金色のコルダ〜月森編〜
□月森編〜4〜
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文化祭のコンサートへの出演が決まってから、途端に忙しくなってしまった。
文化祭まで約1ヶ月余り。
演奏曲も早々に決め、練習をしないと間に合わない。
毎日が慌しく過ぎていく中で、月森と過ごす時間もなかなか取れずにいた。
それを淋しいと思う気持ちもないではなかったが、月森と共に選ばれたのだから、今まで以上に努力しなければいけないという思いの方が強かった。
月森と時折、目が合う度、微笑みあうことのできる幸福。
今の香穂子には、それだけで十分だった。
だから、月森が何かに悩んでいることなど気づきもしなかった。
そんなある日のこと、最近、再び、香穂子たちの前に現れるようになっていた、リリから文化祭でコンサートを開いてほしいと言われたのだ。
「でも、コンサートだったら、ソロコンサートがあるんだよ。わたしも月森くんも、それに他のコンクール参加者も選ばれたし」
だが、リリは、そのフワフワした髪を振り乱すかのように激しく振った。
「違うのだ!そうじゃないのだ!我輩が望んでいるのは、そういうのではなくて、もっと、こう聴いているだけでワクワクして幸せになれるようなコンサートなのだ!」
香穂子は首を傾げた。
「う〜ん……それって要するに、学校内の決まった枠でするコンサート以外でってこと?」
香穂子とリリの他は誰もいない練習室だからこそ出来る会話だった。
学内コンクールが開かれるわけでもない。リリが姿消しの魔法を緩めているわけでもない。
なのに、なぜ、前回のコンクール参加者にリリの姿が見えるようになったのかは、わからないが、リリが消えて淋しいと思っていた香穂子にとっては嬉しいことだった。
リリは、パっと小さな顔一杯に満面の笑みを浮かべると、クルっと宙を一回転した。
「そうそうそうなのだ!日野香穂子、おまえ、意外と頭いいぞ〜」
「意外とは、は余計だよ、リリ。でも、文化祭まで後、1ヶ月もないんだよ。そう簡単にコンサートなんて開けないと思うんだけど」
「それは、わかっているのだ。だから、おまえから、前回のコンクール参加者たちに協力してもらえるように頼んでほしいのだ」
そう言うと、リリは魔法のステッキを、クルクルっと回した。
瞬間、香穂子の頭の上にバサバサと幾枚もの紙の束が落ちてきた。
「うわ〜っ!って、こんなに?」
「その中から、好きな曲を選ぶといいのだ。あ、ちなみに曲は3曲くらいやってほしいのだ」
「さ、3曲!?今からじゃ、ムリだよ!」
「ムリではない。コンクール参加者たちの演奏技術からすれば、集まって何度か練習すれば、すぐに形になるはずなのだ〜」
(そりゃ、他のみんなはそうかもしれないけれど……)
香穂子は、バラバラになった楽譜を拾い集めた。
今まで、ソロ曲しか弾いたことがない。時々、練習中に合奏をしたこともあったが、あくまでも練習レベルだから、今、リリがくれた楽譜のように本格的なアンサンブル曲を弾く自信はなかった。
途方に暮れて、楽譜を見つめているとリリが横から覗き込んだ。
「ハイドンの弦楽四重奏曲か。とっても良い曲なのだ!」
もちろん、香穂子は聞いたこともない。
楽譜を目で追ってみた。
「ヴァイオリンが2人にチェロ……あとは、ヴィオラ?」
リリは前回のコンクール参加者と言っていたが、ヴィオラ奏者はその中にいない。
「ねぇ、リリ。わたし、ヴィオラ弾ける人って知らないんだけど」
すると、リリは自信満々に胸を叩いてみせた。
「心配するな。我輩に任せるのだ!とにかく、一刻も早く、アンサンブルメンバーを集めて練習してほしい。そして、我輩に素晴らしい音楽を奏でて力を与えてほしい」
「力?力って?」
香穂子は驚いたように目を瞠った。
今の今まで気づかなかったが、以前に比べてリリの姿がはっきりとしない。
目が疲れているのかと思って、目元をゴシゴシ擦ってみた。
だが、やはり存在感が薄い気がする。
「リリ、もしかして魔法の力が弱ってたりするの?」
リリの大きな目が大きく見開かれた。
「……実は、そうなのだ……すぐに言わなくて悪かったと思っている。我輩の姿がおまえたちに、また見えるようになったのは、我輩の魔法の力が弱まっているからだ。このままだと、我輩は、この学院を守護することができなくなってしまうかもしれないのだ!」
「!!」
リリは今にも泣きだしそうな顔をしている。
香穂子はリリに手を伸ばし腕の中に抱きしめた。
「大丈夫だよ……そんなことにはならない。ううん、させないから」
「日野香穂子……」
「ねぇ、リリ。私たちが、いっぱいいっぱい良い演奏をすることができたら、リリの魔法の力も回復するんだよね?」
「……必ず…とは言えないが、たぶん……」
「そっか。じゃあ、頑張らないとね!」
ソロコンサートも大事だが、何よりも自分とヴァイオリンを引き合わせてくれたリリの力になりたかった。
リリは香穂子の決意を知ると、嬉しそうに宙を飛び回った。
「期待しているのだ、日野香穂子!」
香穂子は、まず、月森に話してみることにした。
「リリのためにというのなら、俺も力になろう。だが、君の方は大丈夫なのか?ソロコンサートの準備もある。あまり無理をしては……」
「ううん、大丈夫。それに、本格的にアンサンブルってやったことないから楽しみ!」
月森は微笑んだ。
「君は、どんな状況でも楽しむことができるのだな」
「そんなことないよ。嫌なものは嫌だもの。たとえば、テストとか、わけわからない数学の授業とか。でも、音楽に関しては、つらいことなんてないよ。そりゃ、練習してもなかなか上手く弾けるようにならないと、なんで?って思うけど、弾くのは楽しいし、何より、思った通りの音が出たりすると凄く嬉しい。月森くんも、そうでしょ?」
「そうだな」
そう呟いた月森の表情が、どことなくもの問いたげに見え、香穂子は心配になった。
「月森くん、どうかしたの?やっぱり、無理させちゃってる?アンサンブル練習することで、月森くんの負担になるようなら……」
「そんなことはない。俺も……あまりアンサンブルの経験はないから、今回のことはいい機会だと思っている」
「そう?それならいいんだけど………」
月森がそう言うのなら大丈夫なのだろう。
「それよりも、コンサートをするのなら、講堂に空きがあるかどうか確かめなければいけないな。今から、押さえることができるといいのだが……」
「それなら、もう天羽さんが生徒会の役員の人に聞いてくれて、文化祭2日目の最後の時間がちょうど空いているって……ほら、実はもう書類ももらってきてるの」
月森は意外と行動的な香穂子に驚いたようだった。
「そうか……それならば、残るはメンバー集めだけというわけだな」
「そうなの。実は、それが1番の問題なんだよね」
香穂子はため息をついた。
リリはコンクール参加者に頼んでくれと言っていたが、彼らもソロコンサートの準備で忙しいはずだ。
もちろん、リリのことを話せば、快く協力してくれる者たちだと知っている。
「金澤先生に相談してみてはどうだろう。個別に協力を願いでるよりも、コンクール参加者を一同に集めてもらって話をした方が話は早いと思うが」
「そうか。そうだよね。うん、じゃあ、これから金澤先生に……」
香穂子がベンチの椅子から立ち上がろうとした瞬間、月森に腕を引かれた。
「香穂子……」
「なに?」
そのまま、再び浮きかけた腰を下ろすと月森の顔が近づいてきて、あっという間に唇が重ねられた。
「んっ………」
人気のない屋上とはいえ、月森が学校内でこういった大胆な行動に出るのは珍しいことだった。
あの夜以来、久しぶりに交わすキスだった。
たった数秒のキスの後、離れていく月森の唇を名残惜しげに香穂子は目で追った。
「すまない……突然、こんな……」
「……ううん」
たぶん、今の自分は真っ赤だろう。
こんな赤い顔のまま、金澤に会いに行ったら、とんだ誤解を受けそうだった。
(誤解?ううん、誤解でもなんでもないよね)
よく見れば、月森の頬も、うっすら赤い気がした。
「君を独り占めしたくなったんだ」
月森は、そう呟くと香穂子を見つめた。
「あ、あの……月森くん……わたし…」
「アンサンブルコンサートをするのは、俺もいいことだと思っている。だが、そうなるとまた……」
月森が何を言いたいのか、わかった。
「うん……でも、大丈夫だよ。心配しないで、月森くん」
香穂子は躊躇いがちに月森の胸に顔を寄せた。
「香穂子……」
月森は身を寄せてきた香穂子の背に腕を回すと、そっと抱きしめてくれた。
月森の腕の中は安心する。
できることなら、ずっとこうして抱きしめられていたい。
『心配しないで』と月森には言ったが、不安はある。
アンサンブル練習で一緒の時間が増えれば、どうしても平静ではいられない。
本当は、もう少し時間が欲しかった。だが、そうも言ってられない。
しばらくの間、月森は黙って香穂子を抱きしめていたが、やがて堪えきれなくなったように香穂子の耳元に囁いた。
「香穂子………今日の帰り、俺の家に寄っていかないか?」
「!!」
うっとりと目を閉じていた香穂子は、慌てて月森から離れようとしたが、彼は放してくれなかった。
月森の真剣な眼差しに対して『ノー』とは言えなかった。
「……うん」
月森の部屋で行われた数々の行為を思いだし、香穂子は、また赤くなってしまった。
そして、それをまた期待している自分が恥ずかしい。
香穂子は、そんな自分を気づかれたくなくて、再び、月森の胸に顔を埋めた。
「香穂子……すまないが、今、あまりくっつかれると…その……」
月森の困惑したような声が聞えたが、香穂子は聞えない振りをした。