金色のコルダ〜月森編〜

□月森編〜5〜
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昼休みは残り、10分ほどしかなかった。

普通科から音楽科へ戻り、屋上までやってきたのはいいが、月森は購買で買ってきたパンを一口、かじっただけで食べるのを止めてしまった。

月森の隣で弁当箱を開いたのは、いいが、月森がそんなだから、自然と香穂子の箸も休みがちになる。



「ねぇ、月森くん。食欲ないの?ちゃんと食べないと体によくないよ。午後の授業もあるんだし…」

だが、月森は何かを考えているのか、香穂子の声も聴こえないようだった。

「月森くん……月森くんたら」

何度か、呼びかけると、ようやく月森は顔を上げた。

「…すまない。何か言ったか?」

「…パン、食べないの?」

「……ああ…なんだか、あまり食べる気になれなくて」

香穂子は自分の弁当の中味を見た。

(でも、何か食べないと……)

今日は、時間があったので自分で作ってきたので、あまり見栄えがよくない。

舌が肥えてそうな月森に、あげても喜んで食べてくれるとは思えなかった。

香穂子が、まるで親の敵でもあるかのように、じっと弁当箱を見つめていると、月森は言った。

「…美味しそうだな」

「え!?ど、どれが?」

弁当箱の中のおかずは、卵焼きとハンバーグとブロッコリーくらいしか残っていない。

月森は卵焼きを指差した。

「これ?ただの卵焼きだよ?それに、今日は自分でお弁当作ったから、あんまり見栄えもよくないし……」

「君が作ったのか?……君は料理も上手なんだな」

「じょ、上手って………」

月森が嫌味を言ったりするはずないから、褒められているのだろう。だが、さすがに喜ぶわけにはいかなかった。

「月森くん……卵焼きなんて、誰でも作れるんだよ?こんなの料理って言わない……」

月森とお昼を食べることがわかっていたのなら、もっとまともなのを作ってきたのに……と香穂子が後悔していると月森の手が卵焼きに伸びた。

「あっ!」

あっという間に、卵焼きは月森の口の中へ。



月森の反応が怖い。

香穂子は、恐る恐る訊ねた。

「あの……月森くん、どう…かな?」

月森は丁寧に咀嚼してから答えた。

「美味しかった」

「本当!?」

実は、味見をしてこなかったので甘さ加減に不安があったのだ。

「わたしも食べてみよう」

香穂子は、味を確かめるために残っている卵焼きに箸を伸ばそうとした。

だが、その手を月森に止められてしまった。

「月森くん?」

「……味見なら、俺でするといい」

「は?……んっ」

あっという間に月森の方へ引き寄せられると口吻けられてしまった。

味見というのには、濃厚すぎる口吻けは、ここが学校内だということを忘れさせてしまうほど長く続いた。

キスをしている最中に予鈴が鳴ったが、月森には聴こえていないのか、聴こえていて無視しているのか、一向に止める気配はなかった。

5時間目は英語だ。

宿題の提出もある。

このまま、月森との甘いキスに酔っていたいが、そうもいかない。

香穂子は必死で月森の胸を押し返した。

「つ、月森くん、予鈴!予鈴鳴ったから、行かなくちゃっ!」

だが、月森は潤んだ眼差しで香穂子を見つめたまま動こうとしなかった。

「……もう少しこのまま……キスだけじゃ足りない」

「な、何言ってるの!?」

(キスだけじゃ足りない…って……それ以上は、ムリだよ)

さっきも思ったが、明らかに月森はいつもの月森ではなかった。

なんというか……香穂子が傍から離れることを嫌がっているように見える。

「……もっと、君といたい……時間が足りない……」

「時間って……授業が終われば、一緒に練習もできるし…その後、一緒に帰れるし……なんだか、今日は月森君らしくないよ?」

そう言うと、月森は寂しそうに微笑んだ。

その微笑を見た瞬間、香穂子は訳のわからない焦燥感を覚えた。

(なんで、そんな顔するの?)

「月森君………」

月森は立ち上がった。

「……済まなかった。今、言ったことは忘れてくれないか?」

そう言うと、月森は香穂子の手を引いて立ち上がらせた。

「行こう。授業に遅れてしまう」

(月森くん?)











放課後になった。

音楽室には、月森と香穂子の他に土浦と志水がいた。

3年生ということで何かと忙しい火原と柚木も後から来るという。

加地は音楽科から借りてきたヴィオラを構えた。

「なんか、緊張するよ。ここしばらく人前で弾いたことがないんだ」

「普段どおり、弾けばいいんだよ。別に試験でもなんでもないんだからな」

土浦は同じ普通科ということもあってか、ほぼ初対面の加地に対して寛容なところを見せた。

「そうです。加地先輩。僕、ヴィオラの音、好きです。先輩のヴィオラがどんな音色を奏でるのか、楽しみです」

志水は、いつも通り、マイペースだ。

香穂子も加地の緊張を解そうと、声をかけた。

「緊張する必要ないからね。もともと、こんなテストみたいなことする必要なかったんだし」

「ありがとう、日野さん。でも、やっぱり、君とアンサンブルを組むのなら試されるのも必要だと思う」

加地は、きっぱり言うとヴィオラを構えなおした。

月森だけが、腕を組んで加地が演奏を始めるのを黙って見ている。

「曲は……そうだな。シチリアーノでいいかな?」

そんな月森をちらっと見てから、加地は演奏を始めた。



ヴィオラは、フランス語では『アルト』と声域のアルトと同一の言葉で呼ばれていることから、わかるようにヴァイオリンよりも完全5度低く、チェロよりも1オクターブ高い音色を持っている。

ヴィオラは、オーケストラでも、特にメロディを奏でるわけでもなく、高音部を声高に主張するわけでもない、どちらかというと目立たない楽器ではあるが、クラリネットと同じく人間の発声に最も近い音域を持つ。

オーケストラでは、チェロと同じく和音を支える縁の下の力持ち的な楽器なのだ。

ヴィオラがなくてもアンサンブルには困らないかもしれないが、ヴィオラが加わるのと加わらないのでは、音の厚みがまったく違う。

例えば、オーケストラでヴィオラがいなければ、楽器同士の音色がけんかをしてしまい、バランスのとれた綺麗なハーモニーにはならないのだ。



シチリアーノのゆるやかな音色は、どこか懐かしさと切なさを運んでくる。

香穂子は、初めてヴィオラの演奏を聴いたが、ヴァイオリンよりも低めのやさしい音色を、とても素敵だと思った。

このシチリアーノという曲は、ヴァイオリンでもフルートでも演奏されるが、ヴィオラだと、また随分、印象が変わる。

加地の演奏は、豊かで伸びやか…それでいて、華やかな感じだった。



「……彼の演奏は、技術的にはそれほど高いものを持っているというわけではないが、悪くないな」

月森がそう呟くのを香穂子は聞いた。

「どう?月森くん、加地くんは合格?」

「……普段、どのくらい練習しているかによるが、彼は耳もいいらしいし、素質もあるようだから」

香穂子は驚いて月森を見た。

「…耳がいいって……そんなこと、わかるの?」

「ヴィオラは、内声部の演奏が多いから音程が取り難い楽器だ。だが、彼はバランスがいい」

「……さすが、月森くんだよね。ちょっと演奏、聴いただけで、そんなにいろいろわかるなんて」

香穂子は尊敬の眼差しを込めて月森を見つめた。

「そんなことはない。恐らく、俺以外…土浦も志水くんにも、わかったはずだ。君も彼の音色に惹き込まれているような顔をしていた……」

「え?」

月森は、加地の演奏に集中していると思っていたから、自分が見られているなどとは思いもしなかった。

(やだ……間抜け面してなかったかな?)

無意識に両頬に手を当てた香穂子を月森は、もの問いたげな表情で見つめた。

見つめられると、ますます顔が赤くなってしまいそうだ。

思わず、昼休みのことまで思い出してしまった香穂子は月森の視線に耐えられず、演奏中の加地に視線を戻した。

すると、月森の手がそっと香穂子の腰に回されたのだ。

「ちょっ…月森くん?」

小声で注意を促すも、月森は構わず香穂子の腰に回した手に力をこめると、ぐっと自分の方へと引き寄せた。

「他の男に気を取られてほしくない」

耳元を掠めるように月森の唇が囁いた。

加地に対するあからさまな嫉妬心を見せる月森に香穂子は驚いた。

「月森くん……心配しなくても……わたしは……」

言いかけた香穂子を月森は制した。

「演奏が終わったようだ」

「あ、うん」

加地の演奏が終わると同時に、香穂子の腰から月森の手が、すっと離れた。

ホっとしていいはずなのに寂しいと思ってしまった自分は、どこかおかしいのだろうか?

あるべき場所に何かが足りないような気がして……香穂子は不安になった。



(どうして、そんな風に思っちゃったんだろう?月森くんは、こんなに近くにいるのに)
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