短編小説
□香水
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ふわりと爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
「うわ、良い匂い……」
何の気なしに、匂いの元はなんだろうかと振り返れば、そこに黄猿大将がいた。もしかしてこの香りは、黄猿大将からしているのか? と驚きで固まっていると
「んん?」
と、こちらに気づいた黄猿大将がぐい、と腰を曲げて私の顔を覗き込んできた。
「どうかしたかい?」
「あ、えっと……」
突然話しかけられて口ごもってしまった。しかし別に悪口を言っていたわけでもないため、思ったことをそのまま口にすることにした。
「あの、香水付けられてますか?」
そう言えば、黄猿大将はキョトンと表情を丸くした。その表情は見たことがないな、とこちらも驚いてしまう。もしかして付けていなかったか? と不安になったが、黄猿大将が良かったァ、付けてるの分かる? と安堵したように言うのでほっと息を吐いた。
「少し前から付けてるのに誰も気づいてくれなくてねェ。こっちは気を遣ってるって言うのにィ」
「ははは……」
こんな男性ばかりの職場でお互いに香水の香りを褒めあうなんてことはほとんど無いに等しいだろう。と言うか、付けている人のほうが珍しいくらいだ。
それに、黄猿大将の香水はさりげなく香る程度で、そのようなことに無頓着な人には分からないくらいのものだ。
軽く笑いながらも何処となく不満そうな黄猿大将。気づいてもらえないのは寂しいよなぁ、と少し共感してしまい、素直に褒めることにした。
「その香り、凄く良いと思います」
「ほんとォ?」
そう言えば、黄猿大将は嬉しそうに笑った。
「はい、とても。柔らかくて爽やかで、近くにいてもきつくないので」
すっと顔を近づけて香りを嗅いでみる。やはり先程嗅いだ香りと同じ匂いがする。とても良い匂いだ。
「私は好きですよ」
そう言って顔を上げると、なぜか顔を赤くした黄猿大将が驚いたようにこちらを見下ろしていた。
「あの……?」
どうかしたのか? と小首を傾げると黄猿大将はあからさまに目線を反らした。さっきまでは普通に話していたのに、とさらに不思議に思っていると
「そ、っかァ。好き、ねェ……」
と小さくごもごも呟いたのが聞こえた。
「はい、好きですよ」
好きなものは好きなときにちゃんと好きと言っておかないと後から後悔するのだ。食べたいものは食べたいときに食べる。したいことはしたいときにする。言いたいことは言いたいときに言う。何事もはっきりが一番だと思う。
「あァ〜、うん。分かったからちょっと黙っててねェ……」
しかしはっきり好きだと断言したら、さらに顔を赤くした黄猿大将に手で制されてしまった。そういえば香水は体温が高いときほど香りやすいのだと何かで読んだ気がする。
「もう一度嗅がせていただいてもいいですか?」
「ん〜、駄目……」
残念だ。こんなにも良い匂いなのに。
だが嫌がっているのだから仕方がない。大人しく仕事に戻ることにしよう。
「お時間取らせてしまってすみません。そろそろ仕事に戻ります。香水、気づいてもらえるといいですね」
それでは、と会釈してその場を後にした。
「おかえり〜、って、顔真っ赤じゃん!」
「楓ちゃんに好きって言ってもらっちゃったァ……」
クザンがボルサリーノを出迎えると、ボルサリーノは赤い顔を隠すこともせずにふわふわと夢見心地な口調でそう告げた。
「はぁぁぁああ!!?」
「なっ……!?」
その日、海軍本部にクザンの叫び声とサカズキの怒号が響き渡ったのだが、その理由を楓は知る由もなかった。