金色のコルダ〜柚木編〜

□柚木編〜1〜
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最初から、わかっていたことだった。

おまえは、俺ではなく、彼を愛していることなど。

そして、いつか、おまえの口から、そのことを聞かされる日が来ることも。



俺は、おまえを諦めるべきなのだろうか?








香穂子は、柚木の腕の中から身動きできずにいた。

きっと、もうすぐ月森が戻ってくるだろう。

早く、この腕を振り解いてしまわなければ・・・。

月森が好きだという気持ちに嘘はつけない。

だったら、もう、柚木との関係は終わりにしなければならない。



そう、頭では、わかっているのに、体が言うことをきかないのは、なぜだろう?

このままでは、また、月森を裏切ることになってしまう。そうすれば、また、月森を苦しめる。

今まで以上に。



香穂子は、振り絞るように声をだした。

「放して・・・・・・ください」

「おまえが本気で、俺から逃げるつもりなら、いつでも逃げられるはずだ。そうしないのは、おまえが俺を・・・」

香穂子は、耳を塞いで、叫んだ。

「違いますっ!」

認めたくない。

柚木から逃げないのは、自分の意志だなんて。

そんなわけはない。

自分が好きなのは、月森なのだ。

だから・・・・・・。

「わたし・・・月森くんにキスしたんです」

「・・・それは・・・おまえから・・・・・・という意味か?」

幾分、声のトーンが落ちた気がしたが、柚木の表情に目立った変化はなかった。

「はい」



どちらが先に離れたのだろうか。

ふたりは、いつのまにか、距離を置いていた。

「だから?おまえの気持ちが俺ではなく、彼にあるのだから、俺に手を引けって?」

「そういうつもりじゃ・・・」

「そんなこと今さらだろう?わざわざ、そんな話、聞かされなくても知ってるさ。おまえが、彼を想っていることなんてね」

香穂子は目を見開いた。

まさか、柚木が、そう思っていただなんて。

柚木に自分の気持ちをひとつも信じてもらっていなかったという事実に打ちのめされた。

月森が好きだと思い、キスをしたはずなのに・・・もう、自分の気持ちが大きく揺らいでしまっている。

たった今まで、真実だと思っていた気持ちが、ひとりの存在を目の前にした途端、砂の城のように崩れ去ってしまった。

柚木に、それを言ったことを、ひどく後悔している自分に気がついた。



『わたしね・・・森の広場で、月森くんにキスしたいって・・・触れたいって・・・あんな気持ちになったの初めてだった。今まで、自分から、そうしたいって思ったのは、月森くん・・・だけだよ』



そう、月森に告げた自分は、なんだったのだろう?

香穂子は、もう自分自身が信じられなかった。

香穂子が沈黙してしまうと、柚木は背を向けてしまった。

「ま、いい気はしないけどな。自分の女が他の男にキスしたなんて・・・おまえ、俺がそれを聞いて、どう思うと思った?俺が傷つかないとでも思ったのか?」

「柚木先輩・・・わたし・・・!」

思わず、柚木の背に腕を伸ばそうとしたが、やめた。

なぜなら、柚木が全身で香穂子を拒絶しているのが、わかったからだ。

「・・・・・・」

「・・・今のは嘘だ」

「え?」

柚木は、肩越しに香穂子を振り返ると、にっこりと笑った。

「おまえが誰と何をしようと、俺には関係ないことだ。おまえが、月森を選ぶというのなら、そうすればいい」

柚木は、確かに、香穂子を拒絶しているというのに、微笑みを絶やさない。

少し前までの香穂子だったら、簡単に騙されていたことだろう。

彼の微笑みの裏に隠された嘘に。

今のは嘘だ、と言った、その言葉こそが嘘なのだろう。

柚木は、本当に大切なことは、隠してしまう。

香穂子は、思い切って訊ねてみた。

聞いても、また、はぐらかされるだけかもしれない。

(でも・・・)

「柚木先輩は・・・それでいいんですか?わたし・・・先輩のこと裏切ったんですよ。月森くんとキスして・・・さっきは、先輩の前から月森くんと一緒に逃げて・・・それで・・・」

柚木の顔から微笑が消えた。

「・・・おまえは、そんなに俺を怒らせたいのか?関係ないって言ったのが聞こえなかったか?」

「!」

そうして、わずかに顔を歪めると、柚木は、つかつかと香穂子に歩み寄り、乱暴に顎を掴むと唇を奪った。

唇から柚木の怒りが伝わってくる。

だが、怖いとは思わなかった。

まっすぐに、感情をぶつけてくれたことが嬉しかった。

いつも、自分は柚木に振り回されてばかりで、こんな風に何の計算もなく、気持ちをぶつけてくれることは滅多になかったから。

すべて呑み込まれてしまうと思うほどに激しい口吻けが終わると、柚木は、我に返ったように、香穂子を突き飛ばした。

「・・・おまえに振り回されるのは、もう、懲り懲りだ」

(振り回す?わたしが?)

柚木は吐き捨てるように言うと、逃げるように教室から出て行ってしまった。

「柚木先輩、待ってくださいっ!」

後を追おうと香穂子も教室から出て行こうとすると、ちょうど戻ってきた月森にぶつかってしまった。

「香穂子、どこに行くつもりだ?」

「月森くん・・・あ・・・お帰りなさい。も、もう用事は済んだの?」

後ろめたさから、月森の顔を直視できない。

月森は、ここから出て行った柚木を見たのだろうか。

「・・・あ、ああ。遅くなってすまなかった。それより・・・何か急ぎの用事でもできたのか?」

「え・・・?」

「今、慌てて、教室から出て行こうとしていたから」

どうやら、月森は柚木の姿を見ていなかったらしい。

ほっとすると同時に、さらに後ろめたさが募った。

「ううん、別に・・・」

月森は、香穂子の様子が、おかしいことに気づいたようだった。

どこか探るような目をして、香穂子を見つめている。

「・・・・・・香穂子・・・」

「なあに?」

「これから少し、時間は、あるだろうか?」

「・・・あ、あの・・・」

柚木のことが気になっていた。追いかけて、きちんと話をしたかった。

月森は迷っている香穂子の手首を掴んだ。

「久しぶりに一緒にヴァイオリンを弾いてみないか?そういえば、君が音楽科に入ってきてから、一度も君の演奏を聴いたことがなかったな。どれだけ、上達してのか興味がある」

なぜ、月森が、今日に限って、そんなことを言い出したのか、香穂子には、わからなかった。

もちろん、月森の前で弾くのは、構わないが、今は、それよりも・・・・・・。

「・・・あの・・・明日・・・明日じゃダメ?」

「なぜ?」

心なしか、掴まれている手首に力が込められた気がした。

「き、急に用事を思いだして・・・だから・・・」

「さっき、君は急ぎの用事など、ないと俺に言った」

「・・・・・・それは・・・」

「最終選考まで、もう日がない。曲は、もう決まっているのか?決まっていないのなら・・・」

香穂子の脳裏に柚木の言葉が甦った。



『俺が傷つかないとでも思ったのか?』



(柚木先輩・・・)

「ごめん・・・月森くん。謝ってすむことじゃないけど、わたし・・・やっぱり・・・」

「香穂子!」

香穂子は月森の手を、そっと外すと柚木を追いかけるために走った。

・・・後ろを振り向くことはしなかった。
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