金色のコルダ

□心ふるわす夜の月
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香穂子の奏でる音は、まだ体に馴染んでいないヴァイオリンだというのに、

繊細で暖かくて・・・・それでいて、とても自由な気がした。


少なくとも、月森にはそう、聴こえた。


(そのヴァイオリンは、魔法のヴァイオリンではないのに・・・・)


月森は気づいていたのだ。


香穂子のヴァイオリンが、普通のヴァイオリンではないことに。


だから、初めは、そんなもので演奏し、神聖なセレクションの場に出場しようとする香穂子が図々しく、卑怯な人間だと思っていた。


音楽の何たるかも、わかっていないど素人と同じ舞台に立つなどと、

考えただけでも腹が立った。


だが、香穂子は、いつしか魔法のヴァイオリンが奏でる音ではなく、自分自身の音で演奏できるほど上達していった。


弾けば、必ず誰にでも音が出る・・・・演奏できるヴァイオリン。


でも、それだけでは月森の心を揺り動かすことはできない。


月森が惹かれたのは、香穂子の魂が奏でる音色にだ。


それが証拠に、魔法のヴァイオリンでなくなっても、こうして香穂子の音は、月森を酔わせる。




月森は、夢見るようにヴァイオリンを奏でている香穂子の伏せた睫が開くのを

息を殺してみつめていた。


音楽の夢から覚めた時に、一番、最初に目に入るものが自分であってほしい。



そんなこと馬鹿げたことを考えてしまった月森は、自嘲気味に笑った。


「バカなことを・・・・」


月森が呟いた瞬間、最後の一音が、空気に吸い込まれるように消えていった。


会場内に、拍手が沸き起こった。


香穂子の演奏が終わると同時に脳裏に蘇った思いだしたくもないシーン。



月森は、隣に座っている、余裕の表情で舞台に視線を向けている柚木をみつめた。




香穂子は瞳を開けた。


恥らったように紅潮する頬と潤んだような瞳。


きっと、香穂子自身、満足のいく出来だったのだろう。


今、自嘲したばかりだというのに、香穂子の視線を追って月森は息を詰める。





だが、その瞳は月森の上で止まることはなかった。






「日野先輩・・・・あの・・・・・すごく素敵でした。今の演奏」


自分の想いを口にするのが苦手な冬海が、精一杯、自分の気持ちを伝えようとしてくれているのに気づき、香穂子は嬉しくなった。


「なんか、そういう風に言ってもらえると嬉しいな。でも、冬海ちゃんも、すごく良かったよ」


「え・・・・・あ、ありがとうございます」


冬海は、自分の演奏が褒められるなどと思ってもみなかったのか、

真っ赤になって俯いてしまった。


(ほんと、冬海ちゃんて、女の子らしいなぁ・・・・)


なんだか見ているこっちも照れてしまう。


すると、いつのまに来たのか、土浦が香穂子の頭の横を軽く押した。


「な、なに!?」


「な〜に、ふたりで照れてんだよ」


土浦は、にやにやして香穂子の顔を見ている。


「別に照れてなんてないよ!」


全員の演奏が終わり、いよいよ順位の発表を控えて、本来なら緊張するはずなのに今日は自分らしく弾けた充実感か、緊張はなかった。


土浦は、からかうような表情を、ふっと和ませた。


「おまえ、なかなかよかったぜ」


「ほんと?」


「ああ。おまえらしかった」


自分でもそう思ってはいたが、やはり他人からいい評価を受けると嬉しいものだ。


香穂子は素直に土浦の言葉を受け入れることにした。


「ありがとう。土浦くんのピアノも良かったよ。今までで、一番、いい出来だったんじゃない?」


そう香穂子が、冗談めかして言うと、土浦は香穂子の額を小突いた。


「痛っ」


「なーに、わかったようなこと言ってんだよ、おまえは」


そう言うが、怒っている様子は見えない。


「まあな。そうそう、音楽科様たちにばっかり、でかい面させられないからな」


土浦は、そう言って月森に視線を向けた。


香穂子は月森に声をかけようとして手を挙げた。


「つきも・・・・・」


だが、挙げられた手は、力なく下へと降ろされた。


確かに、目が合ったはずなのに、月森が視線を外したのだ。


「なんだよ、あいつ」


土浦は顔を顰めた。


「あんな奴のことなんか、気にしないほうがいいぜ。どうせ、今日の演奏が思うようにいかなかったんで、ふてくされてるんじゃねぇか?」


「そんな・・・・・・月森くんは、そんな人じゃないよ」


香穂子はそう言いながらも、背中ではっきりと拒絶されていることを感じて悲しくなった。


何かあったのだろうか?


香穂子に思い当たることはなかった。


もし、あるとすれば、昨夜の電話の時に、気づかぬうちに香穂子が月森に対して気に障ることを言ったのかもしれない。


それならば、早く謝った方がいい。


香穂子は、そう思って足を踏み出そうとした。


「おい、どこに行く気だ?もうすぐ発表だぞ」


土浦に引き止められ香穂子は、仕方なく留まった。




「出場者は、舞台に出てください」


香穂子は、月森の背をみつめた。


(月森くん?)






次々と順位が発表されていく中、いまだ香穂子の名前は出ていなかった。



残るは、4人。


「・・・・・続いて、4位の発表です。4位は・・・・・」


緊張はしない・・・・と思ったが、やはり土壇場では緊張してしまう。


香穂子は、もったいつけずに早く発表してくれればいいのに、と思った。



「4位。音楽科3年、柚木梓馬」


香穂子は、思わず柚木を見た。


柚木は、まったく表情を変えずに、いや、にこやかにお辞儀をしていた。



柚木の横顔からは、悔しさのかけらも見えなかった。


これで、今回は、香穂子の方が順位を上につけたということになる。


今は、勝ち負けなど、関係ないと思っている香穂子だったが、やはり、あの柚木よりも上につけられたことは、嬉しかった。


心のどこかで、『これで、バカにされることはないんじゃないか』

という気持ちがあるのも否めない。




今まで、最高順位は、5位。


香穂子は、次第に心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「それでは、3位の発表をします。3位、普通科2年、日野香穂子」


香穂子は、突然、浴びせられたスポットライトのあまりの眩しさに目を瞑ってしまった。


まさか、2位とか1位などはないと思っていたから、3位というのは、驚くことでもないはずなのに、やっぱり今までにない高順位にうろたえてしまう。



香穂子は、あまりのことにお辞儀もせずに、ボーっと突っ立ったまま、
真っ直ぐ観客席を見ていた。


「おい、日野。何、ボーっとしてんだよ!」


気づくと、隣に立っていた土浦に腕をつつかれていた。


「えっ・・・・あ・・・・そうだった!」


やっと我に返り、お辞儀もせずにいたことを思いだした香穂子は、慌てて頭を下げた。


観客席からは、ドっと笑い声があがった。


香穂子は、このまま一生、顔を上げずにいたかった。


せっかく、今までになくいい成績だったというのに、これではヴァイオリンに

申し訳ないくらいだ。


(ひぇ〜っ・・・なんで、こう、わたしってドジなんだろ?)


「日野さん、もう顔を上げてください」


そう言われてしまえば、顔を上げなくてはならず・・・・・・

香穂子は、真っ赤な顔のまま顔をあげた。




まだ順位の発表は続く。


「2位は・・・・・普通科2年、土浦梁太郎くん!」


どよめきが起こった。


もっともだというざわめきが半分、納得いかないという声が半分といったところだろうか?


だが、土浦は、いささかも動揺を見せずにお辞儀をした。


と、なると残るは、ただひとり。発表を待つまでもなく、1位は・・・・。





「第3セレクションを制覇したのは、音楽科2年の月森蓮くんです!」


月森の頭上にスポットライトが当たる。


だが、月森は微動だにせず、じっと何かを堪えるように両の拳を握り締めていた。


(どうしたんだろう?月森くん、嬉しくないの?)


拍手が、次第に、ざわめきへと変わっていく。


だが、それでも月森は黙ったままだった。


わけがわからない教師や生徒たちは、困惑した表情で顔を見合わせた。


「なに考えてんだ、月森は?」


コンクール担当である金澤は、幕を下ろすように指示をした。


月森を照らす、眩しいほどのスポットライトは消え、ざわめきを残したまま、幕が下りた。






幕が下りると、月森は、何事もなかったかのように、さっさと控え室へと

向かっていってしまった。


香穂子は、いてもたってもいられず後を追った。


そして、その香穂子を目で追う柚木に、他の誰も気づくことはなかった。




「月森くん!」


香穂子は、月森が入った控え室のドアを開けた。


「日野!?」


月森は、驚いたように香穂子をみつめた。


ちょうど、月森は蝶ネクタイを外し、襟元を緩めたところだった。


香穂子は、何も考えずにドアを開け放ってしまったことを後悔した。


「ご、ごめんね。着替えが終わるまで外で待ってるから」


香穂子は、そう言ってドアを閉めた。


だが、すぐに再び、ドアが開いた。


「・・・・・・用があるなら、今、聞くが?」


香穂子は、わずかに開いたドアの隙間から覗く月森の顔を見上げた。


ドアを開け放とうとしないことが、月森の拒絶を物語っているようで、香穂子は悲しかった。


「あ、あのね。月森くん、今日、なんか様子が変だったから・・・・もしかして、わたしのせい?」


月森は、目を伏せた。


「・・・・・・・」


香穂子には心あたりがない。だが、返事をしないということは、やはり香穂子に何かいけないところがあったに違いない。


「あの、わたし・・・ごめんね」


自分が気づかぬうちに他人を傷つけてしまうことは多々ある。


香穂子は、そう思って謝ったのだが・・・・・。


「やめてくれ」


月森は、怒ったようにそう言うとドアを閉めようとしたので、香穂子は慌てた。


「待って、月森くん!これだけ言わせて。

1位、おめでとう!すっごく良かったよ、今日の演奏も」


「・・・・・なのか」


「え?ごめん、今、聞き取れなくて。なんて言ったの?」


「俺は1位をとるに値する演奏をしていないと、言ったんだ」


香穂子は、驚いた。


「そんな・・・・・そんなことない!すっごく良かったよ。どこもミスなんてしてなかったし・・・・あんなに速い曲、弾けるなんて月森くんくらいだよ?」


お世辞でもなんでもない。香穂子には、月森が、なぜ、自分の演奏に満足がいかないのかが、わからなかった。


「ミスがないのは、毎日ひっきりなしに練習を続けたからだ。指が勝手に動いてただけだ」


月森は、苦しそうに眉を顰めた。


「曲の解釈なんて、まるで忘れていた。必死にヴァイオリンに気持ちをゆだねようとするのに、気づくと別のことを考えてしまっていた。

消しても消しても、それは俺の頭から消えてくれない」


そう言って、月森は香穂子をみつめた。


月森の瞳に香穂子だけが映っている。




「君のせいだ」
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