From this day

□クロロの世界にやってきた
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 技術で敵わないなら、体力で敵わないなら。私にはもう、己の能力ひとつしか飛躍させるものがないではないか。

「……何をしている」
 クロロが外出している隙を見計らい、大量に制約の指輪を具現化していた。一朝一夕で体力なんてつくはずがなかった。昨日今日でナイフなんて扱えるわけがない。けれど私は、できなければならないのだ。クロロの隣に立つならば弱い女であってはならない。あちらを想えばまだ涙だって出るし、クロロがいない夜は帰りたくて泣いたりもする。あの日以来、時折無性に発狂してしまいそうになるのだ。クロロとの出逢いを後悔なんてしたくないのに。個人の尊厳などとうに失われ、クモであるが故の葛藤ばかりが身体中を蝕んでいた。
「あ、おかえり……」
 またひとつ、カランと指輪がテーブルに転がった。練っていたオーラを止めて振り返れば、眉間に深い皺を刻むクロロが形容しがたい面持ちで私を見下ろしていた。
「何のつもりだ」
「……制約……厳しくしたくて……」
「これ以上は負担になる。なぜそんなこともわからない」
「どうしても……強くなりたかったから……」
 クロロが帰ってきたならご飯作らないと。一旦中断し立ち上がろうとするも、オーラの割り当てが十分にいかずフラついて倒れ込む。床に激突する間際、私を抱きとめてくれた人物は一人しかいない。それすら今は惨めなだけだ。こんな役立たず、放っておいてくれて構わないのに。
「っ、ごめ……」
「お前は本当に馬鹿だな。いや、今に始まったことではないか」
 ぎゅっと込められた力はすぐに離れ、私を覗き込むようにクロロの顔が傾けられた。目尻に触れられ、押し当てられた唇は温かい。
「すぐに泣く、その様子も変わっていない。初めて出会ったあの日からずっと」
「クロ、ロ……」
「だが、そうだな。一つだけ変わったことがある。オレへの愛を説かなくなった」
 目を見開く私にクロロは苦しげな表情を見せた。そんなもの意識したことなんて一度もなかったから。けれど、それもわかる気がした。だって今はこんなにも余裕がない。好きな気持ちは一切変化などしていないというのに、この世界の異分子である自分にはもう全てが限界だった。
「オレはそれが気に入らない。なあ、おかしいだろ? 日本で暮らしていた方が、まるで恋人のようじゃないか」
「……っ」
 何も言えなかった。言う資格などなかった。クロロにこんな台詞を吐かせてしまった私の罪とは、なんて重く、償いきれないものなのだろう。
「……クロ、ロ……私と……別れ、たい……?」
 ごめんねなんて言えるはずがない。だって私はこの先もずっと、自分に自信が持てるまでずっとずっとこの行いを繰り返してしまうだろうから。クロロは私の言葉に驚きもしない。伏せられた視線に別れの時を覚悟した。
「そうだな。この様子では無理だ。恋人のままではいられない」
 不思議とショックに思えなかったのは、きっといつかはこうなると心のどこかでわかっていたからだろう。クロロは気付いていたのだ。団員との邂逅を経て、次第に壊れゆく私の心を。もう全てが終わっていたことに。精気のない顔でぼんやりと床を眺めていたら、突然目の前に繊細な鎖が差し出される。その先端には見たことのない指輪があった。
「だから、こう改めて申し込もう。オレと結婚しないか」
「…………え?」
「首から下げろよ、オレもそうする。もう薬指は互いに埋まっているしな」
 意味がわからず、ただただ目の前で揺れている指輪を見つめていた。細やかな装飾は、素人目でも分かるほどその価値の高さを主張している。こんなもの、これまでの人生でお目にかかったことすらない。きっと目が眩むくらい高価な代物だろう。滲み始めた視界では、もう何も見えはしないけれど。


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