金色のコルダ〜月森編〜
□月森編〜4〜
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学内コンクールを共に戦った懐かしいメンバーがそこには揃っていた。
そして、当然、その中には柚木もいた。
柚木は、香穂子に気づくと何事もなかったかのように微笑んだ。
まるで、初めて出会った時のような純白の微笑。
だが、香穂子は、平気な顔をして微笑み返すことができなかった。
みんなに変に思われるとわかっていても、顔を逸らしてしまった。
逸らした視線の先に月森がいた。
香穂子が縋るような瞳で見つめると、月森は頷いた。
香穂子は月森の隣へ行くと金澤が話し出すのを待った。
金澤は、あいも変わらず面倒くさそうに話を切りだした。
「あ〜おまえさんたち、今度の文化祭でアンサンブル組んでみないか?」
余りにも唐突な話に誰もが耳を疑った。
1番、初めに気を取り直して訊ねたのは、柚木だった。
「まずは、どういう経緯で、僕たちにそんな話がきたのかを説明していただけませんか?」
あくまでも穏やかな彼の表情を盗み見た香穂子は、一抹の淋しさを感じずにはいられなかった。
(もう、柚木先輩にとって、わたしは特別でもなんでもないんだ……)
月森を選んだことを後悔しているわけではない。
だが、2度と素顔を見せてくれることはないということは、真実を見せてくれないということだ。
それが淋しかった。
だが、そんな香穂子の気持ちを察したかのように月森の手が、そっと香穂子のそれに触れた。
ハっとして顔を上げると月森は何も言わずに手を握り締めてくれた。
その手は、すぐに離れてしまったが、香穂子の手には月森のぬくもりがしばらくの間、残っていた。
「それはだなぁ……日野、おまえさんから説明してやれ」
香穂子がリリから言われたことを説明すると、一同は快く賛同してくれた。
「ありがとうございます!きっと、リリも喜んでくれると思います!」
「ねぇ、日野ちゃん!曲はもう決まってるの!?」
火原は、やる気満々のようで香穂子が手にしている楽譜から何枚かを手にとった。
「一応……あ、でも、火原先輩って、確かソロコンサートの他にもオケ部のコンサートもやるんですよね?その上、アンサンブルだなんて……大丈夫ですか?」
「あ〜………うん、大丈夫!なんとかなるよ!俺、日野ちゃんとアンサンブルやりたいからさ」
火原は気安くそう言ったが、背後からいつの間にやら忍び寄ってきていた金澤に、頭をコツンと殴られた。
「火原、随分と余裕の発言だが、もしかして受験生だってこと忘れてやしないか?柚木ならともかく、おまえさんは、いい加減、焦んないとヤバイだろ?」
「ひどいよ、金やん。いきなり、殴んなくったってさ〜」
「だいたい、今回のコンサートにトランペットはいらないんだよ。なぁ、日野」
「あ、いえ……まだ、ちゃんと決まったわけでは……」
土浦は火原から楽譜を奪い取った。
「どれ、見せてみろよ…弦楽四重奏曲五度第四楽章に、動物の謝肉祭フィナーレ、それとわが祖国モルダウか……確かに、トランペットは必要ありませんね、火原先輩」
「曲は、俺と日野で決めさせてもらった。なるべく、多様な曲調のもので構成した方が観客にも受けがいいからな。ってことだが……柚木、おまえさん、大丈夫か?一応、おまえさんも受験生だしな。もし、負担になるなら、フルートのパートだけ他の音楽科の生徒にやってもらっても構わないんだけどさ」
柚木は躊躇することなくOKした。
もしかしたら、柚木は参加を断ると思っていたのだが……。
「いえ、喜んでやらせていただきますよ。でも、1つ質問なんですが……この構成ですと、ヴィオラが必要ですよね。金澤先生、ヴィオラ奏者のあては、あるんですか?」
「う〜ん、それなんだがな……おい、日野。ヴィオラの方はどうなってるんだ?」
「それが………リリは、『我輩に任せるのだ〜』って言ったっきり音沙汰なくて」
香穂子が困ったようにそう答えた瞬間、スカートのポケットにいれておいた携帯のバイブ音に気づいた。
「ちょっと失礼します」
メールの送信者は王崎だった。
王崎はウィーンで開かれるヴァイオリンコンクールに出場するために日本を離れていた。
すでに一次予選、二次予選を勝ち抜いていた。
王崎からは、時々、ウィーンでの日々を綴ったメールが届いていた。今回も、そうなのだろうと思っていたのだが………。
メールを読んだ香穂子は目を見開いた。
「ヴィオラ奏者がみつかったって………」
いったい、リリはどんな魔法を使ったというのだろう。
今の王崎に、リリは見えない。
(なのに、どうして?)
王崎からのメールによると、ヴィオラ奏者の生徒は普通科にこの秋から転入してきた加地葵という名前らしい。
「加地葵?ねぇ、土浦くん。知ってる?」
「加地?ああ、2組に転入してきた奴だろ。元のおまえのクラスだ。友達から聞いてないか?俺もよくは知らないが、女子たちが騒いでたぜ。もしかして、ヴィオラ、そいつがやるのか?」
普通科から音楽科に転科して今日まで、様々なことがあって余裕がなかった。自然、前の友達との付き合いも減ってしまっていたのだ。
星奏学院に途中から転入してくることは珍しい。
しかも、楽器ができるのに、普通科に転入とは……。
土浦は香穂子に近寄ると携帯画面を覗き込んだ。
「へぇ〜王崎先輩、その加地って奴と同じヴァイオリン教室に通ってたんだな。でも、今は、ヴァイオリンはやめてしまってるって書いてある。そんなんで、本当にヴィオラが弾けるのか?」
土浦は疑わしそうだ。
「う〜ん、でも王崎先輩の推薦なんだから、きっとすっごく上手な人なんじゃないかな。わたし、明日にでも加地くんって人に会ってみるよ」
「ああ、それなら、同じ普通科だし、先に俺が聞いておいてやるよ。その方が話が早いだろ」
「ありがとう、土浦くん」
「とりあえず、これで話はついたな。まあ、なるべく俺に面倒かけないでやってくれよな。日野、アンサンブルメンバーにその楽譜、コピーして渡しておけよ。まずは個々で曲を一通りさらっとかないと、集まって練習しても意味ないからな」
そう言うと、金澤は音楽室から出て行ってしまった。
「ちぇ〜俺も参加したかったなぁ」
火原は、本当に残念そうだ。
「まあまあ、火原先輩。また機会もありますよ、きっと。先輩は、受験勉強の方に力、いれてください」
土浦が慰めるように言うと、火原は、しょぼくれた子犬のような顔で香穂子に言った。
「日野ちゃん、頑張ってね!俺、陰から見守っているからさ。アンサンブル以外で俺に出来ることあったら、何でも言ってよね!」
「ありがとうございます、火原先輩」
火原も行ってしまうと、月森、土浦、志水、冬海…そして柚木だけになった。
「あの……日野先輩とアンサンブルが組めて、わたし嬉しいです」
「僕も……嬉しいです。どんな演奏になるのか、今から楽しみです」
冬海も志水も相変わらずだが、ふたりとも心の底からアンサンブルを組むことを嬉しいと思ってくれているのが伝わってくる。
「冬海ちゃん、モルダウの練習お願いしてもいいかな?」
「はい。以前に吹いたことがあるので大丈夫だと思います」
「志水くんは、モルダウと弦楽四重奏曲五度。はい、これ」
「わかりました……どっちもいい曲ですよね……頑張ります」
「土浦くんは、動物の謝肉祭、お願いね。ソロコンサートの伴奏の方もだし、大丈夫?ごめんね、また巻き込んじゃって」
土浦は笑った。
「今さらだろ?それに、前からアンサンブルってやつに興味もあったしな……」
土浦は、いつでも香穂子の心の負担を軽くしようとしてくれる。
「ありがとう、土浦くん」
「ま、楽しんでやろうぜ。音楽は、楽しまないとダメなんだろ?」
「うん!」
前回のコンクールと違って、今回はひとりじゃない。
一緒に作り上げていく音楽。それがアンサンブルだ。
きっと、楽しいものになる。
今から、音を合わせるのが楽しみだ。
「はい、月森くん。月森くんは、弦楽四重奏曲とモルダウだよ」
「ああ……大丈夫だ」
月森のことだ。彼もまた、弾いたことがあるのだろう。
3曲中、2曲は月森と一緒にヴァイオリンが弾けると思うと、心強かった。
そして最後に。
どうやっても顔が強張ってしまう。
香穂子は楽譜を持つ自分の手が震えていることに気づいた。
(普通にしてなきゃ)
香穂子は唇を引き結ぶと柚木の前まで足を運んだ。
柚木は顔色ひとつ変えずに、微笑をたたえたままだ。
「あ、あの……柚木先輩も受験で忙しいのに…すみません。モルダウ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん。そう毎回は、練習に参加できないかもしれないけれど、出来る限りの努力はさせてもらうよ、日野さん」
「…ありがとうございます。あの、これ楽譜です」
楽譜を手渡す時、一瞬だけ指先が触れた。
思わず、手を引っ込めてしまったせいで、楽譜が床の上に散らばってしまった。
「す、すみません!」
慌てて楽譜を拾おうとすると、先に柚木が腰を屈めて拾ってしまった。
「こちらこそ、ごめんね。それより、今日はもうこれで帰ってもいいかな。これから家の用事があるんで帰らないといけないんだよ」
「あ……は、はい。お手数おかけしてすみませんでした」
柚木は、最後まで態度を崩さなかった。
まるで、もう、完全に香穂子のことは吹っ切ってしまったかのようだ。
柚木が出て行くと、志水も冬海もそれぞれ用事があるから、と帰ってしまった。
知らず知らずのうちに、大きな吐息をついた香穂子の傍には、いつのまにか月森が立っていた。
「……大丈夫か、香穂子」
「うん………変に緊張し過ぎてたみたい……」
自分で思っていたよりも動揺は大きかったらしい。
柚木が普通にしてくれているのだから、自分も…と思うのに、それができなかったことが悔しかった。
それに、自分がこんな風では、アンサンブルなど上手くいきっこない。
香穂子は胸に手をあてて深呼吸をした。
「もう大丈夫。ごめんね、心配かけて」
「いや……」
月森は言いかけて、背後にいる土浦を振り返った。
「そんな顔しなくても、出て行ってやるよ。月森、ちゃんと、そいつを支えてやれよ」
「わかっている」
土浦は、当然のように答えた月森に何か言いたげに、わずかに眉を上げたが結局、何も言わなかった。
月森とふたりきりになれば、気持ちが落ち着くと思っていたが逆だった。
何か話さなければと思えば思うほど、話を逸らすための手段のような気がしたし、黙っていれば黙っていたで、気まずくなるのは避けられなかった。
よりにもよって、3曲のうちの1曲…モルダウだけは月森がいない、アンサンブル。
金澤と話し合った結果、選曲したものだったが、やはり柚木がいない方がよかったように思う。
だが、モルダウではダメだという正当な理由がみつからなかった。
まさか、柚木と一緒では気まずいからなどとは言えない。
知らず知らずのうちにため息をついた香穂子の手の上に月森の手が重ねられた。
「……柚木先輩は、私情を持ち込まない人だ。君が普通にしてさえいれば、アンサンブルもきっと上手くいく」
香穂子は弾かれたように顔を上げ月森を見つめた。
「……問題は、柚木先輩の方ではない。君自身だと、先程の君の様子を見ていて感じた。君がそんなことでは、柚木先輩の努力を無駄にすることになる」
「……ごめんなさい」
香穂子が謝ると、月森は口を噤んだ。
「……君を責めてるわけじゃない」
「…うん、わかってる」
「…………」
いつもの冷静な表情に苛立ちが見える。
月森は話題を変えてきた。
「それより、普通科にいる加地とかいう生徒に明日、会いに行くのだろう?よければ、俺も着いていこう」
「月森くんが一緒なら、心強いよ」
「王崎先輩の推薦なら、それ相応の奏者なのだろうが、やはり自分の目で彼の実力を見てみたい」
「うん、そうだよね。どんな人かな?それにしても、王崎先輩、自分のことで精一杯なはずなのに、迷惑かけちゃったなぁ。今夜にでもお礼のメールしておかなくちゃ」
「香穂子……」
「うん?」
月森は携帯画面を見ている香穂子をじっと見つめた。
「君は……王崎先輩とは、よくメールのやりとりをしているのか?」
「うん。いろいろ相談にものってもらったりして……でも凄いよね。日本人で最終審査にまで残っちゃうなんて、滅多にないことなんでしょ?」
「……ああ、そうだな」
「さすが、王崎先輩だよね。あ、でも、きっと、月森くんが出ても同じように勝ち進めるんじゃないかな」
何の気なしに言った言葉だった。だが、月森は、真剣な面持ちで香穂子に訊ねた。
「……本当にそう思うか?」
「うん、もちろん。あと少ししたら、バンバン国際コンクールで優勝しちゃうんじゃないかな。うん、月森くんならできるよ!」
「……国際コンクールか………君こそ、どうなんだ?今は、ごたごたしているが、来年あたり学外コンクールへ出場する気はないのか?」
香穂子は顔の前でヒラヒラ手を振った。
「わたしなんて、まだまだだよ。もっともっと練習しなきゃ」
「そうか………」
それきり、月森は黙ってしまい、なんだか心ここに在らずといった感じになってしまったので、香穂子も彼の考え事の邪魔はしないように口を閉ざした。