妄想話

□初恋の嵐
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テソンは今日もまた大きな溜息をつき、ベッドに倒れこむと枕に顔を埋めた。
気を抜くと溢れそうになる涙を堪えるため、息が止まりそうなほど枕に強く顔面を押し付けてみる。

(どうして僕、こんな思いをしてるんだろ)




今日もテソンはいつも通り大学へ通学していた。いつもの街並み、いつもの靴、いつもの冴えない自分。
鏡が嫌いだった、通りすがりに姿を映すショウウィンドウも。服もリュックも何もかもパッとしない自分。周りの同年代の友人達はもう少しキラキラして楽しそうなのに、どうして自分はいつもこんな調子なのか。
テソンはそんな事を考えて無意識のうちに肩を落とし俯き加減で歩いていた。

その日、午後の授業が終わり筆箱や教科書をリュックに詰めていると友人が声をかけてきた。

「テソン今日これで終わりだろ?みんなとカラオケ行くけどお前もどう?」

「あ、僕バイトがあるから…」

「またバイト?お前頑張り過ぎ」

「…ごめん、また声かけて」

友人はそれに対して返事もせず、つまらなそうにすぐ違うグループの元へ混じって行った。

腕時計を見るとバイトの時間まであと30分だった。
電車を使えば10分だがテソンは毎日徒歩で通っているため余分な時間はない。

(僕だって、カラオケ行きたかった)

そんな気持ちが過ぎったが校門を出て直ぐに走り出したら忘れてしまった。
テソンの毎日はとても忙しなかった。大学の講義と掛け持ちしている二つのアルバイト。
家に帰ればいつもヘトヘトでテレビを観たり、ゲームしたりする事も殆ど無い。

友人はいたがそんな生活なので接点を持てず今日の様につまらない返事しか出来ない始末だ。
テソンだってこんな生活を望んでいた訳じゃない。ただ学業とアルバイトを両立させなければならない事情があったのだ。

考え事をしながら走っていたせいかつい注意力に欠いた。歩道橋の階段でつまづいてしまった、バランスを崩し前のめりに倒れこんでしまうテソン。
体を支えた掌に鈍痛が走る、恐る恐る掌を見ると擦り剥いて少しだが出血していた。

「いっ…たぁ」

しかし立ち止まってる暇はない。のろのろと立ち上がり膝の汚れを払う。
その時だった、歩道橋の階段の上方から賑やかな話し声が聞こえてくる。思わず顔を上げると、その四人ほどのグループの中に良く知る姿を見つけた。

「あ…」

スラリと長い足を露出させたミニスカートの女子達に囲まれて登場したのは

「あれ?テソン?」

「タプ…」

二人は幼稚園からの幼馴染だった。
決して疎遠な訳ではなかったけれど、こんな至近距離で話すのはいつぶりだっただろう。

「どうしたの?大丈夫?えっ、血が出てるよ!転んだの?!」

タプは直ぐ様テソンへ駆け寄り怪我をした手を取る。その瞬間、テソンの心臓はドキンと鳴った。

「だ、大丈夫…ちょっとつまづいただけ」

「ほら、これで拭いて!」

そう言うとタプは上着のポケットからハンカチを取り出しテソンの掌へ当てる。

「ありがと、あの…」

テソンが言いかけた時、タプの背後から高くハリのある高い声が割って入った。

「ねえ、タプ早く行こ〜みんな待ってるってば!」

「あ、そうだった。じゃあねテソン」

「あの、ハンカチ」

「今度でいいよ!血、まだ止まってないでしょ?」

そう言うとタプはすり寄って来たミニスカートの女の子の腰に手を回し颯爽と歩道橋を降り行ってしまう。テソンは怪我をした手でハンカチを握りしめて、その後ろ姿をただ見送るしか出来なかった。
そしてハッと腕時計を見て、また慌てて走り出したのだった。


早朝からパン屋のバイトをしてその足で大学へ、その後に弁当屋のバイトを夜まで続けて疲れ果てて家に帰ったのは22時を回っていた。

リュックを下ろしパーカーを脱ぐと洗濯機へ入れる前にポケットを探ると、タプに渡されたハンカチが出て来た。
きちんとアイロンがかけられた有名なロゴの入った質の良いハンカチだった。テソンはジッとそれを見つめる。

途端に疲労と悲しさが込み上げてきて、大きく溜息をつくとベッドに倒れ込んだのだった。


枕に顔を埋めていたが、頭の中を今日歩道橋で会ったタプが浮かぶとどうしても涙が出そうになる。
いや、既に何粒かの涙が目尻から落ち枕を濡らしていた。



テソンはタプの事が好きだった。
友人としてではない。それは恋だった。
その事をテソンが自覚したのは中学生の頃、しかしテソンの中にあるタプへの想いは幼い頃から何ら変わりはなく、それが恋なのだと思い至った所で特に何がどうなる訳でもなかった。

ただ、テソンを一番苦しめたのは環境の変化だった。テソンが高校受験を控えて中学三年生の頃、女手一つでテソンを育ててくれていた母が仕事先で倒れ急逝してしまったのだ。
まだ中学生だったテソンの生活費は既に社会人だった姉が支えてくれていた。
そして無事に志望校へ合格を果たしたテソンの学費も姉が全面的に面倒を見てくれている。
そんな姉にこれ以上の負担はかけられまいと、アルバイトを始め生活費を自分で稼ぐようになった。勿論学業も疎かには出来ない。

親身な姉の支援もあり何とか大学進学まで辿り着けた。
しかしここ数年のテソンの生活は常に余裕など無く、いつの間にかあんなに気が合い仲の良かったタプと過ごす時間も減り接点が無くなって行った。

更にそんなテソンの気持ちに追い打ちをかけたのはタプの家庭の事情だ。
タプは地元でも有名な地主の孫で、広大な敷地の豪邸に住み且つ恵まれた外見だったので高校生の頃からモデルの仕事もしたりしていて、彼の周りは常に華やかでそんなタプの姿と自分の姿を否応なく比べてしまう。

いつしか淡くてふわふわとしていたテソンの密かな恋心は、そんな現実に飲み込まれ、影を落とした。
それでも止められないタプへの想い。
会うことも無くなり少しだけ鈍感になっていたのに、今日あんな距離で触れ合い優しい言葉をかけられたりしたから、またテソンの心は暗く重たい現実に潰されそうになっていた。





続く
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