短編@

幸せ者
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「ゼルマンさーん」
「なんだ」
「ゼルマン君」
「なんだ」
「ゼルマン様」
「用がないなら静かにしていろ」
素っ気な古血<オールド・ブラッド>は、知人の訪問よりドミノに夢中らしい。名前を呼んでみた所で、ニット帽から出た燃える様に赤い襟足しか見えはしない。視線も好奇心も私ではドミノにすら勝てない。
私は、エアコンの効いた部屋の冷ややかな床の上も飽きて身を起こした。スカートから剥き出しのふくらはぎが冷たかった。上は上着を羽織っているので、寒さは感じなかったが、室温が低いらしい。
「しりとりでもしませんか」
「静かにしていろ、と俺は言ったんだがな」
返ってくる声は、彼の血族が扱う能力と大きく反して、底冷えする冷たさを湛えている。一人で遊ぼうにも携帯と財布意外に所持品はなく、かといって部屋に暇を潰せる遊び道具はない。ドミノを決して倒すなと部屋に来た際に言われているので壁とキャッチボールもできはしない。
やる事もないし、帰るか。
お土産が入った紙袋を彼の座るソファーに置いて、ドミノを倒さない様神経を尖らせてドアをそおっと開けると、
「また来てたんですか、転びたて<アンダー・イヤー>」
ドアを開けた目と鼻の先に、ドミノに興じる主に心酔しかっている女性が眉を吊り上げて立っていた。腕には紙袋や箱やらを大量に抱えている。
「やほーサユカさん。今日も美しいっすね」
「ゼルマン様の気を害す前に帰りなさい」
「それなら心配いりませんよう。例によって例の如く、まるっきり無視されてますんで」
ははは、と笑うと、でしょうね、ゼルマン様は貴方のような小物の相手はなさいません、と惚れてしまいそうなくらいの美貌でサユカさんは刺を含んだ台詞を吐いた。
「サユカさんはホントに一途ですねえ。妬いてまうわあ」
言われなくても帰るとこだったんです、とドミノをひょいと避け、サユカさんと入れ替わって薄暗い廊下に出る。
天井に等間隔にある小さな裸電球だけが、一本道の廊下の中程をぼうっと照らしている。廊下に窓はなく、突き当たりの階段を上りきっても陽光は扉に閉ざさて、地下に日の光は届かない。
「あっつ」
エアコンの恩恵を受けない廊下は上階からの微かな笑い声の中、真夏日の気温と無風に湿気ている。それでも地上よりか幾分マシだった。
「ゼルマン様、何処でそんな髑髏だらけの趣味の悪い帽子を手に入れられたんですかっ。直ぐに脱いで下さい!」
「アイツが俺にと置いていったんだぞ」
「転びたて<アンダー・イヤー>!」
背後で吠えるサユカさんの二度と来るなとの叫びに振り返って舌を出し、ドアを閉じる。ドア越しに硝子が砕ける様な音がした。ドアノブを掴む手に軽い衝撃が伝わってくる。
「酒ビンでも割ったかな」
これは悪い事をしとしまった。
ドアに小さく頭を下げ、背を伸ばしきった矢先、視界が赤く染まると同時にドアが綺麗に消滅した。
一瞬の出来事に何が起こったのか分からず、床に積もる炭化したドアの燃えカスに、やっとアグニの火が、感情を逆撫でされて燃え盛ったのだと理解した。
「えっと……どうかしましたか」
煙を吹く黒炭からドアを燃やしたゼルマンさんに視線を移そうとして、軍隊の様に隊列を組んでいたドミノが一部、ワインのビンの破片と赤い液体と一緒に床に散乱しているのが視界を横切り、ギクリと動きが止まった。これほどまでに800年の歳月を過ごした古血<オールド・ブラッド>の顔――――赤い相貌を見るのが怖いと思ったのは初めてだ。なまじ、以前ドミノを倒して灰に帰した吸血鬼がいる、とサユカさんから聞いて知っている分、額と背中にじっとりと浮かぶ脂汗は容赦がない。
ゼルマンさんが座るソファーの少し後ろでサユカさんも堅い表情をしている。
「倒したの、私じゃありませんよう」
「原因はお前だろ」
ホント、ゼルマンさんはサユカさんには甘いんだから。
眼前に出現した業火の起点に、全身の毛穴が開いた。悪寒にゾッと鳥肌がたつ。その全てを押し遣る烈火に、髪の燃える嫌な臭いが鼻をついた。
「今どきアフロて…………ないっすよ」
歩く度にハラハラと床に落ちる灰に、ゼルマンさんから髑髏柄の帽子を受け取って被る。
そうして何時も通りの黒いニット帽姿に戻ったゼルマンさんは、ドミノを並べるのを再開する。部屋の掃除をするサユカさんに血を焼き尽くされる前に早く帰りなさいと背を押され、今度こそ廊下を玄関に向かって歩きだす。
チラッとみたゼルマンさんには、やはりサユカさんが見繕った黒いニット帽の方が似合っていた。












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