オリジナル

□Cruel moon〜5〜
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3分もたたないうちに、凛子は傘にいれていってやろうとしたことを後悔していた。


(無駄に背が高いから傘、さしかけるの疲れるし、今日に限って、何にも喋らないし・・・)


そろそろ腕が痛くなってきた。凛子は左手から右手へと傘を持ち替えようとした。


「持ってやるよ」


総一郎が傘を奪い取ったため、急に視界が広がり、傘の先端から雫が滴り落ちた。


凛子は思わず総一郎を見上げた。


「どういう風の吹き回しよ」


「俺のせいで、明日、筋肉痛になったら悪いだろ」


確かに総一郎が持った方が楽だし自然だ。


だが、妙に落ち着かない。


(変な誤解されたら困る)


これではどう見てもカップルにしか見えないだろう。


そういえば、先程から、ちらちらと視線が向けられているような気がする。こんなところを知り合いに見られたら、たまったものではない。


「やっぱり、わたしが持つから返して」


凛子は立ち止まると総一郎から傘を奪い返した。


「なんで?」


「誤解されるの、イヤだからよ」


「誤解?」


総一郎は聞き返した。


「だって、ほら見てよ。さっきから視線、感じない?」


「別に」


本当に何も感じていなかったのなら、総一郎は相当、鈍感だ。


「絶対、明日の朝には噂されてるわよ。あ〜あ、やっぱり傘なんていれなきゃよかった。あんたが有名人だってこと忘れてた」


最近、知ったことだが、総一郎はある一流会社のひとり息子らしかった。


その上、ルックスも良く、頭もいい。先日の中間テストで高得点で1位をとったことで、さらに有名になり、学校中で知らないものはいなくなった。


そんな人間と同じ傘で帰ろうものなら、嫉妬されても仕方がない。


(わたしがいれてあげなくても、傘を貸してくれる女の子、たくさんいたかも・・・)


だが、総一郎は、まったく気にしている様子はなく、再び、傘を奪い取ると、凛子の肩に手を置くと自分の方へ引き寄せた。


「何するの!?」


「何って、そんな離れてたら濡れるだろ」


「あんた、今のわたしの話、聞いてなかったの?」


総一郎は笑った。


「別に気にすることないだろ。言いたい奴には言わせとけばいいんだし」


「わたしは、イヤなの!ちょっと、肩から手、離してよ」


「別にいいぜ」


総一郎は、あっけなく手を離した。


凛子は肩が濡れるのも構わず、できるだけ彼から離れた。


「これ以上、近づかないでよ」


「濡れるぜ。いいのか?」


「いいって言ってるじゃない」


凛子は、つんと顎をあげた。


総一郎は忍び笑いをもらした。


「家に着くまでには、肩から伝った雨が染みて下着が透け透けだろうな」


凛子は総一郎を睨み返した。


だが、やがて、すごすごと元の位置に戻った。


「残念」


総一郎は再び笑うと凛子の歩幅に合わせるように歩き始めた。




それから、ふたりは黙ったまま歩き続けた。


初めは怒っていた凛子だったが、次第に総一郎と肩を並べて歩くことが苦ではなくなってきた。


それに、元々、勝手に怒っていたのは凛子の方で、総一郎は何も悪くなかったのだということにも気づいた。


要するに、ただのやつ当たりだ。


けれど、どうしても総一郎を前にすると素直になれなかった。


どうしてなのだろう、と凛子は考えた。


いつも余裕の態度で不遜に見えるからなのか。それとも、すべて見抜かれてしまいそうで怖いからなのか・・・。




上目遣いに総一郎を見やると、視線に気づいた彼と目が合った。


「なんだよ?」


「べ、別に・・・なんでもない」


凛子は慌てて、頭を振った。


総一郎は怪訝そうな顔をしたが、すぐに興味を失ったように前を向いた。


総一郎の前でだけ、凛子は平常心でいられない。その意味を、まだ知ることはなかった。






凛子は家が近づくにつれて気分が沈んでいくのを感じていた。


(お兄ちゃん、もう帰ってるかな?)


できることなら、もう少し時間を潰してから帰りたかった。


予定では今日は家庭教師のある日で、いつもなら大学から一時、帰宅してから軽い食事をとって出かけるのだ。


今は4時半。このまま帰るとかち合う可能性もある。


どんな顔をして会えばいいのかわからない。樹のことだ。謝れば、何事もなかったように笑ってくれるかもしれない。けれど、なんとなく以前とまったく変わらないで接してくれるとは思えなかった。


なぜ、そう思うのか凛子自身、説明できないのだけれど。




凛子は立ち止まった。


「ねえ、これから時間ある?もし暇だったら、これから家に来ない?」


樹は総一郎をよく思っていない。家になど連れて行ったら、さらに機嫌が悪くなるかもしれない。けれど、こんな奴でもいないよりはましだと思った。


総一郎がいれば、落ち込んだ姿を見せられない。樹と顔を合わせたとしても、普段どおりに振舞うことができるだろう。


なぜなら、凛子は総一郎にだけは弱い自分を見せるわけにはいかないからだ。




「どういう風の吹き回しだよ。さっきは、また今度にしろとかなんとか言ってなかったっけ?」


凛子は澄ました。


「気が変わったの。ほら、嫌なことは、さっさと済ませたいじゃない?」


「嫌なことってなあ・・・ま、いいけど。じゃあ、行くか。暇だしな」


「先に言っておくけど、制限時間は1時間だから。1時間たったら帰ってね」


凛子は、にっこり笑った。


とりあえず1時間あれば、その間は樹とふたりきりにならなくてすむし、それで家に呼ぶという約束は果たされる。一石二鳥だ。


「わかったよ」


総一郎は不満をもらすことなく承諾した。







家の灯りは消えていて誰もいる気配はなかった。


凛子は、ほっとしたように息を吐くと総一郎に向かって、ここよ、と告げた。


門扉に手をかけ開けると自分は中に入らず、先に総一郎をいれた。


総一郎は物珍しげに庭のあちこちを見ている。


「あんたの家ってお金持ちなんでしょ。だったら、小さくてびっくりでしょ」


総一郎は皮肉げに嗤った。


「家が多少、金持ちだからって俺には関係ないね」


「関係ないったって、お父さんの会社、継ぐんでしょ?」


「継がねぇよ」


「え・・・」


総一郎は、そう吐き捨てるように言った。


どんなことに対しても怒ったりせず受け流すような彼にしては珍しい。


凛子は思わず彼を伺い見たが、すでに彼の表情からは何も読み取ることはできなかった。


ただ、少しだけ歩調が速まった以外、何も変わった様子はなかった。謝りの言葉を口の端に上らせかけた凛子は結局、口を噤んでしまった。




階段を上がり、玄関を開けようとすると鍵がかかっていた。


(やっぱり誰もいないみたい)


凛子はドアを開けると、くるっと振り返って念を押した。


「誰もいないからって、変なことしないって誓ってからじゃないと家にいれないわよ」


「変なことって、どんなことだよ」


凛子が困るのがわかった上で言うのだから始末が悪い。


「変なことって言うのは、わたしが嫌だと思うこと全部」


「わかった。しない。これでいいんだろ?それにしても、全然、俺のこと信用してねぇな、おまえ」


凛子は先に中へ入るように総一郎を促しながら頷いた。


「あたりまえじゃない」


「やれやれ」




玄関に樹のスニーカーがないことを確かめると凛子は総一郎にスリッパを出してやった。


「いらない」


「なんで?」


総一郎は、片足だけスリッパを履いて見せた。


すぐに凛子は納得した。スリッパから踵がはみ出ている。総一郎には小さすぎるのだ。


そういえば、と改めて見ると、入学したての頃よりも総一郎は背が伸びているような気がする。


凛子は複雑そうに総一郎を見上げた。


「いったい、どれだけ大きくなれば気が済むのよ」


「さあ?でもいい加減、止まってほしいけどな」


「どうして?」


総一郎は、屈むと凛子の顔を覗き込んだ。


顔を近づけられた凛子は思わず頭を後ろへと逸らせた。


「だって、身長差があり過ぎるとキスするの大変だろ」


凛子は、からかわれていると知りながらも赤くなった。


「そ、そんなの、背がつりあう子とすればいいじゃない!」


凛子だって背は低い方ではない。だが、長身の総一郎とは20cm以上、差がある。


自然、話す時に見上げるようになってしまうのが嫌だった。


プイっと顔を背けると総一郎は笑いながら元の姿勢に戻った。


「顔、真っ赤だぜ、凛子ちゃん」




その一言で総一郎は凛子から追い出されかけたのだった。








「待ってて、ちょっと着替えてくるから」


結局、傘は二人、十分に入れるほど大きくなかった。肩が雨に濡れて張りついてしまったのが不快だったから、早く、制服を脱いでしまいたかった凛子は総一郎をソファーに座らせるとお茶も出さずに二階へと上がってしまった。


ひとり取り残された総一郎は、することもなくソファーに背を預けると目を閉じた。


凛子をからかうのは、非常に楽しい。こちらの思惑通りに反応してくれる素直さと意地でも自分に弱味を見せまいとする頑固さも総一郎には望ましかった。


媚を売るような女には辟易していた。


それに比べると凛子は彼の目に新鮮に映った。


そして何より、興味があった。




彼女は記憶の底に埋もれてしまった大切な物を呼び覚まそうとする。


けれど、それが何なのかわかりかねていた。


初めて会ったはずなのに、凛子を見た時、懐かしさを感じた。


だが、何度、考えても思い出せないのだ。


(俺の記憶違いか・・・?)




時折、フっと思い出しそうになるのだが思い出せない。


それは、総一郎にとって、とても大切なことのはずなのに・・・・・・。




総一郎は目を開けた。


思いだせないものを考えても仕方がない。


「ま、そのうち思いだすだろ」


総一郎は頭の後ろで手を組むと天井を見上げた。


トントンと音がする。どうやら、リビングの上が凛子の部屋らしい。


総一郎は立ち上がった。
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