オリジナル

□Cruel moon〜4〜
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凛子は職員室の前の廊下に張り出された中間テストの順位を穴の開くほど見つめていた。


一瞬で目の前が真っ暗になったと同時に悔しさがこみ上げてきた。


今まで、これほど勉強してきたことはなかったというのに、それでも敵わなかった。


(悔しい悔しい悔しい!)


今の凛子の頭の中にある言葉は、それしかなかった。


凛子の背後では、歓声や失望の声が上がっている。


大きなため息をつき、肩を落としたまま踵を返そうとすると、香織に肩を叩かれた。


「凛子、すごいじゃない!2番なんて!」


「あ、うん、まあ・・・」


だが、ちっとも喜んでいないどころか不満そうな答えに香織は首を傾げた。


「どうしたの?まさか、2番で不服だなんて言わないでよね」


「・・・順位がどうとかって、関係ないのよ」


凛子は再び、順位表に向き直ると一番、左端を指し示した。


「あれ。どうしても、あいつに勝ちたかったの!」


香織は、首席を示す1の数字の下に書かれた名前を見ると、感嘆の眼差しで呟いた。


「すごいよねぇ、門倉くん。1番だなんて・・・しかも500点満点中、490点って、何者!?」


「なんで、あんな奴に負けちゃうかなぁ。わたし、テストが始まる1週間前から、毎日、睡眠時間、3時間で頑張ったのに・・・」


樹にまで、勉強をみてもらったというのに結果がこれだなんて、情けなさすぎる。樹にも会わす顔がない。


しかも、1位と2位の点数差は30点もあるのだ。羽月の台高校は県内でも有名な進学校だ。毎年、有名国公立、私大に多数の合格者を出しているほどだ。


その高校のテストで平均90点以上とることは、かなり難しいはずだった。それを、あの男は軽々と凛子の遥か上を行っている。


これが悔しくなかろうか!




その上、このテストでは重大な賭けをしていた。最大の問題は、凛子の負けイコールキスひとつ・・・を総一郎にやらねばならないということだった。


凛子は頭を抱えた。


「絶対、イヤ〜」


突然、そう叫んだ凛子に香織が驚いたように訊ねた。


「ちょっと、凛子、どうしたっていうのよ?」


「理由は・・・言えないけど、でも、人生最大っていうくらい重大な問題を抱えてるのよ〜」




「大げさだな。キスくらい、減るもんじゃなし」


「減るわよ!人事だと思って・・・って・・・か、門倉総一郎!」


いつの間にか、例によって例のごとく、ニヤニヤと人をくったような顔をして総一郎が立っていた。


「キスって?」


何も知らない香織は怪訝そうな顔をした。


「な、なんでもないの・・・・・・ちょっと、こっち来て!」


凛子は総一郎の腕を引っ張ると人混みを避け、人気のない空き教室へと彼を連れ込んだ。




凛子は手を放すと自分から握ったにも関わらず、まるで汚い物にでも触れてしまったかのように手を祓った。


「なんだよ、その態度は」


「それよりっ!」


凛子は総一郎に詰め寄った。


「あんなこと、人前で、ベラベラ喋らんないでよ」


「あんなことって、どんなことだよ」


「だから・・・」


完全におもしろがっているだろう、総一郎の顔を見たくなくて凛子は総一郎の背後の黒板に視線を向けた。


「と、とにかく、負けは認めるわよ。賭けをしたのは、わたしだし」


「潔いなあ、凛子ちゃん」


凛子は握った拳を震わせた。本当なら、彼に勝って、二度と『凛子ちゃん』などとバカにした呼び方をさせまいと思っていたのに。


総一郎は、なんとしても顔を見るまいとしている凛子の顎に手をかけた。


凛子は目を見開いた。


「ちょっ!何するの!負けは認めたけど、いいなんて言ってない!」


「そりゃあ、話が違うんじゃねぇの?」


凛子はいまだかつて、キスをしたことがない。一応、年頃の夢見る乙女としては、ファーストキスにそれ相応の夢を抱いているのだ。だから、こんな好きでもなんでもない(いや、積極的に嫌いな)男にやるわけにはいかないのである。


凛子は、グっと顎に力をこめて総一郎を睨みつけた。


総一郎は、なお余裕の態度で凛子を見返した。


「いつも、えらそうなこと言ってるのに、いざとなったら逃げるのかよ」


そう言われると、言葉に詰まった。


1度した約束のだ。それに、この男にバカにされたくはない。


凛子は覚悟を決めると目を閉じた。


「いいわよ。さっさと、したら。約束は守るわよ」


「そ?じゃあ、遠慮なく」


凛子は唇を噛みしめた。


「おい、それじゃ、できないだろ?」


総一郎は苦笑しているようだった。目を閉じているので、総一郎が今、どんな表情をしているのかわからない。


凛子は、噛みしめた唇をわななかせて、わずかに開けた。


肩に手を置かれた。


次に唇に息がかかった。


思わず、ギュっと目を閉じて、その瞬間を待ったが、何を思ったのか、待てど暮らせど、その瞬間は訪れなかった。




いい加減、焦れて、凛子は目を開けた。すると、笑っている総一郎の顔がすぐ目の前にあった。


「ど、どうしたの?早くすればいいじゃない!」


「う〜ん、そうだな・・・そんなに俺のこと嫌がってる奴にしてもなぁと思ってさ」


総一郎はそう呟くと制服のポケットからタバコを取り出し火をつけると堂々と凛子の前で吸い始めた。


「ちょっ!未成年は、タバコ禁止でしょ!」


そう言って、取り上げようとしたのだが、あっさり総一郎にかわされてしまった。


「だって、仕方がないだろ。おまえがキスしてくんないんじゃ。口が寂しくってさ」


凛子の家では誰もタバコを吸わない。嗅ぎ慣れないタバコの匂いと紫煙に眩暈がする。


けれど、それは決して不快なものではなく・・・そう感じたことに凛子は内心、驚いた。


彼が吐き出す煙を黙って見つめていると、不意に思いついたかのように総一郎が言った。


「キスの代わりにさ・・・」


凛子は我に返った。


「な、何よ?」


「そう、いちいち、身構えるなよ。あのさ、おまえんちに招待してくんない?」


「・・・・・・はぁ?」


凛子は思ってもみないことを言われて唖然とした。


「なに、考えてるのよ!」


総一郎は、ニヤっと笑って机にタバコを押し当てて消した。


「俺は別にどっちでもいいんだけどな。おまえに選ばせてやるよ。キスとお宅訪問。どっちがいい?」








「早まったかなぁ・・・」


凛子は、そう呟くとため息をついた。


ソファーに深く体を沈めてクッションを抱える。


思えば、キスは一瞬、家に呼ぶと、少なくとも1時間は総一郎の顔を見ることになる。


後先、考えず、つい後者を選んでしまったが、後悔が先に立った。


(だいたい、なんだって、うちへ来たいなんて思ったのかしら?)


理由を訊ねると、総一郎は『単なる気紛れ』と答えた。


気紛れで決めないで欲しいと言うと、総一郎は、明らかに嘘だと思われる言葉を吐いた。




『俺、女の子の家って行ったことないんだよ』と。




「まったく、バカも休み休み言ってよね!」


心の呟きがつい声となって出てしまったことに気づかないほど憤慨していた凛子は不意に肩を叩かれて飛び上がった。


「なに、ぶつぶつ独り言、喋ってるんだ?」


樹だった。


凛子は樹の顔を見るときまり悪げに視線を逸らした。


「な、なんでもないよ」


「・・・そうか・・・」


樹は首を傾げてから、凛子が今、一番、聞かれたくないことを訊ねてきた。


「そういえば、今日、中間テストの結果が出るって言ってなかった?」


「え、あ・・・うん・・・その・・・出たよ」


歯切れの悪さに樹は聞かずとも凛子が門倉総一郎より順位が下回ったことを知った。


「そっか・・・俺の力不足だ。ごめんな、凛子」


樹は、自分の責任だというように頭を下げた。慌てたのは凛子の方だ。


「何、言ってるの!?お兄ちゃんは一生懸命、教えてくれたもの。あいつに負けたのは、わたしの力が足りなかったせい。だから、頭なんか下げないで!」


凛子は樹の腕へと手を伸ばした。だが、瞬間、樹は凛子に触れられるのを避けるように身を引いた。


(え?今・・・わたし、避けられた?)


やっぱり、兄は怒っているのだろうか?凛子は不安になった。期待に応えられなかったから、がっかりしているのだろうか?


「ご、ごめんね。今度は、もっと頑張る!満点とるくらいの勢いで勉強しないと、あいつを負かすことできないみたいだから・・・あ、でも心配しないで。今度から、お兄ちゃんの手を煩わすようなことしないから」


凛子は一気にそう捲くしたてた。


すると樹は、じっと凛子を見つめると腕を伸ばして凛子の頬に触れた。


「お、怒ってる?」


樹は睫毛を伏せて、ゆっくりと首を左右に振った。


ほっと安堵した凛子は、その時、ようやく樹の様子がいつもと違うことに気づいた。


どこか思いつめたような真剣な面持ち。


問いたげな眼差し。


「おにいちゃん?」


どうかしたのかと凛子が問いかけると、樹は呪縛から解き放たれたかのように腕を、さっと引っ込めた。


「ごめん。ちょっと疲れてるみたいだ」


樹は立ち上がると何かに怯えるようにリビングから出て行ってしまった。


凛子は、ひとりになると再び、ため息をついた。


「呆れられちゃったかな・・・」


樹は優しいから何も言わなかったけれど、教え甲斐のない妹だと失望してしまったのではないか、と凛子は不安になった。


(もっと、ちゃんと謝ろう)


凛子は2階へ上がってしまった樹の後を追った。
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