金色のコルダ〜月森編〜

□月森編〜5〜
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昨日、月森は、自分も行くと言っていたが、香穂子はひとりで加地という男子生徒のところへ行くつもりだった。

王崎から話が加地に行っているのだから、自分ひとりでも簡単に事が進むだろうと思っていたのだ。

だが、昼休みになり、香穂子が昼食を取らずに教室を出ようとしたところで、月森に腕を掴まれてしまった。

「…俺も行くと言ったはずだが?」

「月森くん……でも、わたしひとりでも大丈夫だよ。月森くんだって、まだお昼ご飯、食べてないんでしょ?普通科まで行っていたら食べる時間、なくなっちゃう」

「それは、君も同じだろう。とにかく、俺も行く」

月森は、いつになく強引な態度に出た。

香穂子の腕を引くと、先に立って歩き出したのだ。

廊下を月森に腕を引かれて歩いていると、ひそひそ声が聴こえてきた。

香穂子は、自分が今、どんな風に噂されているか知っている。

柚木と付き合っていたくせに、月森に乗り換えた尻軽女だとか、美人でもなんでもないのに、何様だと思っているんだ、とかなんとか。

だが、すべて自分で選んだことだ。

俯いてばかりいられない。



香穂子は顔を上げて、目の前を行く月森の背中を見つめた。

もしかしたら、始終、こうして自分の傍にいてくれるのは、自分を守るためなのかもしれない。

「あの……月森くん………ありがとうね」

月森は足を止めて振り返った。

「何がだ?俺は、自分がこうしたいと思ったからしているだけだ。ヴィオラは、今回のアンサンブルにどうしても必要なのだろう?」

「……うん」

月森は表情を和らげて微笑むと、一度、香穂子の手首を放し、手を握り締めた。

「早く済ませて、一緒に昼食をとろう……そうだな。カフェテリアに行かないか?」

「あ……わたし、今日はお弁当なの」

「では、屋上で食べようか」

「……うん。あの、でも、月森くん、お弁当、持ってきてないんでしょ?」

「普通科に行く途中の購買でパンを買うから大丈夫だ」

「あ、でも…そうしたら、早く買いに行かないとなくなっちゃうかも」

「……そうなのか?」

香穂子は、少しだけだが、月森の様子がいつもと違うことに気づいた。

(どうしたんだろう?なんか、いつもより……)

香穂子が、じっと月森を見ていると、明らかに狼狽したように視線を外した。

(月森くん?)





加地がいるクラスは、1学期まで香穂子がいたクラスだった。

香穂子が顔を見せると、かつてのクラスメイトたちが以前と変わらぬ態度で迎えてくれた。

月森は、途中まで一緒だったのだが、先に購買に寄ってパンを購入してから来ることになったのだ。



「わ〜久しぶり、香穂子!元気だった?」

「うん、元気だよ」

普通科から音楽科に移って、2ヶ月余りしか経っていない。懐かしさというよりも、落ち着ける自分の場所に帰ってきたという感じだ。

「ねえ、今日はどうしたの?」

「あ、うん……それがね……」

「日野さん!?」

香穂子が加地という男子生徒を呼んでもらおうと彼の名を口にしかけた瞬間、自分の名を呼ぶ声がどこからか聴こえてきた。

「あ!」

自分の名を呼んだ男子生徒の顔を見た途端、思い出した。

先日の最終選考の時に、ひどく熱心に月森を見ていた『彼』だったのだ。

香穂子の友人は、振り返って、その男子生徒を手招きした。

「加地くん、こっちこっち。加地くんの『憧れの君』が来てるよ〜ん」

「あ、憧れの君って……?」

友人はニヤっと笑うと耳打ちしてきた。

「加地くんてね、香穂子のヴァイオリンに一目惚れして、わざわざ都内の国立高校からうちの高校に転入してきたんだよ」

「え!?」

(っていうか、あれが加地くん!?)

想像していた人物像と、大分、かけ離れている。

加地は、嬉しそうにふたりのところへやってくると、目を輝かせた。

「日野さん、僕、加地葵っていいます。君、夏前によく公園でヴァイオリンの練習してたでしょ?その時、偶然、君の音色を耳にして……それ以来のファンなんだ」

加地葵という男子生徒は、この星奏学院にはいないタイプだった。

華やかという点では、柚木もそうだが、彼とは違うタイプの華やかさを身に纏っている。

明るくて物怖じしない…そう、誰とでも自然に仲良くなれる、クラスの人気者タイプといった感じだ。

香穂子は、瞬きを繰り返した。

いきなりファンだと言われても、答えようがない。

「えーと……あの……加地……くん……王崎信武さんて知っている?」

とりあえず、時間もないことだし、と香穂子は本題に入った。

「…王崎…さん?知っているよ。この前、連絡もらったんだ。今、国際コンクールに出るためにウィーンへ行っているんだってね」

「それじゃあ……あの、聞いてるかな?」

香穂子が遠慮がちに切り出すと、加地は今までの明るい表情を、ほんのわずかだが曇らせた。

「うん…聞いているよ。日野さんたち、文化祭でアンサンブルコンサートをやるんだってね。僕としては、また君のヴァイオリンが聴けると思うと、嬉しくてしょうがないんだけど………」

「……だけど?」

加地は苦笑した。その笑い方が、どこか自嘲気味に見えたので、香穂子は驚いた。

「…うん、そのアンサンブルに実際、自分が加わるのは、やっぱりちょっとね……勘弁してほしいかな」

「え?だって、加地くんてヴィオラやっているんでしょ?」

「やってるといっても、あくまでも趣味として。日野さんたちにみたいに将来を見据えて音楽を勉強しているわけじゃないんだ。だから………」

「だから、どうだというんだ?」

加地が言いかけた言葉を遮るようにして、いつの間に来ていたのか、月森が口を挟んだ。

「月森くん!」

月森は香穂子の肩に手を置いて、自分の後ろに下がらせると加地に続けた。

「突然、話に割って入ってしまって、すまない。俺は、音楽科2年の……」

「月森蓮……でしょ?知っているよ。君は有名だもの……しかし、参ったな……まさか、君まで一緒に僕を勧誘しに来たなんてね」

加地は、香穂子たちが何の目的でここへ来たのか、最初からわかっていたようだった。

「ごめんね……加地くんの都合だってあるのに、突然、こんな話、持ちかけちゃって……でも、わたしたち、他にヴィオラやってくれる人、知らなくて……」

香穂子が謝ると加地は慌てた。

「そんな!謝らないでよ。君に謝られたりしたら、どうしていいかわからなくなるよ。僕だって、できることなら君たちみたいに人を感動させられるような音楽を一緒に作っていきたいよ。でもね……」

「君に自信がないというのなら仕方がない。俺たちは、これで失礼する」

「月森くん!?」

まだ、たいした交渉もしていない内から月森が引き下がろうとしたので、香穂子は慌てて月森の腕を掴んだ。

「……やる気のない者をいれても仕方がないだろう。せっかく王崎先輩に紹介してもらったけれど、本人がああ言っているんだ。ヴィオラ奏者なら、きっと他にもいるはずだ。今から探しても遅くはない」

「そんな……」

月森は香穂子の手を握ると加地に向かって言った。

それを見ていた周りの生徒たちから小さな騒ぎが起こった。

「ねぇ、香穂……あの…やっぱり、あんたと月森くんて、付き合ってたり……するのかな?ほら、柚木先輩と付き合ってるっていう噂もあったしさ」

「え………」

香穂子の友人は言い訳した。

「あ、いや……そういう噂が、ちょっと前からあってね……でも、今のあんたたち見てたら、やっぱりそうなのかな〜って」

どう答えたらいいのか、わからずに思わず月森を見上げると月森は、はっきりと頷いた。

「俺と彼女は付き合っている。それが?」

想いを確かめ合ったけれど、月森から付き合おうと言われたわけではなかった。

それに、月森の性格からして、こういう場でそれを認めるなどとは思ってもいなかったので、香穂子の驚きは大きかった。

だが、香穂子以上に驚いている人間がいた。



「嘘………本当に?」

加地は寝耳に水だったのか、目を見開いて香穂子と月森を交互に見ている。

「本当だ」

月森は間髪入れずにそう答えると香穂子の手を引っ張った。

「行こう。昼休みが終わってしまう」

「あ……う、うん……」

ここへは加地にヴィオラでアンサンブルに参加してもらうためにやってきたはずなのに、これでは月森との仲を公にするために来たようなものだ。

だが、月森に引っ張られるようにして、その場を去ろうとすると、加地に呼び止められた。

「待ってよ、日野さん」

振り返ると、加地は真剣な面持ちで香穂子を見つめていた。

「君が僕を誘ってくれたこと、本当に嬉しかった。でも、月森が言ったように自分がどれだけやれるか自信がないんだ。だから、アンサンブルに参加する力が僕にあるかどうか、テストしてほしい」

「え?」

加地は今度は、月森に向かって訊ねた。

「それでいいかな?」

月森は加地に向き直ると頷いた。

「……いいだろう。今日の放課後、音楽室へ来てくれ」

「わかった」

思わぬ展開だ。

どうして、加地が突然、やる気を示したのかはわからないが、とりあえず、これで一歩前進したことには変わりない。

「ありがとう、加地くん。放課後、待ってるからね!」

ヴィオラという楽器が加わったら、どんな風に演奏が広がりを見せるのだろうと思うと、今から、ワクワクする。

そんな想いを込めて礼を言うと、加地は嬉しそうに微笑んだ。

「僕の方こそ……君とこうして話すことができて、とても嬉しかった。そして、できることなら、もっと君に近づきたいよ」

「え………」

(それって、どういう意味?)

ポカンと加地を見つめていると、月森が繋いだままの手を引っ張った。

「行こう…香穂子」

「あ、うん。それじゃ、放課後ね!」



足早に去っていく香穂子たちの背を見つめながら、加地は小さく呟いた。



「ほんと……君と一緒に音楽を奏でることができたら……最高だよ、日野さん」
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