月無夜

□月無夜
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――――――







「――ご当主は、まだ…?」









ラクスは隣の部屋から漏れ聞こえる声に小さく肩を揺らす。





彼女はキラの着替えの着物を取りにヒビキ本邸を訪れていた。








普段二人はクライン系列のホテルに住んでおり、私服は着物しか着ないキラの着替えをこうしてラクスが時折取りに来ているのだ。










本来キラはヒビキ家本家の当主として本邸に居て分家を取り仕切っていなくてはならない立場にいるのだが、ラクスが一年前からホテル暮らしのため無理矢理押しかけ同棲していた。








一年前の虐殺事件のせいで最も清浄な地とされていたクライン家本邸は汚れに満ちてしまった。







ヒビキの分家は今や同等の力を持ったクライン家を特別視することはなくなった為、ラクスがヒビキ家で暮らすことはなかった。










実際、分家の当主たちはたった一人の生き残りとなったラクスを疎ましく感じていた。



















「ご当主には、我ら分家から妻を娶っていただかなくては」







「…聞き入れて下さるだろうか。ご当主はクラインの巫女姫にご執心だ」








ヒソヒソと交わされる会話に、ラクスは俯いた。




自分が原因でキラが悪く言われるのは辛かった。














「もはや、…あの方は…“巫女”ではないわ。巫女でなくなったからこその、今」







「相変わらず、狐というモノは男を誑かすのが上手い」







「――あの方には、白狐…しかも九尾が憑いておるからな」











話題がキラから自分の悪口に変わったことにラクスはホッとした。




ヒビキ家本家の当主のキラが、分家たちから嫌われてはならない。







クライン家がたった一人になった今、ヒビキ家がこれからの退魔を担っていく家になるのは間違いない。




その本家の当主が、子を成せない躯の女を好いているというのは、分家からしてみれば懸案事項なのだ。















「――だが、ご当主もいずれ御理解下さる。あの方が女狐にすぎないということを」







「クラインのあの獸を宿した者は悲惨な最期を迎えるのが決まりゴト。放っておいても…いずれは」











ひとしきり着物を見繕ったラクスは、持ってきたキャリーケースに詰め、立ち上がった。





同じことを何回も聞き、飽きてしまったのだ。





クライン家虐殺の事件から一年、ずっと言われ続けてきたコトだった。












キャリーケースを引きずりながら、ラクスは心の底で謝罪した。








彼らの心労を増やしていることに。

















一年前、ラクスは全てを失った。














父親、一族、家、姉、そして巫女の資格。




















朱雀召喚の条件であった資格を失いはしたが、代わりに得たモノがあった。












戦わないで、生きていてほしいというキラの願いは、叶わなかったあの赤い月の晩。













ラクスはたった一つのモノを得る為だけに、全てを失ったのだ。














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