オリジナル

□Cruel moon〜6〜
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「凛子。凛子。着いたぞ」

物思いに耽っている内に、いつの間にか家についていた。

「あ、うん」

心、ここにあらずといった感じの凛子に樹は心配そうに問いかけた。

「どうした?火傷のせいで少し熱が出るかもしれないとお医者さんは言ってたけど、もしかして・・・」

「ううん、大丈夫。ちょっと、ボーっとしてただけ」

凛子は開いたドアから降りようとしたが、樹に待っているようにと言われた。

樹は先に降りると凛子をタクシーから抱え下ろした。

「お、お兄ちゃん。そんな・・・大丈夫だよ。ひとりで歩けるから」

不意に総一郎の言葉が脳裏に浮かんだ。

『兄貴は、おまえのこと妹じゃなくて女として好きなんだろうってこと』

(まさか・・・絶対、そんなことないよ)

気づかぬうちに、じっと樹を見つめてしまっていたらしい。樹は怪訝そうに首を傾げた。

「どうかしたのか?」

凛子は咄嗟に笑顔を取り繕うと不自然なくらい首を左右に大きく振った。

「な、なんでもない!」

「それならいいけど・・・」

凛子は樹の瞳を避けるように俯くと急いでタクシーから降りた。

そして、そのまま樹の脇をすり抜けるようにして門扉を開けると彼の制止も聞かずに走った。

「凛子、無理するな!」

樹の戸惑ったような声が背中に響いた。

一歩、一歩、足を前に出すたびに痛みが走った。

けれど、立ち止まったが最後、すぐ後ろを追いかけてきているだろう樹の顔を見るのが怖かった。

総一郎の言葉を信じているわけではない。

だが、もし万が一にでも、樹の表情に今までと異なる色を見てしまったら・・・と思うと足を止めることはできなかった。







玄関を開けると、珍しく彩葉が出迎えに出たので驚いた。

「お帰り」

「彩葉・・・びっくりした。どうしたの?今日は早いね」

すると彩葉は、それを嫌味と受け取ったらしく凛子を睨みつけた。

「なんだか、早く帰ってきちゃ悪いみたいね」

「そんなこと・・・でも、彩葉がこんな時間に家にいるなんて珍しいと思ったから」

彩葉は少しきまり悪げに言い訳をした。

「こんなひどい雨じゃ、仕方がないじゃない」

「そう・・・だよね」

走ったせいで痛みがひどくなってきた。早く部屋で休みたいが、彩葉が目の前を塞ぐように立っているため、無視して中に上がるわけにもいかなかった。

それに、なんとなくだが、彩葉が自分に何か聞きたいことがあるように思えた。そうでなければ、こんな風に凛子を出迎えたりしないはずだ。

凛子は辛抱強く、彩葉が切り出すのを待った。

「あ、あのね・・・聞きたいことがあるんだけど・・・」

「うん、なぁに?」

「さっき、いた人は・・・」

だが、彩葉が口を開こうとした瞬間、ドアが開いた。

「まったくそんなに走って痛みがひどくなったらどうする・・・なんだ、珍しいじゃないか。おまえが、こんな時間に家にいるなんて」

「・・・・・・悪かったわね」

兄妹揃って同じことを言われたのが気に障ったのか、彩葉は言いかけた言葉を途中で引っ込めると、プイっと2階へ上がってしまった。

「あ、待ってよ!わたしに聞きたいことって、なんだったの!?」

「やっぱり、いい」

「彩葉!」

それだけ言うと彩葉はバタンと自室のドアを閉めてしまった。

「お兄ちゃ〜ん」

凛子は恨めしそうに樹を睨んだ。

「どうしたんだ?」

「せっかく、彩葉が何か言おうとしてたのに・・・お兄ちゃん、タイミング悪すぎ」

「え?そうだったのか。ごめん・・・あ、でも、元々、おまえが悪いんだぞ。いきなり走り出すから」

そう言って苦笑した樹の顔は、いつもとまったく変わらぬ兄の顔で・・・凛子は気づかれないように、そっと安堵のため息をついた。

「お兄ちゃんが心配性すぎるんだよ。ね、わかったでしょ?火傷って言っても、そんなに大したことないんだから」

「まあ・・・それだけ走れれば、大丈夫みたいだな」

凛子は努めて明るく笑ってみせた。

なるべく気をつけて火傷した方の足から靴を脱ぎ中に上がると手摺に掴まって階段を一段、上がった。

「じゃ、少し部屋で休んでるね。あ、お兄ちゃん、そういえばバイトは?」

今日は家庭教師のある日だということを、ようやく凛子は思いだした。

「今日は急用ができたって連絡いれといたよ」

「ごめんね・・・わたしのせいで」

「おまえが気にすることはないんだよ」

樹はやわらかく微笑むと、じっと凛子を見つめた。

その瞳がいやに真剣なので、凛子はうろたえた。

「あの・・・」

樹は靴を脱ぎ凛子の傍までやってくると手摺の上に置かれている彼女の手の甲の上に自分のそれを重ねた。

いつもなら、なんでもない行為なのだが、またも、凛子の脳裏に総一郎の言葉が浮かんだ。

咄嗟に手を引っ込めると、樹は一瞬、傷ついたような目をした。

凛子は引っ込めたものの、その手のやり場所に困ってしまい所在なく両手を胸のところで組み合わせた。

「な、なに?」

樹は階段にかけた足を戻し、手摺を滑るようにして手を上着のポケットに引っ込めた。

「・・・ひとつだけ・・・確認したいことがあるんだけど、答えてくれるか?」

「うん。なに?」

階段にいるせいで凛子と樹の目線が同じ位置にあるのが不思議な感覚だった。

樹は、しばらく迷った後、こう訊ねた。





「おまえ・・・・・・本当は門倉のこと、どう思ってるんだ?」









凛子は、ぼんやりと校庭の端にあるベンチに座って体育の授業を見学していた。

昨日の今日なので、さすがに体育の授業に出るわけにはいかず、こうして見学しているのだが、見学者は凛子以外にはおらず、退屈で仕方がない。

今日は来週に迫った体育祭に向けて100Mのタイムを計っていて、先ほどから歓声が絶え間なく聴こえていた。

(来週の体育祭は・・・出られるよね?)

どちらかというと机にかじりついて勉強しているより体を動かす方が好きな凛子である。

こうやって何もせず、じっとしていることくらい、つらいことはなかった。

だが、今日の凛子には、こうやって考え事をする時間ができたことは幸いかもしれなかった。



昨日、樹に問われて、一瞬、言葉に詰まってしまったのは、どうしてだろう。

たかがキスくらいで総一郎のことを好きになったわけではない。だが、間髪いれず嫌いと答えることもできなかった。

なかなか答えようとしない凛子に樹の顔色が次第に悪くなっていくのを凛子は、黙って見ているしか術はなかった。

しばらくして、やっと『なんとも思ってない』と答えはしたが、樹は決して、その答えが真実だとは思っていないようだった。

それから、休むと言っていた家庭教師のバイトへと行ってしまい、結局、それから樹とは顔を合わせていなかった。

昨日は樹と仲直りができそうだったのに、また溝ができてしまったようで切なかった。

(それに・・・・・・)

凛子は女子とは反対側の方でタイムを計っている男子の群れに視線を向けた。

総一郎は遠目からでもよくわかる。

背が高いのと均整のとれた体型は大勢いる男子生徒の中でも一際目立つ。

今日、教室で顔を合わせた時、昨日のことで何か言ってくるかと思ったが、火傷のことも、ましてやキスのことさえ、まるで何事もなかったかのように、ただ普通に挨拶を言い合っただけで終わってしまった。

(・・・せめて、大丈夫だったか・・・くらい聞くのが常識なんじゃないの?)

だが、こちらの方から話を切り出すのは癪だったので、凛子も何もなかった振りをした。



だが、凛子は気づいていなかった。

自分が、ともすると総一郎の姿を目で追っていることに。





総一郎の順番が回ってきた。

(まさか、勉強だけじゃなくて走るのも早い・・・なんていったら、つくづく嫌味な男よね)

そう思いながらも知らず知らずのうちに視線が彼に吸い寄せられてしまう。

凛子のいるベンチから総一郎たちのいる場所までは、かなり距離があったから油断していた。

総一郎は凛子の視線に気づいたかのように、まっすぐ、こちらを見たのである。

だが、思わず目を見開いてしまった凛子に総一郎は、いつものように、ニヤニヤと笑いかけることはなかった。

かといって目を逸らすことなく、じっと見つめているのだ。

普段、何事も動じることなく笑みを漂わせている顔に見慣れているだけに、今の総一郎は、まるで別人のように見えた。

凛子はその視線に耐えられず、目を伏せた。と、同時にピストルの音が響いた。

そっと顔を上げると、総一郎は涼しい顔で、ひとり・・・またひとりと抜いていき、難なく1位でゴールしてしまった。

「やっぱり、嫌味な奴」

そう呟いて凛子はベンチから立ち上がった。

もうそろそろ授業が終わる時間だ。

凛子は一足、早く校舎へと踵を返した。









昼休みが終わると5時間目は美術の時間だった。

美術選択の凛子は足を引き摺りながら美術室に向かった。

あいにくと仲の良い友人たちは音楽選択がほとんどだった。



「今日は人物デッサンをします。書く相手は好きに各自、選んでいいですよ」

いかにも芸術家タイプの男性美術教師は、それだけ言うと準備室へ引っ込んでしまった。

噂では授業の間、自分も絵を描いているらしい。どうやら、どこかに出品するらしい。なので、教師は授業が終わる5分前にしか姿を現さない。

絵を描くことが好きな凛子には、美術選択は失敗だとしか思えなかった。

中には授業中、好き勝手なことができると喜ぶ生徒もいたが・・・・・・。



(誰を誘おうかな・・・)

そう考えていると隣のクラスの女子生徒から一緒に組もうと誘われた。

「ありがとう。よろしくね」

凛子が言うとその女子生徒は、にっこりと笑った。

「渋沢さん・・・でしょ?わたしは吉川美紀。あなたのことは前から知ってたのよ」

「本当?」

「うん。美人だし頭もいいし。前から話してみたかったんだ」

吉川も綺麗な子だったが、それよりも夢見がちに潤んだ瞳が印象的だった。

「ちょうどクラスで仲のいい子たちとは離れちゃったから寂しかったの。これからもよろし・・・」

吉川に向かって手を差し出した凛子だったが、その手は横から別の人間の手に奪われてしまった。

「悪ぃ。俺、ちょっと、こいつと話があるんだよ。だから、別の人間、探してくんない?」

「ちょっ・・・何、勝手なこと言ってるのよ!」

凛子は、いきなり現れた総一郎の手を振り解こうとした。だが、その手はびくともしなかった。

「いいだろ。えーと・・・吉川さん・・・だったっけ?」

「あ・・・は、はい」

吉川は、総一郎のことも知っているのだろう。真っ赤になって目を伏せると凛子が止めるのも聞かずに去ってしまった。



凛子は総一郎に向き直ると、キっと睨みつけた。

「どうしてくれるのよっ!だいたい、あんたって美術選択じゃないでしょ!?」

「俺?美術選択だけど?」

「嘘!だって、今まで授業に出てなかったじゃない」

総一郎は鼻で笑った。

「サボってたに決まってるだろ」

「じゃあ、今日は何で出てきたのよ」

「おまえに話があるって、さっき言っただろ」

総一郎は凛子の手を離すことなく言うと教室から無理矢理、引っ張り出した。

「わたしには話なんてないもの!」

大声で叫ぶと先を歩いていた総一郎が肩越しに振り返った。

「大声出すなよ。サボリがばれるだろ」

「わたし、サボるなんて一言も言ってないっ!」

すると総一郎は歩みを止めると凛子に向き合った。



「いい加減におとなしくしろよ。でないと、またその口、塞ぐぜ」

「・・・冗談やめてよ」

だが、総一郎は、すっと目を細めた。

「それは、おまえ次第だ」

握られた手が熱い。

凛子は総一郎の手と顔を交互に見比べると頷いた。



「わかったわよ」

どんな話にせよ、総一郎がいちになく真剣だということが感じ取れた。

総一郎は凛子が同意すると手を離した。

そして、さっさと歩き出した。

「ちょっと待ってよ。どこに行くの?」

総一郎は振り返らずに、ひとこと、呟いた。



「邪魔が入らねぇところ」
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