金色のコルダ
□胸の振り子
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2度目のキスが1度目とはっきりと異なっていた点は、柚木自身が明確な意思を持って
香穂子を欲したということだ。
柚木は塞いだ香穂子の唇をこじ開けるように舌を差し入れた。
腕の中に抱きしめている香穂子は、小刻みに震えていたが、より深くなった口づけに、一瞬、ビクっと大きく躰を震わせた。
・・・抵抗されるのは覚悟の上だった。けれど、香穂子は震えるだけで柚木を突き放そうとはしなかった。
もしかしたら、それは下手に動くことで月森にみつかることを恐れた故かもしれない。
それとも、余程、柚木のことが恐ろしいか・・・。
柚木は香穂子の舌を探し当てると強く吸った。
以前のキスと明らかに違うことを香穂子も感じているに違いない。
閉じていた瞳が驚いたように見開かれ、柚木を見つめている。
だが、柚木は目を閉じてしまった。今は、余計なことを考えたくなかった。
ただ・・・今、この瞬間だけは香穂子は自分のものだと実感していたかった。
やがて、靴音が遠ざかり、ドアを閉める音が聞こえても柚木は香穂子を放そうとしなかった。
それどころか、ますます口づけは深くなり、香穂子は息をするのがやっとだった。
抵抗は、できたはずだ。もう、ここに月森はいない。なのに、なぜ、自分はキスを続けているのだろう?
なぜ、柚木は、キスをやめようとしないのだろう?
好意のかけらも、自分には持っていないはずなのに・・・
嫌がらせ?玩具だから、何をしてもいいと思っているから?
息を継ぐために、わずかに離された唇は、すぐにまた香穂子のそれに近づき甘い吐息と共に重ねられる。
気づくと、いつのまにか香穂子はベッドの上に横たえられ、柚木はその上に覆いかぶさるように口づけている。
黒く長い、柚木の髪が唇の角度を変えるたびに、ゆらゆらと揺れ、香穂子の頬を撫でた。
こんなことをしていては、いけない。
学校の・・・鍵もかかっていない無防備な保健室のベッドの上で。
香穂子は、無意識に頭を振った。
(そうじゃない・・・学校とか、場所が問題なんじゃなくて、
わたしには月森くんが・・・月森くんを、わたしは好きなのに・・・)
そう思うのに、躰が動かない。柚木を跳ね除けられない。
目を開けると、黒髪がまわりの風景を遮断しているので、柚木の顔以外には何も見えない。
(なんて、長い睫毛なんだろう・・・・)
常に、端整で気品のある面持ちの柚木は、今、まったく別の顔を見せていた。
香穂子だけに見せる意地悪な顔でもない。
それは・・・。
(男の人の顔だ・・・)
そう思った瞬間、柚木が目を開けた。
わずかに唇を離す。ほんの数ミリしか離れていない状態のまま、柚木は、囁いた。
「なぜ、突き飛ばさない?」
「・・・・・・」
香穂子は何も言えなかった。
言葉では説明がつかないからだ。
「もう、ここで俺にキスされてる必要はないだろ?」
「・・・・・・」
答えない香穂子に柚木は、切なげに目を細めると香穂子の頬に触れた。
「もし・・・もしも、俺が・・・」
瞬間、香穂子の携帯が鳴りだした。
ふたりは、ギョっとして顔を見合わせた。
香穂子は、迷った末、携帯を取り出すと着信画面を見た。
(月森くん!?)
慌てて、携帯を耳にあてると月森の声が聴こえてきた。
「香穂子?」
「あ・・・・・・うん」
「今、どこにいるんだ?」
「あ・・・えっと・・・」
妙に月森の声が近いような気がする。
「まだ、時間かかりそうなのか?」
「・・・う、うん。あと少し・・・少ししたら行くから」
「そうか。それじゃ、待っている」
携帯が切れると、香穂子は、ほっと息を吐いた。
「行くのか?」
香穂子は答えずにベッドから降りた。
柚木は香穂子を背中から抱きしめた。
だが、香穂子は今度は、振り払った。
「わたしのことなんか、好きでもなんでもないくせに!・・・それなのに、こんなことしないでくださいっ!」
「・・・いつ、俺がおまえを嫌いだなんて言った?俺は、嫌いな奴にキスなんかしないぜ」
香穂子は、驚いて振り返った。
「・・・それって、どういう・・・?」
「・・・好きだから、キスした。他に理由なんてない」
「柚木先輩?」
柚木は、堪えるように一度、目を閉じると、乱れた髪をかきあげ、いつもの意地悪な表情で香穂子を嗤った。
「・・・・信じたか?・・・そんなわけないだろう?」
柚木は、困惑している香穂子を突き飛ばした。
「キャッ!」
床に尻餅をついた香穂子の前に柚木は屈みこんだ。
「いい様だな、日野。俺がおまえなんか、本気で相手にするはずないだろ?」
「・・・ひどい」
「ひどい?おまえも、満更じゃなかったみたいじゃないか?まあ、楽しませてもらった礼くらい言わないとな」
香穂子は、唇を噛みしめると、柚木の頬を思い切り叩いた。
柚木は、避けなかった。
香穂子の目から涙がこぼれ落ちるのを、柚木は黙ってみつめていた。
(叩いた方が泣くなんて、おかしいじゃないか・・・)
香穂子は、右手の甲で、ごしごしと目を擦った。
だが、涙の痕は消えてはいなかった。
「もう、絶対、こんなことしないでくださいっ!!」
そう叫ぶように言うと香穂子は走って出て行った。
遠ざかっていく足音を聞きながら柚木は、頬をそろりと撫でた。
「あいつ・・・思い切り引っ叩きやがって・・・」
危うく忘れるところだった。
香穂子が好きなのは、自分ではなく月森だということを。
忘れ果て・・・危うく、恥をさらすところだった。
『好きだ』
『おまえが欲しい』と、言ってしまうところだった。
たった数分前までは、この腕の中にいたことが信じられなかった。
もしかして、夢だったのかと思いたいが、頬の痛みが現実だと教えてくれる。
「とんだ道化者だな、俺は」
柚木梓馬ともあろう者が、たった一人の少女に振り回されているなんて考えたくもない。
けれど・・・あの一瞬だけは、手に入れられるかもしれないと信じてしまった。
香穂子の唇を奪ったら、全て月森から奪い取ったような気がしていた。
月森のところへ行くと言った香穂子。もし、あの時『行かない』と一言、言ってさえくれれば、事態は変わっていたのだろうか?
泣いて追いすがることは、プライドが許さなかった。
同情されるくらいなら、思い切り憎まれた方がましだと思った。
あれほどの想いを込めてキスをしても、香穂子に何も伝わらなかった。
「あんな鈍い奴・・・なぜ、この俺が・・・」
柚木は自嘲気味に嗤った。
だが、予感がある。また、同じような状態になれば、きっと自分は香穂子を抱きしめてしまうだろう、と。
(まったく、どうかしてる・・・あいつは、俺のことを嫌っているのに)
柚木は唇に残る熱を指でなぞった。