憧憬之華

□肆
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「………ん」






隣から動く気配を敏感に感じ取ったキラは、一気に覚醒した。



室内には甘い薔薇の香が焚かれ情事後の湿った空気を帯びて、酷く重く感じる。





貴族の姫の嗜みと解かっていても、キラはきつい香だけは慣れなかった。








キラが知る貴族の姫は、香などに興味を持たず、自然の華の香りを身につける人。














「―――‥っ」







頭に浮かんだ顔にキラは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。



追い払いたい、忘れたい、と願っていても、ふとしたことで思い出される。








一度思い出すと、中々頭から出ていかない幼馴染み。











「‥‥‥す‥」




記憶の中にいる幼馴染みは、いつも笑顔だった。哀しくても笑うような女だった。



その姿に胸が締め付けられ、何度その白い手を握ったか。それで、彼女の哀しみが少しでも晴れればとただ願った。








純粋に笑う幼馴染み。







笑顔しか見せなかったのに、最期に見せた顔は、泣きそうに歪んだ顔だった。













「‥‥ッ」








キラは瞼の裏に焼き付き消えようとしない幼馴染みの顔を、頭を振って無理矢理に追い出す。



いつもそうして忘れた振りをする。





消えた振りをする前の儀式が、頭を振ることだった。







平気な振りをして、自分をごまかす。







この四年、キラはごまかし続けてきた。








その度に、自分を裏切り、離れ、他者に嫁いでいった女への憎しみが増す。












―――想いが増していく。









未練がましい自分に呆れていても、何も変わらない心をもどかしく感じていた。














「―――陛、下‥?」







忘れた振りが完成した時、キラの隣に寝ていた側室が目を覚ました。掛布を胸元で押さえ、起き上がる。









「‥‥お帰り、ですか?」






「……」







側室の迫った白い腕を避けるため寝台から降りたキラは、夜着を身に纏い腰紐を結ぶ。




香がきつく焚かれた部屋で寝たくない、という理由もあるが、幼少期のよう貴族の女を少しも信用できないキラは、後宮で夜を明かしたことはない。








目的が終わればささっと皇帝の自室、紫蘭殿に戻る。





この行動こそが、どの側室にも執心ではないと謂われる所以だった。











「‥では、またいらして下さるのをお待ちしています」









寝台の上で頭を下げた側室の肩から、薄緋の髪が一房滑り落ちた。




薄緋の髪は、頭の隅っこに追いやったはずの記憶を引っ張り戻そうとする。








胸中を満たす苦みにキラは眉を寄せ、寝室から出て行った。









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