From this day

□クロロの限界
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 仕事帰りに立ち寄った書店で偶々クロロを目撃した。既に会計を終え退出しようとするその後ろ姿に、一度手にした本を取り止め私は後を追う。紙袋二つにどっさりと、またしばらく家から出ない予定なのだなと少しだけ嬉しくなり愛しい愛しいその背を見つめ小走りで近付いた。呼び止めようと一拍置き、自然と笑みも浮かんだところでその背に掛かった声は、
「すみません……!」
 私のものでは、ない。
「す、すみません呼び止めてしまって……」
 あの時の女性店員だった。店を一歩出たところで固まり、咄嗟に近場の看板裏に隠れてしまった自分を叱咤する。なぜ私が遠慮しなければならないのだ、しかし今更出て行けるはずもない。
「あの、あたし……」
 この雰囲気には心当たりがあった。まさかと思い顔を覗かせれば、耳まで真っ赤に染め上げた女性が口元に手を当てながらチラリとクロロを上目でうかがっている。対して、クロロの横顔は清々しいくらいに無表情であることに一度安堵はするものの、私の胸につっかえるこの言いようのない苦しみは、おそらくこの後の展開を予想していたからなのだろう。
「ずっと……ずっと好きだったんです……。彼女がいるのは知ってます。でも、あの、ほんの少しでいいんです。あたしには可能性ありませんか……?」
 想像通り、いやそれ以上の告白を目の当たりにし崩れるようにしゃがみ込み膝に顔を埋めた。なんて女なのだろう。そこまでクロロが好きなのか。
 その男、意外と面倒くさいよ。プリンばっかり食べてるんだよ。片付けだってしてくれないし、絶対自分の我儘押し通すんだよ。でもね、私が呼べば読書を中断して応えてくれるし、誤解してしまいそうになるくらい優しい時だってある。人を殺していたって私は受け入れられるし、いつも隠してるその額に実は刺青があるなんて、あなた知らないでしょ? この世界の人じゃないんだよ。私が呼び寄せたんだよ。誰よりも愛しすぎてずっと、ずっとずっとずっと気が狂いそうなほど恋い焦がれた結果ようやく出逢えたんだから。あなたなんかと一緒にしないで。私の方が、もっとクロロのこと好きなんだから。やめてよ、クロロは……私のなんだから。
 とめどなく感情が逆流し、ついには嗚咽まで漏れ出した。こんなにもクロロの告白シーンがショックだなんて思わなかった。早く断ってクロロ。ねえ、一緒に帰ろう。
 この時はまだ当たり前のように信じていた。クロロの開口一番など、予想するまでもなかったはずなのに。
「随分な自信だが、本当にオレを満足させられるんだろうな」
 目の前が真っ暗になり呼吸が止まる。クロロは、今、何て。
「はい! あの、あたし……あと三十分で終わるんです。だから、あの……あの……」
「いいだろう、待っていてやる」
「本当ですか⁉」
 瞬時に華やかな笑顔を咲かせてみせる女性は、嬉しそうに頭を下げ店の裏口へと消えていった。そしてその姿を目で追っているだろうクロロの後頭部。反面、私の心はもう動いていない。
 クロロが女性の誘いに乗った。あのクロロが。あんなにあの店員を嫌がっていたのに。
「……っ」
 しゃくりあげながら泣いていた。もう立ち上がることすらできなかった。死んでしまいたくなったのに、それでも私はクロロといたかった。
 クロロは私のものじゃない。彼氏じゃない。恋人じゃない。時折見える好意はきっとからかわれていたのだ。
 ああ、クロロは今夜きっとあの女を抱くのだろう。あの指が、吐息が、私以外の女を撫でるのだ。もう、消えてなくなりたい。







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