オリジナル

□Cruel moon〜7〜
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当然のことだが、屋上には誰の姿もなかった。

授業をさぼるなんて、とんでもないことだと頭の片隅では、わかっているのだが、結局、凛子は総一郎に言われるまま後をついてきてしまった。

その気になれば、総一郎のことなど無視できたはずなのに・・・・・・。

だが、総一郎は『話がある』と言ったにもかかわらず、なかなか話を切り出そうとはしなかった。

たいしておもしろくもないだろうに、フェンス越しに見える景色を瞬きもせずに、じっと見つめているだけなのだ。

凛子は、イライラしながら総一郎が話し出すのを待ち続けた。

けれど、いい加減、痺れを切らした凛子は総一郎に告げた。

「悪いけど、もう行くからね。話があるって言ってたわりに、何にも話そうとしないじゃない」

だが、総一郎は凛子に背中を向けたまま何も言おうとしない。

「・・・じゃあね。あんたも戻った方がいいんじゃない?」

「・・・・・・」

凛子はため息をつくと踵を返した。

「あれは、なんなんだよ」

ドアを開けて足を中に踏み入れようとした瞬間、総一郎が言った。

凛子は足を止めて振り返った。

「どういう意味?」

総一郎は、ゆっくり体の向きを変えると、腕組みをし、背中をフェンスにもたれかけさせた。

「半分、冗談のつもりだったけど、あれはどう見ても普通じゃないぜ」

凛子にも、彼が何を言おうとしているのかが、だんだんと、わかってきた。

「まだ疑ってるの?いい加減にしてよ!だいたい、わたしたち兄妹のことなんて別にどうでもいいことでしょ?なんで、いちいち、つっかかるわけ?」

樹は単に普通の兄よりも心配性で妹想いなだけで、それ以上の感情はない・・・・・・ないはずだ。

凛子は、そう自分に言い聞かせると、からかうように笑ってみせた。

「なんだか、わたしに気でもあるみたいに見えるけど?」

総一郎は一瞬、虚を突かれたような顔をしたが、すぐに、ケっと顔を背けた。

「・・・んなわけあるか」

「じゃあ、いいじゃない。これ以上、わたしたちにかまわないでよ」

凛子は携帯で時刻を確認すると総一郎に向き直った。

「話は終わり・・・でしょ?」

総一郎は再び、背を向けると、ひらひらと手を振ってみせた。

「じゃあーな。真面目な凛子ちゃんは、くっだらない授業に戻れば?」

「ヤな言い方」

凛子は、ムっとした顔で呟いた。

あんな真剣な顔をして、人のことを連れ出したのは総一郎の方だというのに。

凛子は、バタンと音を立ててドアを閉めた。

だが、何か釈然としない。

結局、総一郎の目的は、なんだったのだろうか。

ただ、嫌味を言うためだけに、ここへ連れて来たとは思えなかった。

凛子は、そっと音を立てないようにドアを開けると、気づかれないように忍び足で総一郎に近づいていった。



総一郎は何を考えているのか、すぐ背後に凛子が迫ってきていることにも気づかないで、身動きひとつしなかった。

ふと、イタズラ心が沸いてきた。

凛子は息を顰めて、総一郎の背後に立つと『わっ!』と驚かせようと身構えた。

心の中で、1、2、3と数えて声を出そうとした瞬間、いきなり総一郎が振り向いたので、凛子は、びっくりして立ち竦んでしまった。

だが、総一郎の方も、まさか、すぐ後ろに彼女がいるとは思っていなかったのか、ギョっとした顔で目を見開いた。

「おまっ!何、してんだよ!?」

「い・・・いきなり振り向かないでよっ!心臓が止まるかと思ったじゃない!」

凛子は驚かそうとしたことも忘れ、総一郎に文句を言った。

「それは、こっちのセリフだぜ・・・ったく・・・!」

しかし、珍しく動揺している総一郎を見ると、凛子は少しでも意趣返しが出来たとほくそ笑んだ。

(いっつもいっつも、やられっぱなしじゃ、かなわないもんね)

「フフフッ・・・いっつもイジワルしてるから、ちょっと驚かそうと思っただけ。でも、予想外に驚いてくれたからよかった〜」

総一郎は呆れ顔で凛子を見ていたが、すぐに、いつもの調子を取り戻した。

「ふざけんな。誰だって、いきなり背後を突かれたら驚くだろ・・・それより授業に戻るんじゃなかったのかよ」

凛子は、ツンと澄ました顔で、先程、総一郎がしていたのと同じようにフェンスに顔をくっつけるようにして遠くの景色を見つめた。

空は晴れているというのに、遠く向こうは、霞んでよく見えなかった。

凛子は顔を前に向けたまま総一郎に訊ねた。

「ねぇ、さっきは何を見ていたの?」

すると、総一郎も凛子と同じように前を見たまま答えた。

「別に」

そうして、しばらくの間、ふたりは会話を交わすことなく、ただ前の別段、おもしろくもない景色を見つめていた。

校庭からはホイッスルを吹く音や生徒たちの歓声が聴こえてくるが、それ以外は静かで、こんな風に総一郎とふたり並んでいることが不思議に思える。

凛子は、だんだんと、たまには授業をさぼるのも悪くはない、と思えるようになってきた。



先程までは陽が射していたというのに、次第に空は雲ってきていた。

数刻の内に雨をもたらすことを予感させる生ぬるい風が凛子の顔を撫でていく。



「・・・雨が降るみたいね」

「ああ・・・また昨日みたいに土砂降りになるかもな」

総一郎の言葉にかすかな棘を感じた凛子は彼の方を向いた。

「昨日は、いつ帰ったのよ?病院から帰ったらいないんだもの」

話を蒸し返すつもりはなかったが、総一郎の真意が知りたいこともあり、凛子は敢えて話を振った。

なぜ、総一郎は自分にキスなどしただろう?

ただの気紛れか、それとも・・・?

「・・・さあ?・・・どうだったかな」

総一郎は伸びをすると、首をぐるぐると回した。

「・・・・・・ねぇ、足の具合はどう?・・・くらい聞いてもいいんじゃないの?」

総一郎は興味なさげに首を回し続けている。

凛子は苛立ちを隠せずに言い募った。

「だいたい火傷したのって、あんたのせいじゃない!ひとことくらい謝ってもいいと思うんだけど?」

すると、やっと総一郎は凛子の方を向いた。

「俺のせいかよ?あれは、おまえの不注意だろ」

凛子は目を剥いた。

「何言ってるの!?あんたが、いきなり、あんなことしたからじゃないっ!いったい、どういうつもりで、あんなことしたのよ!?」

いきり立つ凛子に対し総一郎は冷静だった。

「どういうつもりもなにも・・・ちょっと興味があったってとこかな。兄貴が実の妹のおまえにマジになるくらいだから、よっぽどイイのかと思ってって、とこか?」

頭で考えるより先に手が出ていた。

凛子は蒼白になると総一郎の頬を思いっきり叩いていた。

気づいた時には、叩いた自分の掌がジンジンと熱を持つほどに痛んでいた。

総一郎は赤くなった頬をそろりと撫でただけで何も言おうとしなかった。

「これ以上、お兄ちゃんのこと侮辱したら許さないからっ!」

怒りのせいで目尻に涙が浮かんだ。

ほんのちょっとでも、気を許してしまった自分自身が許せないと思った。



「金輪際、あんたとは縁を切るから!」

「縁を切るって・・・別に俺と凛子ちゃんは何の縁もないだろ?」

総一郎は、せせら笑った。

総一郎にとって、彼が言うようにキスなど何の価値も意味もないのだということを思い知らされる言葉だった。

凛子は、キっと彼を睨みつけると噛みしめていた唇をゴシゴシと何度も手の甲で擦った。

そんなことで総一郎とのキスがなかったことになるとは思わないが、やらずにはいられなかったのだ。





教室へ戻ると吉川は別の生徒と組んでデッサンをしていた。

もう残り時間はわずかだった。今さら、書き始めても到底、仕上がりっこないので諦めた。

凛子は真っ白なスケッチブックを、まるで親の敵のように見つめた。

すると徐々に総一郎の顔の輪郭がそこに浮かび上がってきた。

思いだしたくもないのに、なぜか顔の事細かな部分まで凛子は描けるような気がしてならなかった。

それが嫌で凛子は、何も描かれていないスケッチブックを鉛筆で乱暴に塗りつぶした。







結局、書き上げられなかった者は明日までに仕上げて提出するようにということになった。

その中でも凛子は何も描いておらず真っ白のままだったので美術教師に心配されてしまった。

いつもの凛子なら授業時間内に課題が終わらないということなどなかったからだ。





家に持って描いてくるか、それとも学校で描いていこうか、どっちにしようかと悩んだが結局、凛子は家で描くことにした。

描く相手は誰でもいいということだったので、彩葉にでもモデルになってくれるように頼もうと思ったのだった。

もっとも、彩葉が承知してくれる確率は限りなくゼロに近いだろうけれど。

授業がすべて終わり、昇降口で靴を履き替えていると偶然、香山に会った。



「こんにちは、渋沢さん。今、帰り?」

「あ・・・香山先輩」

凛子は香山に気づくと顔を強張らせた。

香山とは屋上で気まずい別れ方をして以来だった。

だが、香山はそんなことなかったかのように屈託のない笑顔を凛子に向けた。

初めは、いい先輩だと思っていたのだが、総一郎のことを偏見の目で見る彼が、実は見た目通りの人間ではないのかもしれないと感じていたのだが・・・。

今は総一郎に対して悪感情で一杯だったため、もしかしたら香山の言うことの方が正しかったんじゃないだろうかと考えた。

凛子は顔を綻ばせると満面の笑みを浮かべた。

「香山先輩も今、帰りですか?だったら、一緒に帰りませんか?先日は、せっかく誘っていただいたのに失礼なことしちゃって・・・」

すると香山は一瞬、息を呑んだように目を瞠った。

「?」

香山がなかなか返事をしてくれないので凛子は首を傾げた。

「あの・・・もしかしてこの前のこと怒ってます?」

やはりまだ機嫌を損ねているのかと思っていると香山は我に返ったように凛子を見つめた。

「いや・・・別に怒ってはいないよ。というか、君の方から誘ってくれるなんて思ってもみなかったから、ちょっとびっくりしてね。嬉しいよ」

香山はそう言って笑うと快く応じてくれた。

「それじゃあ一緒に・・・あ・・・」

凛子は前方から歩いてくる総一郎に気づいた。

彼の方も凛子に気づいたのか、ぴたっと足を止めた。

「渋沢さん、どうかしたの?怖い顔して・・・なんだ、君か」

「どーも。優等生の生徒会長さん」

総一郎は、そう挨拶した。一応、先輩に対して敬意を表したように見えなくもないが、その態度は完全に香山をバカにしていた。それを証拠に総一郎は香山をそれきり無視し、凛子の傍まで来ると何事もなかったかのように笑いかけてきた。

「凛子ちゃん、俺と一緒に帰ろうぜ」

「はぁ?あんた、さっき、わたしが何て言ったか覚えてないの?」

凛子はあきれ果てたように総一郎を見た。

どれだけ自分が怒っているか知らないわけではないだろうに。

「覚えてるぜ。けど、承諾した覚えはないな。おまえが勝手に言ってるだけだろ」

(好きでもなんでもないくせに!)

きっと、ただの暇つぶし。興味本位で近づいてくるだけなのだろう。

これ以上、不愉快な思いをさせられるのは、ゴメンだ。

凛子は馴れ馴れしく肩に伸ばされた手を冷たく振り解くと再度、言った。

「わたしは、もう2度と、あんたと関わるつもりはないから!」

それだけ言うと凛子は香山に向き直った。

「早く帰りましょう、先輩」

「あ、ああ」

香山は、ちらっと総一郎を見やった。

総一郎は、まったく堪えた様子もなく、涼しげな顔をしていた。

その余裕綽々の態度が気に障ったのか香山は、凛子の腕をとると勝ち誇ったような笑みを総一郎に向けた。

「残念だったね。でも選んだのは彼女自身だから悪く思わないでほしいな」

だが、総一郎は、まったく表情を変えないまま言い返した。

「別になんとも思ってませんよ。どうせ、こいつは俺への腹いせにあんたを選んだだけでしょうから」

「なっ!!」

凛子は彼の自信満々な言い方にムカっときた。

(信じらんない。あれだけ言ってやったのに!)

呆れるほど傲慢な総一郎に何か言い返してやろうと凛子が口を開こうとした時、香山に止められた。

「こんな奴の挑発に乗る必要はないよ。言い返せば言い返すほど、君が傷つくだけだ」

「でも!」

凛子は唇をギュっと噛みしめた。

香山は、そんな凛子を宥めるように背中にそっと腕を回した。

「行こう」

「・・・はい」

凛子は総一郎から顔を背けると香山に背中を押されるようにして歩き出した。

「バイバイ、凛子ちゃん」

総一郎のあっけらかんとした声が聞こえたが凛子は振り向かなかった。
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