novel 1 


□愛の紋章 10
1ページ/18ページ


 41 謀愛 @



「なに───我が軍がまたしてもエジプト軍に敗北したと!?」
「せっかく手に入れたナイルの娘まで、みすみす引き渡したというのか!?」
「なんたる屈辱ぞ───イズミルもハザスも何をしておったのじゃ!」

玉座から立ち上がり、怒声を放つヒッタイト国王。
一連の報告を終え、床に平伏した兵士も、無念そうに申し開きをする。
「エジプト人のナイルの娘への信仰は凄まじく、甚だ不覚なれど、我がヒッタイト軍、その闘志と攻撃力に圧倒されました。二万の兵のうち一万三千を失い、これ以上の戦いは不可能と、イズミル殿下が苦汁の判断をなされたのでございます」

大国どうしの二度目の戦いは、エジプトが大勝し、ヒッタイトが降伏したというのが実情であった。ナイルの娘に手を出せば、いかなる相手も容赦せぬと、エジプトが各国に宣言したようなものである。ヒッタイトはその見せしめになったのだ。

怒りに歯ぎしりする国王に、伝令の兵士は続けて伝えた。
「しかしながらミタムン王女様の件については、エジプトは罪を認め、謝罪と賠償をおこなうと申して参りました」
「それはまことか」
今度は王妃が声をあげた。

「犯人は王の姉であったと申すのか、ナイルの娘ではなく……」
事の真相を聞き、彼女の高貴なまなざしが翳りゆく。

本来ならエジプト王家の姉弟の愛憎劇など、ヒッタイトには関わりのない、他国の問題である。だがそのせいで愛娘が無惨な死に追いやられたのだと思うと、メンフィス王に対しても憤りが芽生え、かのナイルの娘については複雑な感情をよぎらせる王妃であった。

国王はエジプトがよこしてきた書状に目を通した。
敗戦の悔しさはあれど、エジプトが非を認めたのは大きな出来事であった。

王メンフィスの直筆で記された謝罪の文言と賠償の品々。
莫大な量の金銀財宝。香料・牛馬・武器・象牙・木材……さまざまな種類の貴重品。今後永続的に譲渡するという数ヶ所の領地。

しかし富国エジプトにとって、それらの喪失は微々たるものであろうとも思われた。差し出してきた領地にしても、かねてからヒッタイトが狙っていた豊作地帯や繁栄都市ではなく、ヒッタイトに渡してもエジプトの国益を凌駕することがないよう、巧みな選択がなされている。

エジプトが公式に謝罪してきた以上、ヒッタイトも和解の道を取らざるを得ず、王女死亡事件はこれをもって終結させるしかない。だが反エジプト感情がすぐに消えるはずはなく、むしろエジプト侵略の野望は国王の胸中でますます増大したようであった。

「───して、イズミルは今どうしておるのじゃ」
「ただいま塩の海の東に駐留しておられます」
「では早急に追加の軍を送るゆえ、その場で待っておれと申せ。余が直々に兵を率いて向かおうぞ。合流して一気にエジプトへ攻め込む。なんなら隣国アッシリアに援軍を要請してもよい。
こうなれば全面対決じゃ。今度こそ憎きメンフィス王を倒し、エジプト全土を手に入れてやる!」

すると国王がそう言うのを予想していたように、兵士は丁重に反論した。
「恐れながら、イズミル殿下は『援軍は不要』とおっしゃっております。そして陛下におかれましてはハットゥシャからお動きになりませぬようにと」
「なんじゃと?」
「続けてエジプトに敗れた今、我が軍の兵数は著しく減少いたしました。この上、陛下がさらなる兵を伴って首都を出れば、これを好機と見てヒッタイト国内に攻め入ってくる者もありましょう。つい先日も得体の知れぬ海からの賊が海岸の街を襲ったばかりにございますれば」
「それはそうじゃが……」
「その最も油断ならぬ相手が隣国アッシリアでございます。欲深で野心あふれるアルゴン王のこと、陛下が首都を空けたとたんに攻め込んでくるか、援軍を差し向けてきても最後の段階で裏切るか、あるいは裏でひそかにエジプトと通じるか。
同盟を結んだとはいえ、あのアルゴン王はいまひとつ信用がおけませぬ。しばらくは国内の防備を固めるべきとイズミル殿下は考えておいでです」
「うぬ…」




.
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ