憧憬之華
□拾伍
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「なんで、後宮(ここ)にいるの」
力強く引き寄せられても抵抗なんてできなかった。
刺客と勘違いして向けてしまった簪はいつの間にか手の中に無く、目の前にまで迫った貴方に簪を探す余裕を全て奪われた。
「……なんで、っ」
掠れた声に、低くなった声に、胸が裂けそうになる。
彼の戸惑いは声からも、わたくしの腕を掴む手からも伝わってきた。
じわりと心に鈍痛が広がる。
彼を戸惑わせることを、混乱させることを、望んでいなかったのに。
わたくしという存在が、わたくしの厭うことをしていく。
やっぱり、彼にとってわたくしは邪魔な存在でしかないと突き付けられた気分だった。
「陛下ッ」
「っ…!」
辛くて思わず呼んでしまった。
苦しげな表情を浮かべた彼に、また胸が潰れた。
痛みを感じるほど腕を握られ、眉を顰めたが拘束は緩まない。礼を尽くさなくてはと思うのに、きっと質問に応えるまで離して貰えない。
緊張で恐怖で声が震えないか不安だった。
「――後宮で、女官を‥しております」
「・・・女官?」
訝しげな顔が恐ろしくなった。
――宮廷を追い出されたくない。
貴方の幸せを見届けるまで、罪を償うまで、貴方の傍から離れたくない。
そのことばかりが頭を占めていた。
「‥‥蓬蓮の、‥総督はどうした」
静かな口調で尋ねられ、ドクリと胸が一際おおきく脈打った。
蓬蓮総督。
わたくしの夫だった方。
たった四年間だけだったけれど、わたくしにとって掛け替えのない方。
「・・総督閣下からは離縁を申し渡され、この度戻って参りました」
「離縁?」
「はい」
彼の問いに頷けば、掴まれた腕の痛みがいっそう強くなり、そして東屋にあった卓子に突き飛ばされた。
打ち付けられた身体が悲鳴を上げたけれど、無様な格好をしていられず起き上がれば、顎を掴まれギラギラと光る双眸に射抜かれる。
憎悪に満ちた鋭い瞳。
それだけで、もう心は折れてしまいそうになる。
大好きな、愛している、あの瞳がもう見れない。
憎悪に染めてしまったのは他でもないわたくし自身。言い表せない後悔が胸を襲った。
四年前のあの夜。
あの時垣間見た憎悪よりも更に深く強い。
彼のために嫁ぐのだと自分に言い聞かせ、あの夜は何とか堪えた。
しかし今は。
「‥陛っ」
「離縁されたって、どうせあっちでも男に媚び売ったんでしょ?それで裏切り者の烙印でもおされた?」
「?!」
「僕を裏切って嫁いだのに、よく平気な顔して僕の前にいられるね。君、いったい何をしたいのさ」
鼻で冷たく笑う彼に涙が込み上げそうになった。しかし唇を噛み締めて必死に堪える。
これこそが、この胸の痛みこそ、願っていた罰だと言い聞かせ、涙を我慢する。
泣く資格などどこにもない。
当然の報いだ。
彼のため、彼のためだと言いながら、結局は護られることしかできなかったわたくしが悪かったのだ。
彼と一緒に宮廷に入ることも、後宮でたたかうことも、彼を支えることも、何一つできなかったわたくしが悪かった。
あの時のわたくしには、彼の傍に居続ける勇気も覚悟すら無かった。
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