From this day

□クロロの存在
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 あとたったの三ヶ月。言い出したのは自分だが、やるべき事が多すぎて本当に短い。
 怪しまれない程度の身辺整理は勿論の事、あちらの世界で生きる術すらも私はまだ身につけていないのだ。もう一つだけ開発しておきたい能力もあるし、ハンター言語もマスターしなくてはならない。家族や友人との時間だって私にとってはかけがえのない大切なものだ。もういっそ今すぐ仕事なんてやめてしまえたらどんなに助かるだろうか。正当な理由もなくそんな真似をして、周りから何を言われるかは容易に想像できてしまうけれども。しかしそうでもしなければ、いい加減に本気で倒れてしまうのではないかと思い始める程度には既に限界も近く、そしてそれは何より、あちらの世界に対する不安がくすぶっているからであることくらい誰より自分が一番よくわかっていた。

「すごい顔だな」
「寝てないもので」
 いつも同様窓から靴を脱いで入ってくるクロロは、帰宅の言葉もそこそこに、軽く私の目尻に口付け笑う。彼自身も近頃は極端に外出が増えた。なんでも、私の死体偽装の為には様々な準備が必要なのだという。詳しいことは知りたくもないが、彼は彼で忙しいようだ。最近は読書する姿もあまり見ていない。
「ねえクロロ。私、自分だけが移動する能力が欲しいんだけどできるかな」
 ベッドへと腰を降ろし缶ビール片手にネクタイを緩めるその一連の動作に見惚れながらも、今はそんなことをしている場合ではないと頭を振り先を促す。漆黒の瞳が私を射抜き、クロロは何も答えてくれない。何かマズイことでも言ってしまったのだろうか、これといって思いあたる節など見当たらないのだが。
「無理……かな?」
「なぜだ」
「え?」
「オレと飛ぶだけでは不満か?」
 ビールを飲み干し、甲高い音を立てながら手元の缶が握り潰された。機嫌の悪さなど、それだけで一目瞭然だ。少しだけ言い淀みつつ、私は先を続けるしかない。
「不満とかじゃないんだけど……」
「けど?」
 間髪入れずに硬いままの声でクロロは問う。そろそろこわくて俯いたら、クロロが立ち上がり距離を詰めてきた。一歩引いた身体は手首を取られ、握られた箇所だけ燃えるように熱い。
「今、あっちの世界を勉強する為にもう一度漫画を読み返しているんだけど、私どう考えてもお荷物で……」
「オレはそうは思わない」
「クロロが思わなくても私が嫌なの。だってクロロ、私を旅団に入れる気なんでしょ? 使えると本気で思ってるの?」
「それは、オレに言ってるのか?」
 頭であるオレに? 二度問われ、合わさった目は私だけが潤んでいた。だって、私のような一般人では絶対に役立たずだ。せめて逃走の手段くらい作らせてくれてもいいではないか。本当は旅団なんて入りたくない。普通に就職したい。けれど、旅団のリーダーと関わりがあると知られては、きっと私はクロロの弱点になるだろうから、だから嫌だけど頑張ろうと決めたのに、なんでクロロはそんなに怒るのだ。しかも、私なんかでは弱点にすらならないことだって、ちゃんと理解している。頭を切り捨ててでも存続を選択するのがクモという組織だ。もしもの時なんて見捨てられて終わりだろう。私の命など、とても軽いのだ。なら何の為に行くんだっけ。
「……なるほど。お前の言いたいことはよくわかった」
 ぐすぐすと鼻を鳴らし訴えれば、取られていない方の手で涙を拭う私を抱き上げクロロは膝上に座らせた。先程までの怒気はおさまり、上目でうかがった先では困ったように微笑む彼の姿があった。前髪を上げ、ちゅうっと唇が押し当てられる。
「まるでマリッジブルーだな」
「冗談はやめて」
「わかっている」
「嘘、わかってな」
「わかっているよ、お前の覚悟は」
 目を見開いた私に、クロロのワイシャツが押し付けられる。抱きしめられたその熱があまりにも切なくて、縋るように背中へと手を回した。
「お前が捨てるものの重みくらい知っている。お前と、オレたちの価値観が真逆であることも」
 クロロはその台詞を一言一言丁寧に紡いでいった。
「それでもオレはお前が欲しい。だから、そうだな。もしもの場合はオレのところへ飛んでこい。守って、やるから」
 声を上げて泣く私の背中を、クロロはあやすように何度も叩いて落ち着かせてくれた。全てのことが不安で不安で、もう本当に私があちらの世界に渡る理由はクロロしかいなくて、でもそんなクロロも自分の命などなんとも思ってはいないのだ。
「少し、眠った方がいい」
 旅団の活動なんて肯定できない。いくらクロロの命令でも人なんて絶対に殺したくない。あの世界では、私だけが異分子なのだろう。いつ弾き出されてしまっても、おかしくはなかった。







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