金色のコルダ〜月森編〜

□月森編〜3〜
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夜になっても香穂子からの連絡が来ず、ヴァイオリンの練習に身が入らないでいた。

こちらからかけてみようとも考えたが、すぐに打ち消した。

そう簡単に済む話ではないことくらい月森にもわかる。

自分を選ぼうとしてくれている香穂子が、いまだに揺れているのも知っている。

だが、今日、香穂子はあの曲を選び、自分のために演奏してくれた。

もしかしたら、それは柚木に対する気持ちをきっぱり断ち切るために選んだのかもしれないと月森は思った。



必ず、香穂子は自分のもとへ戻ってくる……そう信じている。

だが、不安を完全に拭い去ることはできなかった。

柚木に音楽を捨てさせないために懸命に約束を果たした香穂子のことを、彼があっさり手放すだろうか?

彼の彼女への執着がどれほどのものか、月森が一番よく知っている。

彼ほどの人間が、なぜ香穂子でなければならなかったのか………そう考えて、月森は笑った。

コンクール参加者の誰もが、香穂子の素直に音楽に向き合うひたむきさに惹かれたではないか。

自分や彼が特別なわけではない。

香穂子だから………彼も自分も恋をしたのだ。



今まで誰にも惹かれることなく生きてきた自分が好きになった人だ。

彼が好きになるのは当然だ。

(だが、だからといって、あなたには香穂子を渡すことはできない)

「香穂子は俺のものだ」

月森は、そう呟いた。

瞬間、携帯が鳴った。

だが、それは電話ではなくメールの着信音だった。



”学校の近くの公園で待ってます”



香穂子からだった。

その短い文面からは、どうなったのかまったくわからなかった。

すぐにそっちへ向かうという内容のメールを打って、月森は走り出した。








夜の公園には誰もいなかった。

だが、目を凝らすと、ブランコに人影が見えた。

項垂れた様子が、ここからでもわかる。

月森は、覚悟を決めて香穂子に近づいた。

香穂子は、気配に気づき、顔を上げた。

「月森くん………」

夜目にもはっきりとわかる涙の痕。

月森は香穂子をそっと抱きしめた。

「月森くん………わたし……わたしね………柚木先輩と……」

「何も言わなくてもいい。今は、泣きたいだけ泣けばいい」

「…………月森くん……」

「なんだ?」

「………ちょっとだけ………泣いてもいい?」

「………ああ」



香穂子は、しばらくの間、月森の胸に顔を押しつけて泣いていた。

ワーワーと泣き叫ぶのではなく、ひっそりと声を殺して泣く彼女を月森は黙って抱きしめるしかなかった。

彼女につらい選択をさせてしまった。

だが、2度と泣かせはしない。



やっと香穂子が顔を上げると、月森は目尻に残っている涙を指で掬い取った。

「………君を愛している………」

他に言うべき言葉は、みつからなかった。

香穂子は目を瞠ると、掠れた声で『わたしも』と言ってくれた。



「香穂子………君にキスをしても……いいだろうか?」

「…………うん」

目を閉じた香穂子の唇に、そっと触れるだけのキスを落とした。

「目を開けてくれ……」

香穂子が目を開けると月森は再び、抱きしめた。

「ありがとう……香穂子……」





香穂子が自分の腕の中にいる………それだけで心が満たされた。

しばらく、月森の腕の中でじっとしていた香穂子が顔をあげた。

「どうかしたのか?」

「ううん………なんでもないよ」

だが、香穂子の瞳からは、また涙が零れ落ちそうで……月森はそれを止めたくて、再びキスをした。

だが、今度は、触れるだけでは止まらなかった。

徐々に激しくなっていくキスに香穂子が喘いだ様子を見せると、堪らず、月森は香穂子の首筋に唇を押しつけた。

香穂子は焦ったように月森の胸を押しやった。

「ごめんなさい………まだ……わたし………もう少し、待ってくれる……かな?」

香穂子がそう言うのは当然だった。

別れを告げてきたとはいっても、人の気持ちはそう簡単に決着がつくものではない。

いくらかでも、彼女の心の傷が癒え、少しでも柚木とのことが彼女の中で思い出になるまでは、我慢しようと月森は決めた。



「すまなかった………君が心の底から、俺に抱かれてもいいと思えるようになるまでは何もしないと誓おう」

だが、月森の悲壮な決意を聞くと、香穂子は、ハっとしたように睫毛を伏せた。

「………ごめんなさい……わたし、月森くんに甘えすぎだよね」

「そんなことはない。君はなんでも自分でやろうとし過ぎだ。もっと俺に甘えてくれ」

そう言って、月森は香穂子の肩に手を置こうとしたが、今、自分が言ったことを思いだし、手を引っ込めた。

「月森くん………わたし………月森くんが好きだから……その……わたしのために、何かを我慢させたりしたくない」

月森が目を見開いた。

「……それはどういう……?」

香穂子はブランコから降りると背伸びをして月森の首に両腕を回して抱きついた。

「香穂子?」

「……いつまでも月森くんの優しさに甘えてちゃいけないって思うから………だから……」

香穂子は月森の耳元に唇を近づけ囁いた。

月森は、香穂子の真意を測るように、じっと瞳を覗き込んだ。



「……本当に、君はそれでいいのか?」

「……………うん」

「……途中でやめる自信は持てないが」

「………………………うん」

月森の気持ちは揺れていた。

だが、こんなに近くにいる香穂子を自分から放せるほど月森も大人ではなかった。





「………俺の………俺の家に行こう」
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