金色のコルダ

□たいせつなもの1
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第3セレクションまで、後1週間。


香穂子は、必死でヴァイオリンの練習をしていた。


それこそ、日に5時間以上も。


なぜなら、今回だけは香穂子は負けるわけにはいかないからだ。


ヴァイオリンを完璧に弾いて、1位をとらなければならない。


今までのように甘い気持ちで弾いていては、いけない。


柚木に魔法のヴァイオリンのことが、ばれている以上、無様な結果は出せなかった。


けれど、その気負いすぎが、返って香穂子のヴァイオリンの音色を損なうことになった。


しかし、香穂子は気づかなかった。


次第に、ヴァイオリンを楽しむのではなく、

柚木を見返したいと思う気持ちの方が強くなっていたことに。






月森は、すぐに香穂子のヴァイオリンの音の変化に気がついた。


(おかしい。この前までの日野の音とは、まったく違う・・・)


いったい、香穂子に何が起こったというのだろう?


月森が、どうしても奏でることのできない、あの心震わせる甘く、優しげな音色が、

今は、ただテクニックばかりのあたたかみのない音色になってしまっている。


月森は、気になって香穂子をしばらく観察することにした。






香穂子は、放課後になると、すぐに森の広場へと向かったらしい。

月森は、それを聞くと、すぐに香穂子の後を追った。



森の広場は、星奏学院の生徒たちの憩いの場所だった。

そこでは、思い思いの過ごし方をしていた。


友人と語らうもの。

恋人と逢瀬を楽しむもの。

そして、楽器の練習をするものも数多くいた。


月森は、楽器の練習をするには静かで人気の少ない場所を好むのだが、

たくさんの人々に聞いてもらい、自分の腕前を披露したいと思うものも多くいた。


月森は、香穂子の姿を探した。

だが、如何せん、ここは広すぎる。

月森は仕方なく、歩き回って探すことにした。






香穂子は、ヴァイオリンケースからヴァイオリンを取り出すと調弦を始めた。


緑豊かな、芳しい匂いのする森の中で弾くことは、楽しい。

以前の香穂子なら、そう思っていたのに、

今は、ただ、ヴァイオリンを上手に弾くことしか頭になかった。


(魔法のヴァイオリンで弾いているんだから、もっと巧く弾けなきゃ・・・・)


そうでないと、また、あの何もかも見透かしたような瞳が言うに違いない。


『俺の言うとおり、辞退すればよかったんだ』と。


香穂子は、浮かんできた柚木の顔を振り切ろうと、激しくかぶりを振った。


「そんなこと、2度と言わせないんだから!」


香穂子は、弓を持ち直し、第3セレクションで弾く序奏とロンド・カプリチオーソを弾きだした。






どこからか、ヴァイオリンの音色が聴こえてきた。


月森は、音色の響く方向に耳を澄ました。

だが、香穂子の音とは違う気がした。


少し前までの香穂子の音なら、すぐに月森には聴きわけることができたというのに。


聴こえてくるのは、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソだ。

香穂子が、ここのところよく練習していた曲だった。


月森は、音色の方向へと足を向けた。




(やはり、君か・・・・・)


香穂子は人気のない森の広場の片隅で弾いていた。


だが、香穂子は、余程、集中して弾いているのか、月森に気づかなかった。

月森も、しばらく様子を見ようと声をかけずに香穂子の演奏を見守ることにした。


香穂子は眉間に皺を寄せ、どこか苦しそうな表情で弾いている。


(その曲は、そんな風に弾いてはだめだ)


月森は香穂子が少しも楽しそうにヴァイオリンを弾いていないことに気づいた。


信じられなかった。


月森の知っている香穂子は、いつも満ち足りた微笑を浮かべ、

ヴァイオリンを弾くことが楽しくてたまらないという顔をしていたのに。


(いったい、何が君と君の音を変えてしまったのだろうか?)


香穂子は弾き終えると、フーっと息を吐いた。

そして力なくヴァイオリンを肩からおろすとため息をついた。


「なんでだろう?ヴァイオリンを弾くと、すごく疲れるなぁ」


長時間、練習するせいなんだろうか?


(でも、もっともっと練習しないと、1位になれないもの)


香穂子は、気を取り直し、再び、弾き始めた。


瞬間、カサっと草を踏みしめる音がし、香穂子は驚いて振り返った。


「月森くん!」


月森は、気まずそうな顔で謝った。


「すまない。君の練習の邪魔をするつもりはなかったんだが・・・・・」


「ううん。月森くんも、ヴァイオリンの練習に来たの?」


「あ、いや・・・・」


まさか、香穂子のことが気になったから、とは言えなかった。


「違うの?」


月森は、それには答えずに香穂子をみつめた。


「月森くん?」


「それより、もう一度、今の曲を弾いてみてくれないだろうか?」


「いいよ」


香穂子は、呼吸を整えると最初から弾きなおした。


(やはり、以前の君の音ではない)


月森は一心にヴァイオリンの弓を動かす香穂子の表情を伺った。


間近で香穂子の演奏を聴くと、すぐにわかった。


何が、今までと違うのかを。


「日野、もういい」


「え?」


香穂子が弾くのをやめると同時に、月森は同じ曲を弾いてみせた。


香穂子は、月森の演奏に聴き入った。


(やっぱり、月森くんにはかわなわない)


月森は弾き終えると、香穂子に感想を求めた。


「俺の演奏をどう思う?」


「う・・・ん。繊細で、小鳥が自由に空を舞っているような・・・・

うまく言えないんだけど、自由に飛びたいのに、

何かにとらわれていて、うまく飛べないみたいな?」


(君の感性は、こんなにも豊かなのに、なぜ、今のヴァイオリンに、それが反映されないのか?)


月森は、質問を変えた。


「日野、君は、この曲を弾いていて、楽しいと思えるか?」


香穂子は、目を見開いた。


そして、月森から視線を逸らした。


(なぜ、月森くんは、わたしにそんなことを聞くの?)


「・・・・・・楽しいって思えるほど、わたしは、まだ弾きこなせてないから」


今は、楽しいなんて、思って弾いてなどいられない。


香穂子は、唇を噛んだ。


月森は、ヴァイオリンをケースにしまうと香穂子に言った。


「この前、友人に言われた。たまには、息抜きも必要だと。

息抜きというものが、俺にはよくわからないが。

どうだろう?君さえ、よければだが、今度の土曜日に一緒にどこかへ出かけないか?」


「えっ!?」


香穂子は耳を疑った。


(月森くんが、わたしと?)


あまりにも驚いたので、弓を落としそうになってしまった。


月森の頬は、わずかに赤い気がした。


「俺は息抜きというものが、どういうものかわからないし、

たぶん、ひとりより、ふたりの方が楽しいのかもしれないと・・・・」


「行く!」


香穂子は目を輝かせて言った。


「その・・・・・本当に、いいのか?もし、無理をしているようなら・・・・」


「何、言ってるの?嬉しいよ。誘ってくれて、ありがとう」


(1日くらい、羽を伸ばしてもかまわないよね?) 


「あ、あぁ・・・・それでは、今度の土曜日、午前10時に学校前の交差点で」


「うん!楽しみにしてるから」


香穂子は、にっこりと月森に笑いかけた。






下校時間になり、香穂子は練習をやめて、正門へと向かった。


久々に、晴れやかな気分だった。


ヴァイオリンを弾き続けて疲れていても、足取りは軽かった。


(まさか、月森くんが誘ってくれるなんて!)


だが、正門前にある人物の後姿をみつけると、うきうきした気分が一気に暗くなった。


「やぁ、日野さん。今、帰りかい?」
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