金色のコルダ

□たいせつなもの2
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電車に揺られて、30分ほど行くと、車窓に青い海が広がった。


「わぁ〜海だよ!月森くん!」


香穂子は、窓に、くっつくほど近くに顔を寄せた。


月森は、嬉しそうな声をあげる香穂子の横顔に目を細めた。


(よかった。君が楽しそうで・・・・)


咄嗟の思いつきで、口にしたのだが、月森の判断は間違ってはいなかったらしい。


「わたしも、すごく久しぶりなんだ、海って。

そんなに遠くないんだから、行こうと思えば行けると思うんだけど」


月森は頷いた。


「ああ。近ければ近いほど、いつでも行けるから、と行かないものかもしれない」


「早く、着かないかなぁ」


香穂子は、まるで幼い子供のように、はしゃいでいる。


久しぶりに、香穂子の笑顔を見るような気がした。


月森も、香穂子の見つめる景色に視線を向けた。


なぜだか、いい日になる・・・・・予感がした。






まだ、海水浴の時季ではないので、人は、まばらだった。

海の色も、真っ青というよりは、緑がかっている。


月森は、記憶にあった海とイメージが違い、少し、失望していた。


(昔、家族で来た時は、もっと、輝いて見えたのに)


だが、香穂子は、浜に下りるやいなや、海に向かって走りだした。


「日野!」


月森は、焦って、香穂子を呼ぶが、香穂子は、聴こえないらしい。

月森と香穂子の距離が、どんどんと遠くなっていく。


仕方なく、月森も、香穂子の後を追いかけた。






「月森くん!早く、早く!」


香穂子は、そう言って、サンダルを脱ぎ捨て海の中へと入っていった。


「待ってくれ、日野」


ようやく追いついた月森は、波打ち際に転がっている香穂子のサンダルを拾い上げた。


(随分、小さいんだな)


月森は、手のひらにのせたサンダルを、じっとみつめた。


華奢なピンク色のサンダルなど、普段、目にすることもない月森は、今更ながら、気がついた。


制服以外の香穂子を見るのが初めてなことに。


そう気づくと、突然、月森は、香穂子を意識した。


「海になんか、誘って・・・・・これじゃ、まるで・・・・」


月森は、口を手で覆った。


(デートみたいじゃないか)


本来の香穂子に戻ってもらいたい・・・・そう思った。


少しでも、気分転換になれば、と。


だから、誘ったのだが・・・・・。


(日野は、どう思っただろうか?)


月森は、波打ち際で、はしゃいでいる香穂子をみつめた。


楽しそうな香穂子を見ていると、自然と顔がほころぶのがわかった。


(君が楽しんでくれてるなら・・・・誘ってよかったんだと俺は思ってもいいんだろうか?)




「月森くーん!月森くんも、こっち、おいでよ!」


香穂子は、手をひらひらさせて、月森に呼びかけた。


「いや・・・・俺は・・・・」


「え〜!せっかく、海に来たんだから、海に入らないと!」


香穂子は月森の手を掴むと、引っ張った。


「やめてくれ。うわっ!」


月森は砂に足をとられて、バランスを崩した。


「月森くん!!」


慌てて、月森が転倒するのを留めようとした香穂子は、

逆に自分の方が足を滑らせてしまった。


瞬間、香穂子は海の中へ。


「あ〜あ」


香穂子は、情けなさそうな声をあげた。


「大丈夫か、日野?」


心配そうな顔で、月森が手を差しだした。


「うん。大丈夫。ちょっと、濡れちゃったけどね」


香穂子は、月森の手を借りて、立ち上がった。


「・・・・残念だけど、もう、帰らないと」


月森が言った。


「どうして?まだ、来たばっかりじゃない」


「だが、その服じゃ・・・・・」


月森は、視線を逸らした。


「ん?大丈夫だよ。今日、こんなにいい天気なんだもん、すぐ乾くよ」


香穂子は、スカートの裾を絞った。


香穂子は、月森が何を言いたいのか、わかっていなかったのだ。


「せっかく、久しぶりの海なんだし。ね?」


香穂子としては、これを逃したら、もう2度と、

月森から誘ってくれることはないだろうと思っていたから、まだ帰りたくなかった。


それに、たまには、ヴァイオリンから離れていたい。そう思っていたから。


香穂子は、月森を説得しようと顔を覗き込もうとした。


だが・・・・・。


「わかった。わかったから、これを」


目元をうっすらと赤くした月森は、香穂子にハンカチを差しだした。


「あ・・・・ありがとう」


香穂子も、ハンカチくらいは持っているのだが、月森の好意を受け取ることにした。






濡れた香穂子の髪から滴り落ちた雫が、太陽の光をうけて、キラキラと輝いている。


月森は、自分のハンカチで、丁寧に髪や服を拭いている

香穂子から目を離すことができないでいた。


今日の自分は、どこか、おかしい気がした。


今まで、香穂子を異性として意識したことなどなかった。


惹かれたのは、彼女の奏でるヴァイオリンの音にだった。


それなのに・・・・・・。


「どうしたの、月森くん?」


月森の視線に気づいた香穂子が首を傾げた。


「い、いや。別に俺は何も・・・・・」


月森は、香穂子に背を向けて、水平線の向こうを見ているふりをした。


(本当に・・・・・・どうかしている)






「これ、洗って返すね」


「いや、別に構わない。不要になったら、捨ててくれ」


「そんなことできないよ!ちゃんと、洗って・・・・・」


そこまで言って、香穂子は、ふいに思いだした。


そういえば、柚木に、まだ、ハンカチを返してはいないことに。


洗って、返そうと思って、そのまま制服のポケットにいれっぱなしだった。


(あんなことがあって、返しそびれちゃってたんだ)


今度、会ったら、必ず、返そうと香穂子は、心に決めた。


(なるべく、かかわりたくないんだけど)


「どうかしたのか?」


香穂子が急に黙ってしまったので、月森は不審に思って訊ねた。


先ほどまでの明るい顔が消えている。


「・・・・・日野、少し、聞いてもいいだろうか?」


「なぁに?」


「ずっと考えていたんだ。どうして、君の音は、変わってしまったんだろうかって」


「・・・・・・別に変わってなんかないと思うけど?」


だが、月森は首を横に振った。


「自覚がないのか・・・・確かに、君の音は、以前よりきれいに出ている。

でも、心に響かなくなってしまった。いったい、何があった?」


香穂子は、柚木にも同じようなことを言われたことを思いだした。


『気づかないのか?おまえの音、前より、ひどくなってる』


そんなことはない!そう、柚木の前では否定したが、

月森にも同じことを言われると不安が頭をもたげてきた。


(でも、何が悪いのか、わからないよ!!)


「すまない。君を追い詰めるような言い方をして。

でも、俺は、君の音が好きだったから・・・・・」


「・・・・・月森くん・・・・・だから、今日、誘ってくれたんだ?」


香穂子は、ぽつりと言った。


香穂子は、急に帰りたくなった。


今までの楽しかった気持ちが、風船がしぼむように小さくなってしまった。


月森が、自分の心配をしてくれるのは、嬉しい。ありがたいと思っている。

本来なら、ライバルである香穂子が調子を落としているのなら、

こんな手助けをする必要はないのだから。


きっと、月森は、香穂子のことを思って、誘ってくれたのだろう。


(それなのに・・・・・なんだか、淋しい)




「ありがとね、月森くん。心配してくれたんだよね。

でも、わたし、自分の音が、おかしいなんて思ってないから!」


そう叫ぶと、香穂子は、月森に背を向けて走りだした。


「ごめん!先に、帰る」


「日野・・・・・・」


月森は、立ち尽くした。


みるみるうちに、香穂子の姿は小さくなっていく。


月森は、ため息をついて、ふと、香穂子のサンダルに気がついた。


月森は、それを掴むと、急いで香穂子の後を追いかけた。


香穂子は、電車に飛び乗って初めて、自分が裸足で来てしまったことに気がついた。


まわりの人たちが、じろじろと自分を見ている。


(でも、今更、戻れないし・・・・・・)


電車の窓から、今まで、いた、海が見える。


香穂子は、月森の姿を探そうとしたが、やめた。


(悪いことしちゃったよね・・・・・でも、あれ以上、一緒にいたくなかった)


発車の合図のメロディーが流れた。


瞬間、香穂子の目に月森の姿が飛び込んできた。


「月森くん!」


月森は、必死の表情で、走ってくると、閉まりかけたドアに、ぎりぎり滑り込んできた。


「間に合ってよかった。これ・・・・」


月森の手には、香穂子のサンダルがあった。


「あ・・・・・ありがと」


月森は、香穂子の前に跪いた。


「つ、月森くん!?」


「少し、足をあげてもらえるだろうか?」


「え・・・・いいっ!自分で履けるからっ!」


「そうか・・・・・」


月森は、香穂子の足元にサンダルを並べた。


香穂子が、履こうとすると、月森が言った。


「その前に、足を拭いた方がいいと思う」


「あ、そうだね」


香穂子は、ハンカチを取り出した。


それを見て、月森は、「あっ」と、小さな声をあげた。


「すまない。先ほどは、余計なことをしたようだ」


それが、何を指しているのか、気づき、香穂子は言った。


「ううん。嬉しかった。それに、さっき、このハンカチ、

使っちゃったら、足、拭けなかったでしょ?」


「それは、そうだが・・・・・」


香穂子は、手摺につかまって、片足をあげて、足の裏を拭いた。


そして、下を向いたまま、月森に言った。


「さっきは、ごめんね。月森くんは、心配してくれて、ああ言ってくれたのに。

私ったら、月森くんの話、ちゃんと聞かないで、逃げちゃって・・・・」


「いや、俺の方こそ・・・・。言い方が悪かったんだろう」


「そんなことないよ」


香穂子は、顔を上げた。


「私の音が、変わったっていうのなら、それは、きっと・・・」


「きっと?」


香穂子は、口を噤んだ。


柚木のことを月森に話しても、信じてはもらえないだろう。

それに、人のせいになどしたら、軽蔑されるに決まっている。


(そうだよね。これは、自分自身の問題なんだもん)


香穂子は、逆に月森に訊ねてみることにした。


「さっき、月森くんは、わたしの音が好きだったって言ってくれたよね?」


「・・・・・・・ああ」


月森は、真剣な顔をしている香穂子から、わずかに視線を逸らせた。


(本当に、それだけなのだろうか?日野の奏でるヴァイオリンが好きだった。

だが、もしかしたら・・・・・俺は・・・?)


「どうしたの、月森くん?」


香穂子が怪訝そうに言った。


「いや。確かに、俺は君の音を好ましく思っていた。

その・・・・・俺には出せない音を出せる君に憧れていた」


「あ、憧れてたって・・・・」


香穂子は、赤くなった。


「それだけじゃない。君に、嫉妬していた。

俺は、何年もヴァイオリンを弾いてきた。

それこそ、物心ついた時から。

巧く弾くために。

両親や、まわりの人々の期待に応えるために。

でも、いつしか、楽しいという気持ちを失っていた。

・・・・・・誰にも負けたくない。

そんな気持ちばかりが先行して、音楽そのものを楽しむことを忘れてしまっていたんだ」


香穂子は、驚いた。


そして、気づいた。


(私も、そう思ってた。いつの間にか、ヴァイオリンを弾くことが楽しいっていうより、

コンクールで、いい成績をとることばかり、考えてたんだ)


柚木の鼻をあかすために。


コンクールに勝ち、柚木に自分の実力を認めさせるために。


いつの間にか、たいせつなものを忘れていた。


それは、ヴァイオリンを好きだということ。


好きだから、もっと上手に弾きたい、ということを。


「月森くん、ありがとう」


香穂子は、明るい表情になっていた。


「いや」


すでに、海は視界から、遥か遠くへと遠ざかっていた。

だが、行って良かったと思った。

そして、今日、誘ってくれた月森に感謝の気持ちを伝えたいと思った。


「ねぇ、月森くん。明日、放課後、時間あるかな?」


月森は、頷いた。
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