倉庫(ノマカプとか)

□愛しているの代わりに
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「エアリス、君は大切な子どもなんだ」
初めて訪れた時、彼女は酷く怯えた表情でわたしを拒絶した。あれから10年以上経つが未だにわたしは彼女の元を尋ねている。そして、神羅への協力は断られ拒絶され続けているのだ。
「タークスって本当は、暇、なの?」
精一杯の嫌味を受け流して長椅子に腰掛ける。あと30分もしないうちに土いじりをやめて花を売りに行くだろう。
ツォンの予想通り、エアリスは籠に花を摘み始めた。ツォンも椅子から立ち上がり、エアリスの元へと歩き出す。
「エアリス、今日は何処に行くんだ?」
「八番街に行こうと思って。よくお花を買ってくれる人がいるの。いつも恋人にあげてるんだって」
ああ、あの男か。ツォンはひとりごちた。エアリスの交友関係はほぼ全て把握している。プレートの人間であれば監視カメラと市民IDを照合すれば造作もない。身内に犯罪経歴は無し、危険はないだろう。
「花を売るのに夢中になってあまり遅くならないで貰いたいものだな」
「ふふ、それはどうかな」
支度を終えたエアリスが楽しそうに立ち上がる。
「きゃっ」
老朽化していたからだろうか、木の床がパキッと音を立てる。割れた木に躓いたエアリスが後ろに倒れそうになり咄嗟に手を引いて抱きとめた。花の香りだろうか、いい香りが鼻腔をくすぐった。目の前に大きな緑色の瞳が溢れる、顔には先程の土いじりのせいか泥がついていた。そっと手を伸ばし拭ってやる。
「気を付けろ」
「ありがとう」
「仕事だからな」
柔らかな口調で礼を告げる彼女にそう告げるとエアリスは眉を顰めて、「あっそう」と呟いた。
昔からそうだ。仕事だ、神羅だ、古代種だと単語が出る度に彼女の表情は翳りそっぽを向く。それでいい。当然のことだ、彼女にとって我々神羅は忌避すべき悪でなくてはいけないのだから。
「今度、床を直させよう」
「別に、いいよ?」
手を離し体勢を整えさせる。彼女の足元で割れた床を見ながら提案すれば当然のように断られた。
「そういう訳にはいかない。お前に怪我をされては困る。心配させるな」
「…仕事、だから?」
見上げる瞳は、何かを期待しているように錯覚させた。
「…ああ、仕事だから、だ」
言葉に詰まったのはいつもより距離が近いせいだ。仕事以外の何がある。何があると私に言えるのだ。
それ以外を望んではいけないのだから。

***

薄れゆく意識の中でツォンは自分のために涙を流した少女を思い出す。そういえばさっきも、ケチのつきはじめだと言っただけで「協力なんてしないから」と断られたばかりだ。全く、本当に、最初から最後までエアリスらしい。
「…ツォンはタークスで敵だけど子供の頃から知ってる。私、そういう人、少ないから。世界中、ほんの少ししかいない、私のこと、知ってる人…」
まさか、そんな風に言われるとは思っていなかった。
あの瞬間、彼女とわたしは監視対象とタークスではなかった。もっと別の、そう、──彼女の言葉を借りるのならば──ただの知り合いだ。
簡単な事だった、わたし達の関係は知り合いだった。幼い頃からの知り合い。それだけでよかったのだ。
複雑でもなんでもない、好意も善意も、神羅だ古代種だと理由を決めつけて逃げ続けていた。理由がなければ、彼女の元を訪れることすら出来なかった。なんて愚かな男なのだろう。
彼女はずっと、敵ではなく知り合いとして関係を作ろうと向き合っていたのに。
今更そんな事を言って何になる。
ツォンの中の冷静な自分がそう問う。「知り合いだから心配している」などと彼女に告げた日には何と言われるか。いいとこ笑われて終わりだ。いや、笑われてもいい。
次、彼女に会う時は、知り合いから始めよう。
敵でも神羅でもタークスでもない。ただのエアリスに、ただのツォンとして。
「ふっ…」
不意に笑いが溢れ自嘲する。全く、タークス主任がこんな時に何を考えているのやら。レノとルードに指示を出さなければ。そうだ、仕事後にイリーナをめしに誘ったんだ、反故にする訳にもいかない。それなのに、ほんの少しだけ、このまま終わるのも悪くないと、そう思った。
「危ないところでしたなぁ、ツォンさん」
どうやらわたしは、まだ死ねないらしい。

***

「エア…リス…?」
優しげな緑色の瞳がわたしを見下ろしていた。これは夢だと、現実に起こりうる事のないものだとすぐに悟った。
彼女がジュノンの病院にいるはずがない。
なにより、エアリスはわたしに優しい表情を見せるはずがない。これはきっと、わたしの記憶にあるエアリスがザックスに向けた表情を都合よく見せているだけなのだ。そう納得して身体を起こす。「無理しないで」そんな言葉が可笑しくて、くつくつと肩を揺らす。随分と都合の良い夢だ。
「何で、笑うの?」
「珍しい事も、あるもんだ」
エアリスの問いに答えず、そう告げる。彼女は訳がわからないと少し困った顔をして、それから思い出したように口を開いた。
「怪我の調子はどう?」
「深くはないが浅くはないな。せいせいしただろう?」
「そんな事、ないよ?」
エアリスは真剣な表情で話す。「あっ」と声が漏れたのは、彼女が紡ぐ次の言葉が分かってしまったからだ。
「私、貴方が心配で来たんだから」
分かっていたその言葉に、またわたしは肩を震わせる。心配だから心配する。わたしには出来ないそれを彼女はいとも簡単にしてみせる。
「…仕事でもないのに、か?」
「…いじわる」
そう呟いてほんの少し頬を膨らませる。こういうところは、昔から変わらない。
「お前がわたしの元を訪れるなど初めてだ」
「いつもはツォンが来てたからね」
「そういえば、そうだな」
今まで彼女とこんなにも会話をした事があっただろうか。時が止まったかのような、ゆっくりとした時間がそこにはあった。
「ああ、そうだ」
昨日の夕飯を思い出したかのように、わたしは死を覚悟した時の決意を思い出す。「ん?」と彼女は目を丸くさせながら、子供のようにわたしの言葉を待つ。
この決意が鈍らないうちに、臆病なわたしが顔を出す前に。
「エアリス。知り合いから、始めないか?」
自分でも驚くくらい、優しい声だった。愛を囁くような声色で、わたしは知り合いになって欲しいと彼女に乞うた。
「…うん」
泣きそうな顔で、彼女は頷いた。
くしゃりと歪んだ彼女の顔に恐る恐る手を伸ばす。壊れ物を触るように、大切に。あと少しで触れるかと思った矢先、エアリスは立ち上がった。
「ねぇ、ツォン。私ね、ツォンに幸せになってほしい」
「え?」
「私はもう、大丈夫、だから。ツォンに守って貰わなくても大丈夫」
突然の拒絶に、伸ばした手は空を掴んだ。エアリスは素知らぬ顔で言葉を続ける。
「私、ずっと、守ってもらってた、ツォンに」
「…ああ、そうだな」
仕事だ、といつもの調子で口を突いて出そうになった言葉を飲み込んで、ただ肯定する。自分の気持ちに正直になったのはいつ以来だろう。
「ツォンの事、待ってる人、いるよ」
微笑んだ彼女は目を閉じる。きっと、彼女の元へ出向いた事のある部下たちを思い浮かべているのだろう。
「待たせすぎた、かもしれないな」
「うん、早く、行ってあげなきゃ」
「ああ、そうするよ」
「よかった」と呟いて、エアリスは微笑む。
「じゃあ、ね」
そう言って、彼女は病室の扉を開ける。微笑む彼女はどこか寂しげで。それでいて満足したかのように笑うものだから。待ってくれ、と声をかけるか悩んで、ただその後ろ姿を見送った。
誰もいなくなった病室で、わたしは涙を流していた。


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