金色のコルダ

□幸福という名の君
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君の元へ駆けて行って、それからどうしようなどとは何も考えていなかった。


あるのは、ただ君に会いたい、それだけだった。






香穂子の家の前まで来たはいいが、こんな夜遅くにチャイムを押すことは、ためらわれた。


2階の窓には明かりがついている。




まだ眠ってはいないのか?




胸の鼓動が、スピードを増したのが自分でもわかった。


会いたい。




会って、そして・・・・・。




心の中で君の名前を何度も呼んだ。


想いが届くように。


そんな虫のいい話、あるはずもない。


想うだけで、相手に通じるのなら誰も苦労はしないだろう。


だが、もし、君があの窓を開けて、自分に気づくことがあるのなら・・・・・


心に決めた。


自分の気持ちを伝えようと。


たとえ、君が誰を想っていてもかまわない。


この抑えきれない想いを知っていてもらいたい、そう思った。






「つ、月森くん!?」


2階の窓が、ガラっと音を立てて開いた瞬間、月森は奇跡を信じた。



「どうしたの?」


香穂子は驚いているようだった。




無理もない。こんな行動にでた自分自身が、驚いているのだから。




「月森くん、こんな時間にどうしたの?」


「・・・・・君に聞きたいことがあって」


口に出した瞬間、不安と恐れでいっぱいになる。


「なぁに?」


君は、答えてくれるだろうか?




「・・・・・・日野・・・・・俺は、君が・・・・」


・・・・・・・好きだ・・・・・・




月森は、ふるえる手で香穂子を抱きしめた。


「月森くんっ!?」




自分は、ちゃんと言えたのだろうか・・・・。


ちゃんと、『君を好きだ』と伝えることができたのか・・・・・。


たった数秒前のことなのに記憶があやふやだ。


けれど、それを確かめたくとも君の顔を見ることができない。


もし拒絶されたらと思うと恐ろしくて動くこともできない。


君が俺以外の誰を想うとも、君の自由だ。強制はできない。


でも、拒絶しないでほしい。


こんなに他人を愛しいと感じたのは、君が初めてなのだから。




香穂子は、月森が震えていることに気づいていた。


だが、震えていることを隠す余裕も、今の月森にはないようだった。


「月森くん・・・・今の・・・・本当?」




伝わったのか?






月森はようやく日野から離れると頷いた。


「君が好きだ・・・・・それをどうしても今夜、伝えたかった」


香穂子は、あまりにも突然の出来事にどう対処していいかわからなかった。


今まで、誰からも、こんな風に告白されたことなんてなかった。


片思いなら、いくらでもあった。


でも、その想いも、時間が経てば忘れられるくらいの簡単なもので・・・・。


香穂子は、自分が月森のことをどう想っているのか、はっきりとは、わかりかねていた。


月森のことは好きだ。


彼の音色に心惹かれている。


月森の音楽に対する姿勢は尊敬しているし、香穂子が悩んでいる時に力になってくれた。


そんな月森から、好きだと言われて嬉しくないはずがない。





月森は、香穂子をじっとみつめたまま香穂子の言葉を待っている。



『私も、好き』と答えるのは簡単だ。


でも、そんな軽々しく答えてしまうのは、月森に対して誠実ではないような気がした。


「あの・・・・・私・・・・」


香穂子が言いかけると、月森は不安げに瞳を揺らした。


「・・・・本当は、君に答えを求めるつもりではなかった。

君が俺を好きでなくても、それは仕方がないことだと思う」


香穂子は、慌てた。


「ち、違うの!私、月森くんのこと好きだよ。でも・・・・・」


月森は、わずかに笑ったようだった。


ちょうど月が雲の間に隠れてしまって、表情がよくわからなかった。



「『でも、特別ではない』・・・・違うだろうか?」


「それは・・・・」


(どうしたらいいんだろう)


香穂子は自分の気持ちがわからなかった。


でも、今ここで、何か答えをださなければ月森は香穂子の前から去ってしまうだろうか?


(そんなの嫌だよ・・・)


今日、月森に避けられただけでも、悲しかったのだ。


香穂子が困っていることは、月森にもよくわかった。


嫌われてはいない。だが、月森が想うように香穂子は自分を想ってはいない。


(自分の気持ちを伝えられただけでも、いいじゃないか・・・)


「すまなかった。こんな夜遅くに・・・・・君を困らせるようなことを言って。それじゃ」


月森は香穂子から視線を逸らしそう言うと、踵を返した。


「待って!」


香穂子に呼び止められて月森は立ち止まった。


だが、振り返ろうとはしない。


「・・・・・・」


「私、月森くんが好き。でも、私、月森くんに想ってもらえるような人間じゃないよ」


そうだ。香穂子は魔法のヴァイオリンのことで嘘をついていた。


きっと、本当のことを話したら嫌われてしまう。


「そんなことはない。君は俺が持っていない物をたくさん持っている」


香穂子は、ゆっくり首を横に振った。


嫌われるのは、つらいけれど、ちゃんと話しておかなければならない。



勇気をだして・・・・・そうでなければ、月森を裏切ることになる。



「あのね、月森くん・・・・わたし、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」


すると、月森は香穂子が驚くほど、はっきりと息を呑んだ。


「・・・・・知っている」


(知ってるって・・・・まさか!?)


月森は、魔法のヴァイオリンのことを知っているというのか?


「月森くん・・・・知ってたの?いつから?」


月森の顔が、再び月の光に照らしだされた。


青白く見えるのは、月のせいか、それとも・・・・。


「今日。セレクションが始まる前・・・・・・控え室に行く途中に偶然、見てしまったんだ」


「控え室?セレクションの前?・・・・・えっ、それって!?」


香穂子は月森が何を言おうとしているのか気づいた。


(じゃあ、誰かに見られたと思ったあれは、月森くんにだったの!?)



香穂子は思わず口に手を当てた。


「ショックだった」


月森は、その時のことを思いだしたのか顔を強張らせた。


「えっ、あの、でも・・・・あれは、柚木先輩が・・・からかって・・・それで・・・」


自分に非はないはずなのに、どうして後ろめたい気分になるんだろう。



香穂子は、月森の顔をまっすぐに見ることができなくなって、下を向いてしまった。


(なんで?別に、私、柚木先輩のことなんか・・・・)


香穂子が、下を向いていると、影が落ちた。


ハっとなって顔を上げると、すぐ近くに月森がいた。


「君に聞きたい。君は、柚木先輩をどう思ってるのかを」


香穂子が、柚木を想っているのなら、仕方がない。


けれど、そうでないのなら・・・・・・。


月森は、到底、本気だとは思えない柚木の美麗な横顔を思いだした。





『日野さんは、僕のことが好きなんだよ』


『嘘だ』


『どうして、そう思うの?だったら、彼女に聞いてみるといい』


『なにをですか?』


『今日のが初めてじゃないんだよ』


『・・・・・・え?』




事実かもしれない。香穂子は柚木を好きなのかもしれない。


けれど、本気には見えない柚木になど、渡したくはなかった。





想いは、あっという間に、貪欲さを増していく。


最初は、自分の気持ちを伝えられるだけでいいと思っていた。


それが、いつしか、受け入れてもらいたくて、今は、自分に向けさせたいと願っている。


こんなに浅ましいほど誰かを欲したことはない。


恥も外聞もなく、ただひたすら香穂子を自分だけの物にしたいと思う。





(こんなはずではなかった。俺は、ただ・・・・・)


月森は、頭を振った。


もう言い訳は止めよう。


月森は、そう思い切ると、香穂子に言った。




「答えて欲しい。君の気持ちが知りたい」




俺を好きだと、君の口から聞きたいんだ。






狂おしいほどの気持ちが、香穂子の心の中に流れ込んでくる。


月森の瞳を見ていると、このまま押し流されてしまいそうになる。





好き・・・・・と答えても、いいの?




でも、その前に・・・・香穂子は、月森に魔法のヴァイオリンの話をした。


どうしても言わなければならなかった。軽蔑され、嫌われてしまうかもしれない。


けれど、それを隠したまま月森の想いに応えることはできなかった。
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