オリジナル
□Cruel moon〜2〜
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頬をハンカチで抑えながら家に帰ると、珍しく彩葉が家にいた。
「どうしたの、それ?まさか、ケンカ?」
彩葉が嫌味ではなく、口を聞いてくれたのが嬉しくて凛子は、つい笑顔をほころばせた。
「それがね、最低な男がいてね、その男に叩かれたの」
「えっ・・・おねえちゃんが?」
久々に聞いた。彩葉が自分のことを姉と呼んでくれた。
その喜びに、つい調子に乗ってしまった。
「そうなの!ちょっと、もてるからって調子に乗ってたから、ムカムカして叩いちゃったら、叩き返されちゃったんだよ〜」
彩葉は驚いているようだった。
凛子は一度も手をあげたことなどない。ましてや、人との争い事が何より嫌いだったはず・・・それを知っていた彩葉には、にわかに信じられないようだった。
「で、なんで、そんなことになったの?」
「それはね・・・」
凛子が嬉々として話しだそうとした瞬間、2階から降りてきた樹が凛子の顔を見て目を見開いた。
「どうしたんだ!?そんなに腫れて!」
「あ、ちょっとね・・・え・・・ちょっとお兄ちゃん!?」
説明しようとした凛子の腕を掴むと樹は有無を言わさず玄関へと引っ張っていった。
「どこ行くの!?」
「どこって、病院に決まってるだろ!おまえ、その顔、鏡で見てないのか?」
樹は明らかに怒っていた。
「もちろん見たよ。でも、こんなのしばらくしたら自然に治・・・」
「せっかく綺麗な顔なのに、誰がこんなことを?凛子、誰にやられた!?」
「落ち着いてよ、お兄ちゃん。平気だってば」
「凛子!」
凛子は目を瞠った。
いつも穏やかな樹がこれほど憤っているところなど初めて見たから。
樹は目を細めると腫れた頬を掌で包み込んだ。
「痛いか?」
「ちょっと・・・でも、ほんと平気だから。そんなに心配しないでよ」
樹は頬に触れたまま指で腫れた部分をそっと撫でた。
「・・・凛子・・・俺は・・・」
「お兄ちゃん?」
「男とケンカして殴られたらしいよ、それ」
何か言いたげに口を開きかけた樹へ彩葉が言った。
「なんだって!?本当か、凛子!」
凛子は、彩葉を見つめた。彩葉は、いつもの彼女に戻っていた。
冷たい眼差しと蔑むような瞳をした彼女に。
「彩葉・・・」
彩葉は、唇を噛むと、わざと凛子と樹の間を割って、ぶつかるようにして外へと出て行ってしまった。
「・・・さっきは、前のように普通に話してくれてたのに・・・わたしのこと、『おねえちゃん』て呼んでくれたのにな・・・」
頬の痛みよりも、彩葉の冷たい瞳の方が余程、痛い。
項垂れる凛子の肩に樹の手が置かれた。
「あいつも今は、ちょっと素直になれないだけだよ」
「・・・うん」
だが、凛子は、それだけではないように思えた。彩葉の暗い瞳は、ただの反抗期では済まされないように感じる。
(何があったんだろう?)
時折、感じる背中を刺すような敵意むき出しの視線は、気のせいではないと断言できる。
ただ・・・完全に嫌われたわけではないことは、先程の彩葉の表情からわかった。
「あいつのことは、気にしないこと。わかった?」
「でも、お兄ちゃん!」
「それより、彩葉の言ったことは本当なのか?男に殴られたっていうのは」
再び怖い顔になって問い詰めてくる樹に、凛子は、渋々、事の経緯を話した。
「その男の名前は?」
低い声で樹が訊ねた。
(だから、お兄ちゃんには言いたくなかったのに・・・)
凛子はため息をついた。
「言いたくない」
「どうして?」
「だって、言ったら、お兄ちゃん、わたしの敵討ちしようとするじゃない。そんなの困るもの」
遠い昔・・・凛子が泣いて帰ってくるたびに、樹は泣かせた相手にやり返してきた。
おかげで、同じ相手からは2度と泣かされるようなことはなかったが、自分のために悪者になってしまう樹に悪くて、凛子は、だんだんと泣かなくなっていった。
泣いたら、樹に迷惑がかかる。そう思ったからだ。
「どうして困るんだ?」
「・・・だって、いつまでもお兄ちゃんに頼ってるわけにはいかないよ。もう、わたしだって子供じゃないんだから・・・ひとりで解決できるもん」
凛子は、そう言い訳をした。
だが、なぜか樹は寂しそうに微笑んだ。
「・・・そうか。そうだったな・・・」
本当は、総一郎とこれ以上、関わりたくないというのが理由だった。
兄にそれを言えば、きっと樹は総一郎に会おうとするだろう。
・・・きっと、総一郎は、兄を傷つける。
兄を傷つけたくなかった。
そうして、初めて凛子は気がついた。
自分が傷ついていることに。
「あ・・・」
知らず、声に出てしまった。
「うん?」
樹は怪訝そうに凛子に訊ねたが、凛子はかぶりを振ってごまかした。
「大丈夫か?」
「え、あ、うん。大丈夫。それに、もう奴とは関わらないって決めたし、もう、こういうことはないから心配しないで」
「・・・・・・それならいいんだけど」
樹は探るような瞳で凛子を見つめている。
「そういえば、お兄ちゃん。これから出かけるところだったんじゃないの?」
凛子はこの話は終わりにしようという意思をこめて話を変えた。
「あ・・・すっかり忘れてたよ。これから家教のバイトなんだ」
「へ〜ね、人に勉強、教えるって楽しい?」
「どうかな。その子によるなあ」
樹はスニーカーの紐を結びながら応えた。
「身を入れて、こっちの話を聞いてくれて、ちゃんと成果が現れれば楽しいけど・・・いろんな子、いるしね」
「ふ〜ん」
凛子は、これ以上、樹がこのことを思い出さないようにと話を続けた。
「それで、これから行く生徒は、どんな子なの?」
「おまえと同じ高校1年生らしい。今日、初めて行くから、どんな子かなんてわからないよ」
「男?女?」
「男」
「そっか。じゃあ、安心だね」
何の気なしに言った言葉に樹が反応を示した。
ゆっくり顔を凛子へと向けて訊ねる。
「安心って・・・?」
「だって、もし女の子だったら、お兄ちゃんのこと好きになっちゃうかもしれないじゃない?そうなったら困るから」
「なんで・・・どうして困るの?」
「そりゃ・・・その子がお兄ちゃんの一番、大切な人になっちゃうってことでしょ。そしたら寂しいもん」
樹は、やるせなさそうに微笑んだ。
「・・・そうか・・・じゃあ、行ってくるよ」
「うん、いってらっしゃい。あ、夕飯は一緒に食べられるの?」
「・・・ああ、たぶん」
「じゃ、待ってるね!」
「ああ」