妄想話
□ミルクティーC
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「この四月からお世話になります、クオンジヨンです。」
グレーのブロックチェックのタイトなスーツに身を包んだ見るからにハイソな雰囲気を漂わせている赤髪オールバックの男がテソンの前に立ちそう言った。
すっと差し出された手をおずおずと握り返すと。
「…カンデソンです。よろしくお願いします。」
「ふうん、君がテソン君かあ。」
どう考えても後から入社してきたクオンジヨンの方が後輩のはずなのに、タメ口をきいてくるその男を少しムッとして見る。
「そぉんな顔しないで、これから仲良くやってこうよ。」
そう言いながら馴れ馴れしく僕の肩を抱くクオンジヨン。
チェ代表ことタッピョンは今海外出張中で、今日から入社予定の新人の面倒を任されていた。
「俺のことヒョンから聞いてる?」
「はい、昔からの友人と伺ってます。」
出張前夜、ヒョンに言われた。
「テソナぁ、四月から俺の古い友達が会社に来てくれることになってさあ。」
「そうなんですか?」
「学生時代からの悪友なんだけどセンスはあるから、去年まで大手の企画部にいたんだけどヘッドハンティングして来たの」
「凄いじゃないですか。」
「でもちょっと難点が…」
「難点…?」
「いや!何でもない!とにかく俺不在期間だからテソナよろしくね、それとくれぐれも仕事以外の話はしないこと。仕事上の付き合いしかしなくていいから」
「はあ?それってどう言う…」
と言いかけた所でキスされたんだった。
ヒョンが珍しく話をうやむやにするから気にはなっていたけど。
それが今目の前にいる男だ。
僕の知らないタッピョンを知っているこの男。タッピョンの絶対の信頼を受けているこの華奢な男。実際目の前にすると、想像以上に胸が騒ついた。
「ねえねえ、タッピョンから俺との関係とか何も聞いてないの?」
妖艶で勝気に満ちた眼差しで近くから見られると萎縮しそうになる。
不思議な魅力の男。
でも、さっきからヒョンとの関係性をやたら話題に出してくるのが気にかかる。
過去に何があろうと今のあの人を一番理解してるのは自分だって言いたい。それは絶対に無理だけど…。
「特に…それより仕事の引き継ぎを」
「いいや、どうせタッピョンが戻って来ないと進まない話だろ?今日は取り敢えず顔合わせにしてこのまま飲みに出掛けようぜ」
「はあ?!」
僕が目を丸くして驚いている間に、デスクにあった鞄と上着を脇に抱えて僕の腕をぐいぐい引いて会社を出ようとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
さっきまでのあのハイソでスタイリッシュな雰囲気からは全然想像出来ないその強引さに慌てて制止しようとした。
「なにー?これも仕事の一環でしょ?新入りとの腹割ったコミュニケーションを通して普段の作業を円滑化するのー」
ごもっともな事言ってるようだが、まだ勤務時間内なんですけど。
「いや、でも、代表から庶務連絡等引き継ぐよう言われてるので!」
僕がどんなに焦って見せても全く動じてない様子のクオンジヨン、さすが元大手。
「…ふうん、W代表Wって呼んでんだ」
「え…」
クオンジヨンはニヤリと口元を歪ませて僕の方を見ていた。
「もっと親しい仲なのかと思ったけど、安心した。」
思わず腕を取られたまま動きを止めてしまった。ここは動揺すべき所ではない、僕はヒョンの恋人だけど、恋人ではないのだから。
「そ、そうですよ。当然じゃないですか、当たり前です。」
「そう、じゃあノープロブレム。君とタッピョンは上司と社員それだけの関係って事だよね?」
「……。」
喉元まで「違う」と言う言葉が出掛かっていた。この男とタッピョンとの過去も気になるけど、それ以上に自分が情けなくて非力で、居たたまれなくなった。
「…行きましょう。」
「はい?」
「飲みに行きましょう、ジヨンさん。」
「え、いいの?やった、じゃあこの辺の美味しい酒飲めるとこ探そー」
ジヨンさんから鞄と上着を受け取り、さっさとエレベーターを目指す。
ジヨンさんはスマホをいじりながら鼻歌を歌ってる。
ヒョンがジヨンさんと仕事以上の話をしないで欲しいと言っていた事。
ジヨンさんが匂わせる過去の二人の関係性。
頭がもうそれしか考えられなくなっていた。
「こっちこっち」
いつの間にか店の前に到着していて、ジヨンさんに袖を掴まれ止められる。
店に入るとカウンターに並んで腰掛け、ジヨンさんはビールを二つオーダーした。
悶々としていた僕は自分から何か話題を振ることも出来ず、せめて明日からの仕事に支障が出ないようにしっかりしなくてはと切り替える事に一所懸命だった。
「マスター、赤、若くて辛口の」
そのスマートな振る舞い、ビールの次に赤ワインを飲む所はヒョンに似てる。
「ねえ、テソン君さあ」
「はい」
「タッピョンのこと好き?」
「え…?それってどう言う…」
「限りなく個人的に。」
「…上司として…尊敬してます…」
胸がズキンと痛む。
「ふうん、本当に?そうは見えないんだけど。」
「何言ってるんですか、そんなの…」
なんと言っていいか分からない、だって全て嘘だから。
ジヨンさんはグラスを揺らしながら頬杖をついてずっと僕の表情を観察している。
「聞いてもいいかな?」
対照的に僕は手元のグラスから目が離せない、ヒョン、僕はどうしたいんだろう。どうしたらいいの?
「テソン君、ゲイじゃないよね?」
「なっ、なんですか?!」
思わずあげてしまった声に慌てて両手で口を覆う。
「ぶっ、かあいいなあ。冗談だよ。」
「何でそんな事を、仕事と関係ありますか?!」
半ばキレ気味に、まくし立てるように言うとジヨンさんはハハハと豪快に笑った。
「関係ないから気になるんじゃん、俺はテソン君の事タッピョンのただの部下と思ってないからさ。」
「も、もう知りません!ジヨンさん意地悪です!」
「意地悪って、ククク、…マジかあいい。」
もう何だか馬鹿らしくなって来て二口ほどしか進んでいなかったビールをグイッと掻き込み、ほとんどを飲み干す。
「ちょっと大丈夫?」
「ジヨンさん…タッピョンは僕の尊敬する上司です。それだけです。」
例え過去にジヨンさんみたいな魅力的な人と何かあったのだとしても、今の僕が何をどう出来るわけでもない。
明日からヒョンが僕よりジヨンさんを優先するのだとしても僕に出来る事なんか。
「ほんとに…それだけなんです…」
「テソン君、君って」
そして何故かジヨンさんがカウンターに乗せた僕の拳の上に手を重ねて来た。
と、その時着信音が響く。
「ヨボセヨ…あ!タッピョン!」
え?タッピョン?
「うん、今テソン君とワイン飲んでる。そうそう、会社の近くのバルっぽいとこー」
帰国は明日のはずだけど。
今更一気飲みしたビールで頭がぼんやりして来た。
ガタタ、バタン!
店内に騒音が鳴り響く、入り口の方を見ると…
「おいコラ、ジヨン!!!!」
なぜかカンカンに怒ったタッピョンが立っていた。
「あ、タッピョン久しぶりい〜」
ジヨンさんがヒラヒラと手を振ると、タッピョンがドカドカと足をふみ鳴らしながらこちらまで来て僕の隣に腰を下ろした。
「あれ?ひょん、帰り明日でしょ?」
そう言いながらも僕は、すっかりビールが回って顔が熱いのが自分でもわかる。きっと赤い。
「おい!その手何!俺のテソンに触れるな!」
重ねられた僕とジヨンさんの手を力づくで引き離しにかかるタッピョン。
「てかテソナ!酔ってるの?!なんで?!ジヨンに何かされた?ねえ!何もされてない?!」
肩を掴んで無理矢理そちらを向かされ矢継ぎ早に言われるが、いかんせん僕の思考回路はだいぶスローリー。
「て言うかひょん」
「な、なにテソナ」
「何でジヨンさんと僕が親しくなったら困るんですか?あの時もなんか誤魔化したし…言えないような事があるんですか?」
「テソナ、違うよ。お前が心配だったの。」
「心配ってなにがですか、知られたら困る事があるんですか」
「ある…いやない!」
「あるんだ…嘘つきなひょんなんか嫌いです」
「テソナぁ〜違うんだよ、これには訳が」
「ふん、良いです。どうせ僕なんかひょんにとってその程度なんだ」
「なに言ってるの!いつも言ってるでしょ!テソナが全てだって!テソナがいれば他に何もいらないもん!」
「どうだか」
「出張でしばらく会えなかっただけでも泣きたいのに、テソナひどい…お前に触れられないとヒョン死んじゃう」
「今日は自宅に帰ります」
「やだ!だめ!テソナチャージしないと明日出社しない!」
「…ゴホン、あのー、そろそろ良いかな」
その声に二人してハッとして反対隣のジヨンさんの方を見る。
「あ、あの、ジヨンさん、こ、これはその」
「はは、やっぱ二人そうだったんじゃあん」
動揺しきる僕に対して相変わらず飄々とした口調のジヨンさん。
「ジヨン!お前変な気起こすなよ!」
「えー、もう手遅れかも」
僕を挟んで交わされる二人の会話を一所懸命酔った頭で追う。
「テソン君かあいいんだもん。」
「おまっ、だめだ!絶対に無理!テソンだけは絶対だめ!!!」
「めっちゃかあいいし、俺のどタイプ。」
「やめろっ!大体お前、年下の恋人出来たって言ってただろ!」
「その点は大丈夫、お互い火遊びは容認してるから。」
左右で繰り広げられる二人の会話を頑張って脳内で処理しつつ、ふと疑問が湧いてきた。
「あれ…?ジヨンさんてたっぴょんの元カレじゃ…」
「うふふ、そうだと思ってあんなにツンツンしてたの?そんな所も好み」
「やめろジヨン。え、どういう事かなテソナ」
「二人は付き合ってたのかと、え、じゃあ何でたっぴょんあんなこと…」
「う、こんな事言うと小さい男と思われるのが嫌だったんだけど。ジヨンは生粋の年下好きのゲイで、テソナの事絶対気にいるって分かってたから出来るだけ阻止したかったんだ。でも俺出張中だったし」
「ひょん」
「だから向こうでの商談すごい頑張って今日のジヨンの出社に間に合おうと思ったんだけど…」
「ぼく」
「間に合わなかったけど…」
「嘘ばっかり言っちゃった…ひょんはただの上司だって…本当は大好きって言いたいのに」
「てかそれ家でやってくれるかな?ね、マスター」
すっかり二人の世界だった僕とタッピョンの間にジヨンさんの冷静な言葉が割り込む。
そう言えばここカウンター席だった。
幸いまだ夕方の早い時間だったので他にお客さんはいなかったけど、カウンター内の端の方でグラスを磨くマスターらしき紳士は苦が笑いを浮かべていた。
「なんか疲れちゃった、眠たいし僕帰っていいですか」
「一緒にかえろ!テソナ」
「あーあ、ただのイチャコラ見せられて俺も疲れたー。マスター同じのもう一杯」
身支度を整え、財布を取り出そうとすると。
「いいよ、楽しい時間過ごせたし。お陰で明日からの仕事もすげー楽しみになってきた。ありがとう、テソン君。」
カウンターに腰掛け頬杖をついたままだったけど、そんなジヨンさんはとても大人に見えた。
そして僕は結局帰国したばかりの疲れ切ったヒョンと同じ部屋へ帰るのだった。
「ヒョン、ジヨンさんてすごくカッコイイですね。」
「て、テソナ何言ってるの!」
「僕も明日からいい仕事出来そうです。でも…」
「ん…?」
「僕も寂しかったよ、ヒョンと離れてる間」
「うっ、テソナ…っ!今夜は朝までコースで良いかな!」
「無理です」
「テソナああああ!」
あなたの大きな愛の前に立つと、僕の不安や迷いなんかとても小さく感じる。
いつか大声でこの人が僕の愛する人だと言える日が来ますように。
そんな自分になれますように。
END