金色のコルダ〜月森編〜

□月森編〜1〜
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「いいんじゃないか」

「う〜ん・・・でも、もう少し・・・」

香穂子が納得のいかない様子を見せると、土浦は快く、最初からピアノを弾きだした。



土浦は約束通り、香穂子の伴奏をしてくれている。

まるで、何事もなかったかのように接してくれるのが嬉しかった。

ここのところ、土浦は、放課後、ずっと香穂子の練習につきあってくれている。

土浦は、香穂子が楽譜を渡すと、少し驚いた顔をしたが、『おまえらしいよ』と言ってくれた。



いよいよ、明日は、最終選考の日。

香穂子は、今、できる最高の演奏をしようと思っていた。



あの日以来、月森とは話をしていない。

そして、柚木とも・・・・・・。

柚木のことを考えると、気持ちが沈んだ。

明日の最終選考は、星奏学院の生徒であれば、誰でも演奏を聴くことができる。

柚木は、来るだろうか?

明日・・・結果が出たら、柚木に自分の気持ちを伝えなければならない。



「おい、どうしたんだ?急に弾くのやめたりして」

土浦の呼びかけに、香穂子は、ハっと我に返った。

(いけない。集中しなくっちゃ)

余計なことを考えている暇はない。

香穂子は、弓を構えなおすと土浦に懇願した。

「ごめん。もう一度、最初から、いい?」

「わかった・・・けど、大丈夫なのか?練習しすぎて、明日の本番、腱鞘炎になって弾けなかったんじゃ、笑い事じゃ済まされないぜ」

「大丈夫。今日で最後なんだし、納得いくまでやりたいの。あ・・・でも、土浦くんは、時間、平気?わたし、この1週間、ずっと、つきあわせちゃって・・・」

「気にすんなよ。だいたい、今回のことは、俺が自分から、おまえの伴奏をしたいって言ったんだぜ?今まで、人の伴奏って、第1セレクションの時、ぶっつけ本番でやった、おまえの『別れの曲』でしか、やったことなかったんだが、伴奏もいい勉強になる。ひとりで自由に弾くんじゃなくて、人に合わせることも大事だって。何度も、おまえと合わせているうちに、おまえが、どう弾きたいか、だんだん、わかってきてさ・・・結構、おもしろいぜ」

土浦の言葉に、香穂子は、少し安心した。

「でも、やっぱり、土浦くんは、ソロが似合ってるよ。っていうか、わたしなんかの伴奏じゃ、もったいないと思う」

「そんなことないぜ。おまえは、随分、上達したし、他の誰にも真似できない、何かを持ってる気がするんだ。たぶん・・・それは、いくら努力したって得ることのできない何か・・・そうだな。きっと、月森には、無理なんじゃないか?」

香穂子は、驚いた。

「まさか。そんなわけないじゃない!」

「いや。自慢じゃないが、これでも、小さい頃から、いろんな人間の音を聞いてきたから、わかるんだ。もっと、自信、持てよ」

香穂子は、土浦が、自分を励まして言ってくれているのだろうと考えた。

それに、毎日、遅くまで練習につきあってくれてきた土浦の恩に報いるためにも、無様な演奏はできない。

「うん・・・土浦くんが、そう言ってくれるなら、信じてみる。ちょっとだけ」

土浦は、笑った。

「ちょっとだけなのか?」

「そりゃあね」

ふたりは、顔を見合わせると、吹きだした。

土浦のおかげで、大分、リラックスできた。

土浦が伴奏で、本当に良かったと香穂子は考えた。



「よし、じゃあ、もう一度、やるか?」

「よろしくお願いします」

「ああ」

そう言って、土浦が、ピアノを弾き始めた瞬間、ドアをノックし、月森が入ってきた。

「失礼する」

「月森くん!」

「何の用だ?まだ、練習、終わってないんだが」

土浦は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

月森は、目を細めると、土浦に向き直った。

「・・・少し、席を外してもらえないだろうか?」

「明日は、最終選考だ。生憎と、こいつは練習してもし足りないくらいなんだ。優秀な誰かさんと違ってね。1分1秒でも惜しいんだよ」

土浦は、先程、香穂子に言ったのとは、逆のことを言った。

「今さら、ジタバタしても仕方がないだろう?そんなこと、君も、わかっているはずだ」

そう言って、月森は香穂子を見つめた。

久しぶりに間近で見る、月森は、少し頬がこけたように見えた。

香穂子は土浦に向き直った。

「ごめん、土浦くん。少しだけ、時間くれる?」

「俺は・・・おまえが、それでいいなら、文句言える立場じゃないけど」

そう言うと、土浦は、月森を一瞥した後、練習室から出て行った。

月森とふたりきりになった香穂子は、訊ねてみた。

「月森くん・・・痩せたね。何かあった?」

「いや・・・何もない。それより、いよいよ明日だ。お互い、悔いの残らないような演奏をしよう。それだけ、君に言っておきたかっただけだ」

「うん、そのつもりだよ」

「それと・・・その・・・」

月森は言い淀んだ。

香穂子は、月森の言いたいことがわかる気がした。

「あのね、明日・・・最終選考が終わったら・・・わたし、月森くんに話したいことがあるの」

月森は、一瞬、怯えたように目を見開いたが、すぐに目を伏せ、表情を隠してしまった。

「わかった・・・明日が来てほしいような来てほしくないような・・・おかしな気分だが」

月森には、あれ以来、何も言っていない。

香穂子の中で、すでに答えは出ているが、最終選考で、持てる力をすべて出し切った後に、言おうと決めていた。

香穂子は、月森に右手を差しだした。

月森は怪訝そうに首を傾げた。

香穂子は、はにかんだように笑うと、月森の手を軽く握りしめた。

「香穂子・・・」

「わたし、頑張るから。月森くんに負けたくない」

月森は、口を開きかけたが、気持ちを抑えるように首を横に振った。

「俺も・・・君には負けない。君のために・・・いや、自分自身のためにも、最高の演奏をしてみせる」

そして、やっと月森からも手を握り返してくれた。

香穂子が微笑んで手を放そうとすると、月森は握っていた手を、ぐいっと自分の方へと引き寄せた。

弾みで香穂子は月森の胸の中に飛び込む形となってしまい、慌てて体を離そうとしたが、月森は放してくれなかった。

「こんなに明日が来るのが怖いと思ったことはない。できることなら、今、この場で、君の口を無理矢理、こじ開けて、俺のことをどう思っているのか聞いてみたいと思う」

「月森くん!」

「わかっている。でも・・・」

月森は、香穂子を抱きしめた。

そっと・・・少しでも力を入れたら壊してしまうと恐れているかのように。

自分が月森を不安にさせているのだと思うと、つらかった。

今、言えるものなら、言ってしまいたい。

けれど・・・



自分の気持ちを言葉で伝えるのは簡単なことだ。

だが、簡単だからこそ、相手に信じてもらうのは難しい。

今、香穂子が、月森に好きだと言っても、それは、一時の幻のようなもので、次の瞬間には、淡雪のように消えてしまうかもしれない。

真実の心を伝えるために、香穂子ができることは、たったひとつだけだ。

音楽は、その人の心をすべて表すという。

だから、明日は、自分の持てる、ありったけの心をこめて、演奏するつもりだ。



香穂子は月森から体を離した。

「香穂子・・・」

「お互い、明日は、いい演奏しようね」

そして、伝えるのだ。





あなたを愛している、と。
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