷から辞していたはずの父が、突然、血だらけの皇太子殿下をお連れになった桜の季節。
熱に魘され、汗をかいていた殿下の額を手ぬぐいで拭き、冷やした布を何回も変えた。
本当に皇太子殿下なのだろうか、と思いながら、介抱して数日。
殿下がお目覚めになった。
ぼぅとなさっていた殿下は、わたくしのことに気づいていらっしゃらないご様子だった。
わたくしは殿下の寝顔しか拝見していなかったから、とても驚いた。
本当に皇太子殿下かしら、という疑心は一瞬で吹き飛んでしまった。
紫凰国の正統な皇の証、貴紫の瞳を持った、唯一無二の皇太子殿下。
他者を一瞬にして捕らえ、魅了し離さないという皇の双眸。
頭の中を真っ白にしてしまうほど、美しい瞳に呑まれてしまったのだ。
清らかであり魔性な美しさを持つ、その瞳。
臣民が敬い、尊ぶ、皇の眼。
貴紫の瞳に見惚れてから少しして、正気を取り戻したわたくしは殿下がお目覚めになったと父に告げた。
部屋に転がり込んで来た父は、殿下の手を固く握り、涙を流しながら無事を喜んだ。
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