金色のコルダ〜柚木編〜

□柚木編〜3〜
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玄関の扉を開けると、祖母が目の前に立っていた。

「……お帰り、梓馬」

まだ6時前だ。まさか、こんな早朝から顔を合わせる羽目になるとは思っていなかった。

「…お祖母さま、随分と早起きなんですね」

柚木は内心の動揺を押し隠し笑顔を向けた。

「………昨夜はどこへ泊まったのです?もちろん、紫さんも一緒だったのでしょうね?」

祖母がそんなこと露ほどにも思っていないことなど、表情を見れば一目瞭然だった。

祖母は知っていて、敢えて柚木の口から答えさせるつもりなのだ。



「……いいえ、昨夜は紫さんと一緒に食事をした後、彼女の家まで送り届け、ホテルの部屋をとってあったので、宿泊してきました」

嘘はついていない。

柚木は、まっすぐ祖母の目を見つめて答えた。



「………そう………さあ、早く着替えてきなさい。ぐずぐずしていると、学校に遅れますよ」

祖母は、『なぜ』とは聞かなかった。

聞かれないから、柚木も余計なことは口にしなかった。



「はい…お祖母さま」

そのまま、祖母の横を通り過ぎようとした柚木の背に祖母が問いかけた。



「梓馬………おまえを信じていますよ」

柚木は首だけ後ろに回して、にっこり微笑んだ。

「……ご安心を。決して柚木の名を穢すようなことはしませんよ………お祖母さま」








香穂子は玄関の前に立つと大きく深呼吸をした。

アリバイ工作は、ちゃんとしたし何も心配することはないはずだった。

香穂子は、もう1度、大きく息を吐くとチャイムを押した。

普段なら、もうこの時間には母も父も起きている。

ドアの内側に人が近づく気配がしたかと思うと、鍵を開ける音がした。

香穂子は、ゴクリと唾を呑み込んだ。

カチャリとドアが開き、母親が現れた。

「あら、お帰りなさい。まったく急に泊まるなんて、向こうの親御さんにもご迷惑でしょうに」

香穂子は母の顔をまともに見ることができず、顔を俯かせた。

「……うん、今度から気をつけるよ」

それだけ言うと、香穂子は母の視線を避けるように階段を駆け上がった。

「あ、香穂!そういえば、昨夜、電話があったわよ」

香穂子は、ピクリと肩を震わせて、階段の途中で足を止め、振り返った。

「……誰から?」

母は呑気そうに首を傾げた。

「えーと……確か、月森くんていう男の子だったかしら?あんたなら、お友達のところに泊まっているからと教えておいたんだけど……携帯に連絡なかったの?」

脳裏に昨夜、1度だけ鳴った携帯電話。

そういえば、確かめていなかった。

「う、うん…なかったよ」

「そう……それならいいんだけど……あ、香穂、ご飯できてるから準備できたら降りてきなさいね」

「わかった」

母はまるで疑っていない。

ほっと胸を撫で下ろした香穂子だったが、もし、あの電話が月森のものだったら、と思うと胸が苦しくなった。





自分の部屋に戻り携帯の着信履歴を見たが、月森の携帯でも自宅の電話でもなかった。

着信履歴は、ただ1件……公衆電話からのみ。

(公衆電話からなんて、いったい誰から?)

もし、月森だとしても、なぜ、わざわざ公衆電話からかけてきたのだろう?

(ううん、あの電話が月森くんだったとは限らないよね?)



あの日……森の広場で自分からキスし、月森を期待させるようなことをしたくせに、結果として、2度も月森を裏切ることになってしまった。

今度こそ、香穂子は柚木を選んでしまった。

前の時とは状況が違い過ぎる。

柚木を欲し、自らの意思で彼に抱かれた。

一番、最悪な形で月森を裏切ってしまった。

今日、教室で月森とまともに顔を合わす勇気がない。

きっと、彼はすぐに自分の様子がおかしいことに気づくだろう。

(問い詰められたら………嘘なんて、つけないよ)

だが、最終選考を前にして月森を動揺させるようなことは、したくなかった。

もちろん、たとえ何があろうとも月森は自分の演奏を崩したりはしないだろう。

だが、できることなら、選考が終わるまでは月森に話したくはない。

香穂子は携帯を胸にあてて握り締めた。

瞬間、メールの着信音が流れた。

慌てて開いてみると、今朝、別れてまだ1時間ほどしか経っていない柚木からのメールだった。



『おはよう、香穂子。

いつもの時間に家の前まで迎えに行くから、それまでにちゃんと支度をしていい子で待っているように』



口元が自然に綻んでしまう。

「もう……『いい子に』だなんて、人を子ども扱いして……」

他愛のない短いメールなのに、香穂子の胸の鼓動は急速に高まった。

あと1時間もしたら、また柚木に会えるのだ。

たった1時間、離れていただけなのに、もうあれから何日も経ったかのような錯覚に陥る。

「でも………」

香穂子は、そっと唇を人差し指でなぞった。

何度も…何度も……数え切れないほど、口吻けした感触が唇に残っている。

(唇だけじゃなくて……体中…柚木先輩が触れた場所は、全部……)

柚木が触れた場所、全て…好きになれるような気がした。

柚木とは、もう何度もしてきたというのに、昨夜、初めて心から彼のことを愛しいと思った。

香穂子は、唇に触れた指を、すっと顎から首筋へと下ろした。

ちょうど鎖骨の下の辺りが、わずかに疼いている。

普通科の制服だったら、見えてしまう『それ』も、音楽科の首元までしっかりと隠れるブラウスとリボンタイは隠せるから安心しだ。

「うん、これで大丈夫だよね?」

香穂子は鏡の前で髪をかきあげて確認した。

昨夜は、誰に見られても構わないと思ったが、いろいろ憶測されるのは、やっぱり恥ずかしい。

階下から、母の呼ぶ声が聴こえてきた。

「嘘!もう、こんな時間!?」

香穂子は慌てて部屋から出ようとしたが、立ち止まると、先程のメール宛に返信をした。



『おはようございます、先輩。香穂子です。先輩が迎えに来てくれるのを待っています』



それだけ急いで打つと、香穂子は軽やかな足取りで階段を駆け下りた。
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