オリジナル

□Cruel moon〜6〜
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樹の手当てが早かったため、凛子の足は多少、痛みはあるものの、痕にはならないと医者に言われた。

それを聞くと凛子よりも樹の方がほっとしたようだった。





タクシーの中で樹は後部座席のシートに深く体を沈めると息をはいた。

「おまえに火傷の痕なんて残ったら俺は自分を許せなかったよ」

凛子は驚いて樹の顔を見た。

「どうして?お兄ちゃんに責任なんてないじゃない。不注意だった、わたしのせいだもん」

だが、樹はそれを否定するように強くかぶりを振った。

「おまえをあいつとふたりきりになんてさせなければ、こんなことにはならなかったんだ」

「お兄ちゃん・・・」

凛子が火傷したのは総一郎のせいだと樹は考えていた。

総一郎にお茶を射れようとしなければ、凛子が火傷を負うこともなかったのだから。

凛子は樹の責めるような視線を避けるように窓の外に目を向けた。

窓に雨が吹きつけている。

雨は一向に止む気配を見せていない。

そういえば、総一郎はどうしただろう。

気づいた時には、彼の姿は見えなくなっていた。

樹には言わなかったが、凛子が誤って薬缶を取り落としてしまったのには理由があった。

それを聞けば、樹がまた総一郎に対して怒りを顕にするだろうと思い黙っていたのだが・・・。






(あんな石頭なんかじゃなかったのに!)

ガスレンジの火が生き物のように踊っている。

火は薬缶の底の半分しかあたっていなかった。

だが、考え事をしている凛子の目には映っていなかった。

以前の樹は何事にも寛容で、滅多に怒ることなどなかった。

それが最近は、ちょっとしたことで樹は目くじらをたてる。

そしてそれは凛子に対してのことばかり。

(最近のお兄ちゃんは、ちょっと嫌い)

今日だって、昨日のことは、やっぱり自分が悪いと思ったから、謝るつもりでいたのに、あんな頭ごなしに言われたら凛子だって黙ってはいられない。

凛子だって、総一郎のことを信用しているわけではない。だが、彼が自分に何かするとまでは思っていない。

総一郎は自分になど手を出さずとも、いくらでも相手がいるだろうと思っているからだ。

(あいつ・・・ルックスいいしね。性格は最悪だけど、頭もいいしお金持ちらしいし)

凛子は、ふと家に入る前にした会話を思いだした。



「家が多少、金持ちだからって俺には関係ないね」



(お家の人と、あんまりうまくいってないとか?だから、あんなに捻くれちゃったのかな?)

そんなことを考えていると、てっきり、おとなしくリビングにいたと思っていた総一郎の声が背後から聞こえてきた。

「とっくにお湯、沸いてるけど?」

「えっ!?あっ・・・な、なんで?いつから、そこにいたのよ!?」

凛子は火を止めることも忘れ、後ろを振り返った。

「いつって、結構、前から。ぜっんぜん気づいてくれねぇし」

総一郎は、ニヤっと笑った。

「もしかして、俺のことでも考えてた?」

「バッ・・・!ち、違うわよっ!なんで、あんたのことなんか考えなきゃいけないの!」

凛子は言い当てられたことが恥ずかしくて赤くなった。

(でも、ずーっと考えていたわけじゃないもの。ほとんど、お兄ちゃんのこと考えてたんだし)

すると、凛子の気持ちを見透かすように総一郎は訊ねた。

「ふ〜ん・・・じゃ、兄貴のことか」

凛子は一瞬、ギョっとして総一郎を見つめた。

「図星だろ」

総一郎と樹のことで話す気はなかった。

彼に話したところで何の解決にもならないことは、わかっていたし、返って、ちゃかされるに違いない。

凛子はため息をつくと総一郎を無視し、ようやく火を止めた。

長いこと沸騰させていたせいで蒸気がキッチンのタイルを曇らせていた。



「別に何も考えてなんかいなかったもの」

総一郎に背を向けたまま答えると彼は意地悪い口調で言った。

「なんかさ、あんたの兄貴って普通じゃねぇよな。普通、妹相手に、あそこまで熱くなるか?」

凛子は、総一郎の方に、くるっと体を向けると、キっとなって言い返した。

「お兄ちゃんは、人一倍、優しいの!だから、わたしのことが心配なの。あんたみたいな奴、突然、連れてきちゃったし。いやらしい言い方しないでよ」

凛子は樹のことを大切な家族・・・兄だとしか思っていなかったから、総一郎の勘ぐるような言い方が気に障った。

(そうよね。いっつも、わたしが、こいつのこと悪く言っているの聞いてるから、印象悪くて当然だったよね。お兄ちゃんは悪くないのに、ついカっとしちゃって)

凛子は総一郎の目の前をすり抜けるようにして、樹がいるであろう廊下へと向かおうとした。

謝らなくては、と思ったのだ。

「ちょっと待てよ」

総一郎に呼び止められた凛子は立ち止まった。

「ちょっと待ってて。わたし、お兄ちゃんに謝ってくる。お茶は、その後、すぐ淹れるから」

「今は行かない方がいいんじゃねぇの?」

「どうして?」

総一郎は何を思ったのか、凛子を下から上へと眺めた。

「あのさぁ・・・おまえが今、謝ったって、それはおまえの自己満足だけで、兄貴にとっては根本的な解決にはならないんじゃねぇ?」

「どういう意味?」

総一郎には、凛子がわからない樹の気持ちを理解しているようだった。

「要するに、だ。兄貴は、おまえのこと妹じゃなくて女として好きなんだろうってこと」

凛子は一瞬、目を見開いたが、すぐに、ケラケラと笑いだした。

「何、バカなこと言ってるの?そんなわけないじゃない」

「なんだ。全然、気づいてないのか。そりゃ、兄貴も参るよな」

凛子は腰に手を置くと口調を変えた。

「いい加減にしてよ!」

「俺は別に冗談で言ってるわけじゃないぜ。そんなに信じたくないなら、試してみればいいんじゃないか」

「何を、よ」

凛子が憤然と口を尖らすと総一郎は凛子の二の腕を掴んで、グっと引き寄せた。

「ちょっ、何するのっ!?」

「声、あげたければあげろよ。そしたら、きっと兄貴がすっとんでくるぜ」

そう言って総一郎は、さらに体を密着させると右手を凛子の頭の後ろへと持っていき力をこめた。

今にも唇と唇が触れ合わんばかりに顔を近づけられた凛子は目だけを逸らした。

「こんなことして、あんたに何の得があるっていうの?」

「さあ?まあ強いて言えば、おまえのことは結構、気に入ってるし、言ってみれば人助け?」

総一郎は終始、顔から笑みを絶やさなかった。

こんなこと本気なわけない、とわかっている。

だが、もし、このまま、じっとしていたら本当にキスされてしまうかもしれない。

凛子は精一杯、虚勢を張って総一郎を睨み返した。

「勝手なこと言わないでよ。わたしは、あんたなんか嫌い。だいたい、家へ呼んだらキスは、なしって言ってたじゃない!」

「気が変わった」

総一郎は、あっさり言ってのけると凛子の目を覗き込んだ。

「キスなんて、たいしたことない。別に好きじゃない相手とだって、できるんだぜ」

「!」

唇を奪われた凛子は、必死になってもがいた。

だが、総一郎は簡単にやめる気はないらしく、徐々に深く口吻けてきた。

初めてのキスは好きでもなんでもない相手。

なのに、頭の芯がしびれてくる。

このまま身を委ねてしまったら、いったいどうなってしまうだろう、と凛子は考えた。

あと3秒、続けていたら相手が総一郎だということも忘れ、キスに溺れてしまったかもしれない。

だが、総一郎はその手前で唇を放した。

「初めてだったろ?」

その言葉で一気に凛子は目が覚めた。

(そうよ!初めてなのに、なんで、こんな奴と!)

悔しさと恥ずかしさのあまり、凛子は勢いよく体の向きを変えた。瞬間、ガスレンジに体があたり、その振動で薬缶が落ちてきた。

元々、不安定だったのがいけなかった。

「熱っ!!」

咄嗟に避けたのだが、脚にかかってしまった。



「見せてみろ!」

総一郎の行動は早かった。

驚くほど敏速に手近にあった布巾を掴むと蛇口を捻り、水でそれを濡らすと湯がかかった部分に当てた。

沸騰直後ではなく多少、冷めていたのが幸いだった。

凛子は痛みに顔を顰めた。

「痛むか?」

総一郎の顔から笑みは消え、心配そうに凛子を見ていた。

(こういう顔も、ちゃんとできるんだ・・・)

普段、憎らしいくらいに超然としてるので、動揺したり心配するなんてことはないのかと思っていたから、驚いて一瞬、痛みを忘れたほどだ。

「う・・・ん。少し」

凛子は膝をついて火傷の手当てをしている総一郎の顔をそっと見つめた。

たった今まで、この唇が自分のそれに触れていたのが嘘のようだ。

(わたし・・・こいつと・・・)

そう思った瞬間、視線に気づいたのか、総一郎がこちらを見た。一瞬、目が合ったが、すぐに凛子は目を伏せてしまった。

「なんだよ」

「な、なんでもない・・・」



その後、すぐ樹がやってきたのだった。
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