From this day

□クロロがいないもしもの未来
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「熱……っ」
「どうした」
 やばい。そう思った時には、既に目の前が歪んでいた。安らげる自室の中、クロロに教わりながらいつも通り基礎訓練をしていただけなのに。
「指輪外せ!」
 珍しく焦ったような彼の声が遠ざかり、追い打ちをかけるかのごとく始まった頭痛に私は妙な胸騒ぎを覚えた。大きく揺らぐ視界に瞼は開けていられず、強く掴まれたであろう二の腕には痛みなどない。必死に開けた視界の先では、最早感覚のない左手からクロロが指輪を抜き取っているのが見えた。いや、正確には抜き取る間際だ。抜き取る間際で私は、
「……嘘……でしょ……?」
 眼前に広がる見慣れぬ景色に、私は呆然と立ち尽くしていた。
 まさか自分自身が移動するなど一体誰が想像できるであろうか。これはクロロと出逢うためだけに発現した能力のはずだ、そこに私の関わりなど一切ない。なのになぜ私がこうして移動する羽目に。
 ここはどこかの一室だろうか。ついてはいないが大型のテレビ。見上げればエアコン。冷たい風に季節は夏かとどうでもいい推測が浮かぶも、これは家主が在宅している可能性を示唆していた。本格的にまずい。早くここから逃げ出さなければ。考えるのはそれからだ。
 慌てて戸口へと視線を移し今まさに駆け出そうとした最中、ふとあるものが目に飛び込んできてしまった私の身体は見事に硬直した。
「ここ、は……」
 この地の新聞が、置かれていたのだ。見出しの文字は日本語でも何もなく、まさか私は、次元ごと、
「……冗、談……だろ……?」
「え?」
 びっくりした。突然背後からクロロの声が聞こえてきたから。と同時に安心もした。誰よりも頼りになる男性だと本能的に知っているからだ。もしや直前の接触が原因だろうか。クロロにとっては二重の災難ではあるが、不幸中の幸いとはまさにこのことである。
「クロロ!」
 史上最高の喜びともいえる表情で思いきり振り向き抱きつこうと手を伸ばしたところ、なぜかその先にいたクロロは黒い革張りのソファに座り一人読書をしていた。端正な顔には初めてお目に掛かる黒縁の眼鏡がある。どうしようすごく似合うなかっこいい。そう思ったのも束の間、クロロの持つ雰囲気に若干の違和感を覚え首を傾げた。これはどういうことだ。この男性は、私が知るいつもの彼では、ない?
「え、っと……クロロ……だよ、ね……? え⁉ 何⁉」
 戸惑う私をよそに、いきなり距離を詰めてきたクロロから名を呼ばれ強引に抱きしめられた。突然のことに驚き引き離そうともがくも、一向に腕の力は弱まらない。
 これは誰だ。ここはどこなんだ。一体私はどうなっている。何が起こったのだ。もう思考が膨張し破裂してしまいそうだった。
「あの……とりあえず離」
「なぜすぐに呼ばなかった」
「……え?」
「オレはずっと待っていたのに」
 先に抱きつこうとしたのは確かに己なのだが、決してこういう抱擁を望んでいたわけではない。話が全く見えないまま苦しさだけが増していき、背中を叩きながら必死に解放をアピールするもなぜか宙に浮いた身体が今もクロロの腕におさまっている。疑問を投げ掛ける隙すらなく、行き着く先はベッドの上だ。会話もなく、いきなりこれはない。
「ま、待って。いろいろ聞きたいことが……」
「ダメだ、我慢できない。先に抱く」
「ええ⁉」
 あまりにも直球な物言いに耳まで赤くなったのがわかった。私に覆い被さり、ここでようやく眼鏡を外したクロロと直に視線がぶつかる。どうにもわけがわからず抵抗を示すものの、勿論この男が納得してくれるはずもない。
 喘ぎと、名前のみで構成された獣じみたセックスは確かにクロロではあったけれど、その吐息は、眼差しは、抱き方は、未だかつて経験したこともないほどの極上の甘さを帯びていた。
「なあ頼む……ッもっとオレの名を呼んでくれ……」
「っ、クロ、ロ……?」
「もっとだ。もっと……頼むから……っ」
 こんな表情私は知らない。一体、あなたは誰だというのか。









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