宝箱

□『ROSE IN THE SKY』
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20万HIT記念フリーSS



『愛情のカタチ』




静寂なだだっ広い廊下に、インターフォンのコール音だけが甲高く響く。
目の前の重厚な黒扉を見据え一人佇んでいたキョーコは、左手にぐっと力をいれると、溜息まじりに言葉を零した。

「…留守、かなぁ…。社さんは‘家に帰った筈だ’って言ってたけど…」

― 何か不測の事態が起きているかもしれない ―

耳にキンと残るコール音を掻き消すほどに、体内では鼓動が大きく鳴り響く。
小さな心臓は、ぎゅうと握り締められるように強く強く軋んだ。

― 電話に…出られない状況なのかもしれない ―

頭に次々と浮かぶ想像が杞憂であればと願いながらも、キョーコの胸の奥底では、僅かな疑心が息づく。
憂慮と疑心の競り合い。
ぐらぐらと揺れ動く想いを抱えながら、キョーコは左手に握りこんでいた携帯電話のディスプレイを一瞥し、肩にかけていたカバンの口を開いた。






蓮とキョーコが、いわゆる‘恋人’の関係になってから、ちょうど3ヶ月が過ぎた頃のことだった。

流れる時の中、心を縛り付けていた頑強な鎖はいつの間にか消えうせ、いつしか温めていた思いを共有して心から互いを望むようになっていった二人。
互いに多忙をきわめる身ではあったが、二人はほんの少しの逢瀬の為の努力は惜しまず、忙しさの中にも安らげる時間を作るようにしていた。
特に蓮は、秒刻みのスケジュールの合間をぬってでも一日に必ず一度、もしくはそれ以上、愛しい恋人へと連絡を入れるようにしていた。
それは忙しさの中で恋人を不安にさせない為の彼なりの気遣いでもあり、単純に‘会えない時でも常にキョーコを身近に感じていたい’という恋心でもあった。

しかし、皮肉にも、深過ぎる愛情はキョーコの癒えかけていた傷を静かに呼び起こす。

― 俳優としてもモデルとしても一流の男(ひと)の恋人が、自分のような駆け出しの新人タレントで良いのだろうか?… ―

甘い幸福に浸っている時でも、ふとした瞬間に正体不明の苦い感情が背を這い上がり、激しく胸を掻き毟る。

深い愛情を感じる度、体内に息づく熱い想いを実感する度に、己の魅力に相変わらず無頓着なキョーコの中には、不安という名の砂塵がずんずんと降り積もり、次第に大きな山となっていった。

そんな折、今日という日があと数時間で終わるにも関わらず、蓮からの連絡が一向に入らないという事態が起こったのだ。

心に募る相反する感情たちを戦わせながらも、キョーコは渡されたばかりの真新しいカードキーを手に取ってぐっと握り締め、大きく深呼吸をしたのち、蓮へと続く扉にそっと手をかけた―。






「あれ…?」

人感センサーの感知した灯りを頼りにリビングルームへ向かうと、そこも廊下同様補助灯以外の照明は灯っておらず、キョーコの目には見慣れた風景がやけに閑散としているように映った。
ひと気のない室内は、普段そこかしこに流れている温かい空気を主(あるじ)が作り出していたのだと、如実に告げる。

「…お出かけ、なのかなぁ。………あ」

薄明かりの中、つらりと視線を彷徨わせていたその時、キョーコの目にソファ上に無造作に置かれた衣服が映った。
近づいて良く見てみると、それは見覚えのある蓮のジャケットで。
手にとると、ほんの僅かではあったが、まだ温もりが残っているように感じられた。

「…もしかして………」

途端、鼓動が高鳴る。
脳裏に浮かんだのは、まだ数度しか見たことのない、蓮の寝顔。
ドクドクと体内を支配する音をどこか他人事のように聞きながら、キョーコはまるで何かにいざなわれるように、夢の中のようなおぼつかない足取りで、微かに残る蓮の気配を追った。






「あの………失礼しまーす…」

軽くノックをしても返事のない寝室のドアをそろりと開け、恐る恐る室内を覗き込む。
広い寝室には大の男一人で眠るにも十分すぎる程の大きなベッドが常と変わらず据えられており、照明の落とされた中で、ベッド脇のライトだけがやけに煌々と光を放っていた。

「凄い…爆睡してる…」

オレンジ色のライトが照らす、ベッドの中。
薄明かりの中で目を凝らしたキョーコの視線の先に、少し身を丸めててドアの方を向く蓮の寝姿が映る。
しっかりと瞼が閉じられている事を確認したのち、キョーコは極力気配を消してベッド脇へとそろりと歩みを進めた。

余程、疲れが溜まっていたのだろう。
点けっぱなしの枕もとの灯に照らされながらも、蓮は心地良さそうにすうすうと規則正しく寝息を立てていた。

時折揺れる長い睫毛。
大きく波打つ胸元は、寝間着が肌蹴て露になっていて。
軽く曲げられた右腕は無造作に枕の下へとしまわれ、もう片方の腕はくるりと丸められたシーツをぎゅうと抱き込んでいた。

「手…痺れちゃいますよ?」

くす、と笑みを零しながら、キョーコは眠っている蓮に小さく言葉を落とす。

いつだって完璧な‘敦賀蓮’の、無防備な姿。

それが、あまりに可愛くて、どこかくすぐったくて…。
身体中に、甘酸っぱい感覚がじゅわんと広がるのを感じながら、キョーコは眠っている蓮を起こさないようにと細心の注意を払って、枕の下の窮屈そうな右腕へと指先を伸ばした。

「え」

瞬間。
強い力で右腕を引かれたキョーコの肢体が、ふわりと宙を舞う。
一瞬のうちに身体は柔らかい布をかすめ、次の瞬間には、覚えのある温もりが頬へと直接触れていた。
ぐるりと一変した視界。
大きく瞬きを繰り返すキョーコ栗色の髪がふわりと揺れ、耳には甘い低音がふわりと翳めた。

「…もしかして…夜這い、とか…?」
「…っ!!」

言葉と同時に生温かい吐息が耳元を駆け抜け、キョーコの思考が思わず混乱する。
声の響く方へとぎこちなく顔を向けると、そこにあったのは、言わずもがな蓮の秀麗な顔。
少し前までまどろみの中に居たであろう瞳は、酷く妖艶で。
瞬時に状況を悟ったキョーコは、蓮の上に重なった己の身体をなんとか離そうと、空いた手を突っ張って、思い切り後方へと身体をそらした。

「ちっ、違いますっ!誤解ですっ!はっ離して下さい〜っ!!!」
「だめ。離したら逃げちゃうだろう?せっかく君から来てくれたのに、そんな勿体無いこと…」

いつの間にか拘束されていた右手を強く引かれ、キョーコはそのまま更に強く抱き込まれる。
頬は寝間着の肌蹴た胸元へと否応無しに押し付けられ、直接伝わる熱に、キョーコの身体は顕著に桃色に染まった。

「たたた狸寝入りだったんですかっ?!」
「酷いな、今起きたんだよ」
「お、起きたばかりならっ!それらしい仕草してくださいっ!」
「ごめんごめん」
「…っ!全っ然誠意を感じられませ………むぐっ?!」

一瞬のうちにツイと顎を引き寄せられ、キョーコの唇には、蓮からのキスがふわりと落ちる。
ちゅ、ちゅ、と音を立てて数度唇を啄ばんだ蓮は、顔を離すと、瞳をまんまるく見開いたキョーコの顔を覗き込み、にっこりと笑んで見せた。

「なっ!なっ!!きゅ、急にっ!反則ですっ!!」
「反則って…。お詫びのキスのつもりだったんだけどな」
「お、お詫びっ?!全然反省が感じられませんっ!!」
「…怒ってる?」
「え…いえ、あの、その…。怒ってるというか、驚いたというか…。…よ、予告くらいしてくれたってって…」
「……電話、しなかったこと…」
「!」

再び瞳を見開くキョーコに、蓮は少し眉を下げてどこか哀しそうに笑む。
先程よりも強くキョーコを抱きこむと、蓮は栗色の髪へと顔を埋めて、ふぅ、と小さく息を吐き出した。

「敦賀、さん…?」
「…実はね、ちょっと…拗ねてたんだ」
「…え?」
「…電話。付き合い始めてから、まだ君からかかってきたこと…一度もなかったな…って」
「あ…」

少し拘束を緩めると、蓮はキョーコの顔を再びじぃっと覗き込んだ。
その美しい濃茶の瞳は、どこか翳ったようにも見えて…。
キョーコの中に依然息づいたままだった小さな疑念が、チクリと胸を刺した。

「あの…えっと…別に…今までわざとかけなかったわけじゃ…」
「うん。わかってる…」

寂しげに瞳を揺らす恋人に、キョーコの胸は更に強く痛む。

「…わかってはいるんだ。君の…人を気遣う性格だって、‘先輩’から‘恋人’へと切り替えるのにまだ時間がかかることだって、十分過ぎるほどにね…。ただ、少し…寂しかったんだ…」

ずっと、無償と錯覚する程に深く与えられる愛情に、戸惑っていた。
愛を考える程にわからなくなっていって、自分が愛を誰かに注ぐことが出来るなんて、思いもつかなかった。
自分の中だけの、問題だと思っていた。
けれど…。

― 電話を待っていたのは…寂しかったのは…敦賀さんも同じ、だったんだ… ―

キョーコの中に積もっていた山と化した苦い感情が、サラサラと音を立てて、静かに崩れていく…。




「…あの…私…。今日、敦賀さんからの電話がなくて…」
「うん…」
「いつの間にか与えられることに慣れてしまっていたんだなって…感じて…。それで…」
「‘それで’…?」
「…私も…寂しかったんです…」

温かい胸の中に抱かれたままで、今度はキョーコが蓮の顔を覗き込む。
瞬時に一切の表情を無くした蓮であったが、数秒ののちに視線を僅かに逸らして小さく咳払いをすると、少し戸惑いの色を乗せた表情で、再びキョーコへと視線を戻した。

「…本当?」
「本当、です」
「本当に本当…?」
「なんでそんなに疑うんですかっ!」
「や、何回か聞いておかないと、どうにも安心できなくて…」
「もおっ!信じてくださいっ!!」

顔を合わせ、他愛ない言い合いに思わずふき出す二人。
くすくすと笑い合いながら、二人は大きなベッドの上でゆるりと戯れる。
愛おしげにキョーコを抱きしめる蓮。
抱き込まれたキョーコは、蓮の背に手を伸ばし、ぎゅうと強くしがみついて…。

「…今度は、私から電話…しますね?」
「………うん…」

枕元の橙色のライトを浴びた蓮の耳朶が、微かに朱に染まる。
それに気づいたキョーコの胸の奥には、一切の苦い感情は消えていて…。
代わりに広がる優しい気持ちに浸りながら、キョーコは恋人へとそうっと顔を寄せ、可愛く火照る耳朶へキスを一つ落とした。







END


☆☆

EMIRIさん!20万打おめでとう。足繁く通っております。

UP遅くなったけど、その間、堪能しておりました。

拗ね蓮、可愛いぞ!
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