オリジナル
□Cruel moon〜8〜
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「門倉くん、助けて!」
凛子は思わず叫んだ。
だが、総一郎は凛子の窮状を目にしても別段、驚いた様子も見せない。
凛子はもう一度、苛立ったように叫んだ。
「助けてよ!」
すると、ようやく総一郎は近づいてきた。
香山は青ざめていた。凛子を掴んでいる腕がブルブルと震えている。まさか同じ高校の生徒・・・しかも香山が馬鹿にしている人間に見られるとは思っていなかったのだろう。
だが、香山は凛子を放そうとはしなかった。どころか、ますます強く引き寄せられ、凛子は夢中でもがいた。
総一郎は凛子たちの傍まで来ると笑った。
「優等生の生徒会長さんが何やってんだよ」
彼は凛子を助けることよりも、香山をからかう方がおもしろそうだと踏んだようだった。
「おまえこそ・・・タバコなんか吸っていいと思ってるのか?」
苦し紛れの逆襲は、次の瞬間、総一郎によって一蹴された。
「別にいいだろ。誰に迷惑かけてるわけじゃなし・・・あんたがやってることと比べんなよ。俺のは、ただの法律違反だけど、あんたのは犯罪だぜ」
総一郎はタバコを投げ捨て、靴でそれをもみ消してから香山の手首を掴んで捻り上げた。
「痛っ!放せ!」
「放してやってもいいけど、その代わり、こいつのこと、放してくれない?」
だが、香山が返事をする前に総一郎は有無を言わさず、掴んだ手首に力をこめた。
ボキボキっと嫌な音がした瞬間、香山は手首を押さえて蹲った。
やっと自由の身になれた凛子は、へなへなとその場にしゃがみこんだ。
総一郎は蹲って悲鳴を上げている香山の髪を掴んで立たせると、顔を近づけた。
恐怖に怯えた情けない顔をした香山が目を見開いた。
「お・・・おまえっ!・・・こんな・・・こんなことして許されると思ってるのか!?」
「許されるんじゃない?レイプされそうだった女を助けるためにやったんだから。ああ、別に言ってもいいぜ?俺にやられたって。だけど、それ言ったら最後、あんた終わりだぜ。それでもいいなら、言えば?」
総一郎は涼しい顔でそう告げると興味を失ったように香山を突き放した。
勢い余って、香山は尻餅をついた。
総一郎は、やっと凛子の様子を気にかけてくれる気になったらしい。
しゃがみこんだままの凛子の目線に合わせるように膝をついた。
「大丈夫か?」
凛子は目を瞠った。
なぜなら、総一郎の声が思いのほか優しく聴こえたからだ。
「う・・・うん」
「・・・・・・それ」
総一郎は、いくつかボタンが弾けとんだブラウスから覗く胸元に視線を移した。
慌てて凛子は前をかき合わせると唇を噛んで視線を逸らした。
総一郎が来なかったら、どうなっていたかと考えた途端、涙が溢れてきた。
「・・・・・手首、折ったくらいじゃ足りないか。ちょっと待ってろ」
「え?」
凛子が顔を上げると総一郎は立ち上がって、いまだ、呻き続けている香山のところへ近寄ると乱暴に襟首を掴んだ。
「2度と、こいつに近づいたら手首、折るくらいじゃきかないぜ。よく覚えておくんだな、生徒会長さん」
言い様、総一郎は右手首を掴んで左と同じように捻りあげた。
香山は声にならない声をあげると、これ以上、怪我させられてはたまらないと言わんばかりに逃げていった。
さすがに、香山がかわいそうな気がして凛子は総一郎に言った。
「あそこまでやる必要はなかったんじゃないの?あれじゃ、両手とも当分、使えないよ」
すると総一郎は呆れたように凛子を見つめた。
「随分、お人好しだな。あれでも、俺としては随分と手加減してやったつもりだけど」
「・・・・・・なんで?なんで、そこまでしてくれたの?」
凛子は総一郎を見つめた。
確かに『助けて』とは言ったが、仕返しまでしてくれるとは思っていなかった。
「ああいう普段は優等生面している奴に限って中身はとんでもないってね。おまえも、これから気をつけた方がいいんじゃねぇ?」
総一郎は凛子の問いをはぐらかすと手を掴んで立ち上がらせた。
「門倉くん、ほんとは・・・」
「なんだよ」
「あの・・・」
凛子は言葉を続けようとして口を噤んだ。
もしかして、自分のために、ここまでやってくれたのではないか、と思ったのだが・・・・・・。
「ううん。助けてくれてありがとう」
「ほんとだぜ。感謝してくれよ」
総一郎は、ニヤっと笑うと制服のポケットからタバコを取り出した。
ライターでタバコに火をつける仕草が手馴れている。
あまりにも美味しそうに吸っているので、凛子は訊ねた。
「ねぇ、そんなに美味しいの?」
「別に」
「じゃあ、なんで吸うのよ。タバコって体に悪いんじゃないの?」
「悪いから吸ってんだよ」
「・・・わけわかんない」
凛子は首を傾げて総一郎がタバコを吸うのを見つめた。
家では父も樹も吸わないので、こんな近くでタバコの匂いを嗅ぐのは滅多にないことだ。
不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、懐かしい香りだとさえ、思った。
凛子は、総一郎の手からタバコを盗み取ると口に咥えてみた。
だが、息を吸い込んだ途端、おもいっきり咽てしまった。
「まずっ・・・ケホッケホ・・・なんで、こんなまずいのに吸ってるの?」
総一郎は凛子の指先からタバコを取り上げると再び、美味しそうに吸いだした。
「まずいから」
「あ・・・」
「なんだよ」
「ううん、別に・・・」
急に恥ずかしくなってきた。
普通に唇を合わせるよりも、間接キスの方が、いけないことをしている気がする。
随分と大胆なことをしてしまった気がして、凛子は総一郎から視線を外した。
総一郎は黙ってタバコを吸い続けている間、凛子はハンカチを取り出すと、唇をゴシゴシと拭き始めた。
それに気づいた総一郎が横目でちらっと凛子を見た。
「嫌味な奴。おまえが先に俺のタバコに口つけたんだろ」
「つい、一瞬、ちらっと、忘れちゃっただけ!」
「なんだそれ」
総一郎は呆れたように呟くと、半分まで吸っていたタバコを投げ捨てた。
「ちょっと!ポイ捨てはダメなんだからね!」
凛子が律儀に拾いに行こうとした瞬間、総一郎に腕を掴まれた。
「そういえば、助けてやった礼、もらってないよな」
「礼?意地汚いわね。見返りがなかったら助けてくれなかったの?」
目を吊り上げた凛子を総一郎は鼻で哂った。
「常識だろ」
「何が欲しいのよ」
総一郎は、口を尖らせた凛子の腕を自分の方に引き寄せた。
「ちょ、ちょっと何?」
総一郎の胸の中に倒れこむような形になった凛子は焦って身を引きかけた。
だが、次の瞬間、顎を掴まれ唇を奪われた。
2度目のキスは1度目のキスよりも長く感じられた。
唇が離れると、ふたりは、しばらくの間、物も言わずに見つめ合った。
総一郎がこの時、何を考えていたのかは、わからない。だが、凛子は今したキスの意味を、いまだ回らない頭で必死に考えていた。
(なんで、キスなんてするの?わたしのこと、どう思ってるの?)
凛子はぬくもりを確かめようと無意識に唇を指でなぞった。
すると、何を思ったか、再び、総一郎の顔が近づいてきたので、思わず目を閉じた。
もう嫌だなんて思わなかった。むしろ、もっとキスしたいとさえ思っていた。
だが、なかなか唇が触れてこなかったため、凛子は目を開けて総一郎を見上げた。
「門倉くん?」
呼びかけると、総一郎は呟いた。
「兄貴のことはいいのか?」
なぜ、ここで樹のことを持ち出すのか。
「どういう意味?」
「どうって、そのままの意味だけど。俺とキスしたなんて知られたら、まずいんじゃねぇの?」
当然、総一郎のことをよく思っていない樹は、このことを知れば怒るだろう。
だが、その時はその時だと思う。
凛子は、きっぱりと総一郎に告げた。
さっき、総一郎が現れた瞬間、自覚してしまったのだから仕方がない。
「いいわ。だって仕方がないじゃない。門倉くんのこと、好きになっちゃったんだから」
総一郎は虚を突かれたように目を見開いた。
そして、口を開くと、呆れたように言った。
「・・・おまえ、意外とバカだったんだな」
自分でも、そう思ったので、凛子は素直に認めた。
「そうみたい。なんだって、あんたみたいな嫌な奴、好きになっちゃったんだろうって思うもの」
総一郎は軽くため息をついた。
「おまえって、もっと頭のいい奴だと思ってたけどな」
「え?」
「所詮、おまえも、ただの女だったってことか」
総一郎は、凛子を見下すように呟くと、いつもの意地悪そうな顔つきになった。
「ちょっとキスしただけで、俺みたいな、くだらない男を好きになるなんて、単純な女だって言ってるんだよ」
凛子の顔は一瞬にして強張った。
「別に・・・キスは関係ないわよ」
確かに、キスも好きになったひとつの要因だったかもしれない。
総一郎のどこを好きになったのか、と問われれば、はっきり言って、きちんと答えられる自信はなかった。
「じゃあ、俺のどこがよかったんだよ?もしかして、おまえのこと助けたからか?そんなの、ただの気紛れだよ。相手が気に食わない奴だったから、締め上げただけで、おまえを助けたわけじゃない」
総一郎は、わざと凛子を傷つけるような言葉を選んでいるように思えた。
どうして、そんなことを言うのかは、わからなかったが、どちらにしても、総一郎の気持ちが凛子にはない、ということだけは、わかった。
(・・・バカみたい。好きだなんて言わなきゃよかった)
唇を引き結び、凛子は泣きたくもないのに溢れてくる涙を総一郎に見せたくなくて、下を向いた。
「・・・まあ、どうしてもって言うなら、時々、キスくらいしてやってもいいけどな。なんだったら、それ以上のことも相手してやるぜ。どうする?凛子ちゃん」
凛子は躊躇いもせず、総一郎の頬をおもいきり叩いた。
「バカにしないでよ!さっき言ったこと撤回する!あんたなんか大嫌いっ!」
「それも言われなれてるなぁ」
総一郎はおどけた様子で肩を竦めた。
凛子は落ちていたバッグを拾い上げた。
「じゃあね。助けてくれてありがとう」
精一杯、虚勢を張って頭を下げると凛子は踵を返そうとした。
だが、次の瞬間、凛子は立ち竦んだ。
「お兄・・・ちゃん・・・」