金色のコルダ〜月森編〜
□月森編〜3〜
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正直、どちらが選ばれようが構わないと月森は思っていた。
自分は今、持てる力の全てを出し切った。
そして、香穂子もまた………。
ようやく、選考結果が出たようだ。
「今から、結果を発表します。呼ばれた生徒は、ステージに出るように」
審査員の1人である教師が控え室に入ってきて、そう告げた瞬間、緊張が走った。
隣の控え室では、すでに発表が始まっているらしく歓声が聞こえてきた。
(あの声って……火原先輩?)
どうやら、火原が選ばれたようだ。
恐らく、他のコンクール参加者たちも選ばれるはずだ。
志水も冬海も、コンクールの時以上に腕を上げている。
今回、普通科である土浦と候補を辞退した柚木以外、全員が候補に上がっていた。
香穂子たちの控え室には、ピアノとフルート、そしてヴァイオリン専攻の生徒たちが発表を待っていた。
まず最初にピアノ。そして次にフルート部門が発表された。
音楽科に転科したばかりの香穂子は、ヴァイオリン以外の生徒はコンクール参加者以外、よく知らなかった。
フルートで選ばれたのは、香穂子の知らない3年の女子生徒だった。
香穂子は、複雑な想いで、その女子生徒を見た。
本来なら、選ばれるのは柚木のはずだった。
受験を理由に候補を辞退した柚木の代わりに選ばれた彼女の演奏を聴いたわけではないけれど、香穂子には彼女よりも柚木が劣るとは到底、思えなかった。
「最後にヴァイオリンだが………2年A組、月森蓮」
香穂子は月森の方に視線を向けた。
月森は顔色を変えることなく、黙って立ち上がった。
香穂子の前に座っている藤原由希子の悔しそうな顔が見える。
残念だが、悔しいという気持ちはない。
ただ………胸にぽっかり穴があいたような一抹の寂しさを感じた。
(仕方がない……よね)
だが、「月森くん、おめでとう」と口を開きかけた瞬間、教師が自分の名を呼ぶ声が聴こえた。
「……それともう1人………同じく2年A組、日野香穂子」
「え?」
驚いて目を瞠った香穂子に一斉に視線が集まった。
「ヴァイオリンは、特別に月森と日野の2名が出演することに決まった」
ザワザワする中、藤原由希子の鋭い視線にぶつかった。
『あなたなんか認めない』とその顔には書いてあるようだった。
「以上の者は、ステージに上がるように」
そう言い残して、教師が出て行こうとすると、この決定に納得がいかない藤原由希子が呼び止めた。
「待ってください!月森くんが選ばれたのは、わかります。でも、日野さんよりも自分が劣っていたとは、どうしても思えません。彼女が選ばれた理由を聞かせてくださいっ!」
「それは、ここで話すべきことではないし、我々が議論の末に決定したことに対して異を唱える君に不快感を覚えるね」
そう教師は冷たく言い放つと控え室から出て行った。
室内は、シンと静まり返った。
気まずい雰囲気の中、月森の凛とした声が響いた。
「行こう、香穂子」
「う、うん……」
チラリと藤原由希子を見ると彼女は香穂子に言った。
「あなたなんか認めないわ、絶対に」
「……あ、あの………」
口篭る香穂子の代わりに月森は反論した。
「先輩が認めようと認めまいと決定に変わりはないんです。それに………」
月森は香穂子を庇うように彼女の前に立った。
「先輩のヴァイオリンには、人を惹きつけるものがない……少なくとも俺はそう思いました。確かに彼女より高い技術を持つ者は多いでしょう。けれど、人を感動させる何かがなければ、音楽ではない……そう思いませんか?」
月森の口調は丁寧だったが、辛辣だった。
藤原由希子の顔は、みるみるうちに青ざめていった。
「つ、月森くん……」
さすがに言い過ぎだと、月森に小声で呼びかけると月森は睫毛を伏せた。
「そうだった……早くステージに上がらないと」
月森は香穂子の手を掴むと控え室から出た。
「ありがとう……庇ってくれて……」
月森は首を振った。
「庇ったつもりはない。事実を言ったまでだ。本当に、今日の君のヴァイオリンは良かったから……正直、自分が選ばれる確立は五分だと思っていた」
香穂子は、驚いた顔をした。
「そんな………わたしは月森くんが選ばれると思ってたよ……でも、選ばれて嬉しい。月森くんと同じステージに立てるんだもの」
月森は握った手に力をこめた。
今すぐ、ここで彼女を抱きしめたいという欲求を抑えるのが大変だ。
月森は辛うじて、それを抑えると、微笑んだ。
「まだ君に言っていなかった………おめでとう」
「月森くんも、ね」
ステージ上には、すでに選ばれた生徒たちが並んでいた。
やはり、火原と志水、それに冬海の顔があった。
火原は、香穂子に気づくとステージ上にいるにもかかわらず、ニコニコしながら大きく手を振った。
「やっぱり、日野ちゃんも選ばれたんだね!あ、それに月森くんも!」
発表を聞こうと客席に残っていた生徒たちの笑い声が聞こえた。
舞台袖にいた金澤が呆れ返ったように大きなため息をついているのが見えた。
香穂子は月森と顔を見合わせた。
「火原先輩は、いつもと全然、変わらないね」
「ああ……それが先輩の良さだろう」
全員、ステージ上にあがると、ひとりひとり学年と名前を紹介された。
ヴァイオリン部門で月森と香穂子の両方の名前が上がると、客席の前の方から拍手があがった。
ふと視線を向けると、見覚えのない普通科の男子生徒が笑顔で精一杯、拍手を送ってくれているのが見えた。
(誰かな?)
香穂子は隣の月森に囁いた。
「見て、月森くん。右の前の席の人……月森くんのファンかな?」
月森は、香穂子の言う方へ、ちらりと視線を向けた。
「知らない顔だな。でも、なぜ、俺のファンだと?」
「だって、月森くんのこと、にこにこして見てるもの……きっと、月森くんの演奏に感動したんだね」
「それは………」
月森は開きかけた口を一旦、噤んだ。
音楽科の主任教師が、話を始めたからである。
主任教師の長い話が終わり、やっと舞台袖に引っ込む時に月森は、先程、口にしかけたことを香穂子に囁いた。
「あの普通科の生徒は、君の演奏に感動したのだろう」
「え?」
月森は、普通科の制服を着ている妙に人目を惹く容姿の男子生徒を一瞥した。
「………彼は、ずっと君を見ていた。恐らく、俺のファンではなく、君のファンなのだろう」
「まさか」
その男子生徒は、香穂子と目が合うと、人懐こい笑顔を向けてきた。
慌てて、顔を背けた香穂子の腕に月森の手が、かかった。
「行こう」
「うん……」
控え室へ戻る途中、香穂子たちを待っていた火原と土浦に会った。
「日野ちゃんに月森くんも、おめでとう!」
「火原先輩も、おめでとうございます」
「やったな、日野。また、文化祭でおまえの伴奏してやれるかと思うと腕がなるぜ………ついでに、月森もソロコンサート出演おめでとう」
「土浦くんのおかげだよ。これからも、練習とか迷惑かけちゃうかもしれないけど、よろしくね」
「………確かに……君の伴奏は、なかなか良かったと思う」
珍しく月森からの褒め言葉を聞いた土浦は一瞬、言葉を失った後、照れを隠したいためか、ぶっきらぼうに返した。
「そりゃあ、どうも」
「あ、ねぇねぇ、ふたりとも、これから用事あるかな?志水くんと冬海ちゃんも誘って、お祝いしようよ。あ、ついでに土浦もな」
「ついでって何ですか、火原先輩」
土浦も肩の荷が下りて、ほっとしているのか表情が明るい。
「え……あ、あの……」
香穂子には、これから大事な用があった。
結果が出たら柚木に会って話をするつもりだった。
(ちゃんと柚木先輩に会って……月森くんのことも話さなきゃ)
そんな香穂子を月森がじっと見つめていた。
気づいた香穂子が月森を見つめると、月森は『わかっている』というように頷いた。
「ごめんなさい、火原先輩。今日は、ちょっと……」
「え〜残念だなぁ。せっかく、柚木も誘って、パーっとやりたかったのにさ」
「柚木……先輩……も誘ったんですか?」
何も知らない火原は、にこにこしている。
「ううん、まだだけど。あ、今、電話してみるよ」
「あ、あの…火原先輩!」
だが、それより前に火原は柚木に電話をかけてしまった。
だが………。
「おっかしいなぁ。繋がんない。電源、切っちゃってるのかなぁ?」
香穂子は内心、ホっとしたが、携帯の電源を切られているのであれば、柚木の居場所は足を使って探すしかない。
「…それじゃあ、わたしはこれで……」
踵を返して走り出そうとした香穂子の腕を月森が掴んだ。
「香穂子、後で連絡する……だから……」
掴まれた腕と必死な表情から、月森の焦燥感が見て取れた。
「……うん、わかったよ」
香穂子が行ってしまうと土浦が自分を鋭く睨みつけていることに気がついた。
土浦は気づいている。
月森と香穂子の関係に。
「どういうつもりだよ、月森」
「君には関係ないことだ」
土浦は皮肉気に嗤った。
「……だとしても、あいつが苦しんでいるようなのを黙って見過ごす気にはならねぇよ」
「ふたりともどうしたんだよ?あ、もしかして日野ちゃんの話?」
火原が話しに割って入ってくると、土浦は黙り込んだ。
「別に……なんでもないです。それより、早く行きましょう。志水たちも待っているだろうし」
「あーうん。あ、月森くんも、もちろん来るよね!?」
「いえ、俺は……」
「月森が来るわけないでしょうが、こんな奴のことは放っておいて、さっさと行きますよ」
土浦は、強引に火原の背を押して行ってしまった。
後に残された月森は、香穂子が去って行った方を振り返った。
(1人で行かせてしまって、本当に良かったんだろうか………)
月森は、ガランとした廊下に1人立ち尽くしながら、襲いかかる不安に押しつぶされまいと、きつく拳を握り締めた。