From this day

□クロロの内側
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 偶然出くわした帰り道。すれ違う女性たちの大半はクロロを二度見しようと振り返る。間違っても彼女だとは思われないだろうが最早友人ですら申し訳なく、私は三メートルほど後方にて完全に他人のフリを決め込んでいた。今更などという言葉は知らない。
 そんな状況のなか当のクロロはというと、周囲の色濃い視線はおろかこちらの存在などまるで気にもとめずに自分のペースで歩みを進めている。今日も清々しいくらいに通常運転だ。そこに愛など何もない。
 気を抜けばすぐにでも遠ざかりそうになる背中を見つめ、少しだけ小走りで近付いたまさにその瞬間。突然耳をつんざく様な金属音が上空から聞こえ、通行人たちと同時に仰ぎ見た。工事現場の鉄骨がまるでスローモーションのように落下し、通りのその向こう側には気付いていない子どもが一人無邪気に遊んでいた。金切り声を上げる母親が伸ばした手は無情な鉄の塊を退かそうともがき苦しむ。その下には赤黒く飛び散った、元は人の形をした凄惨な肉片があった。
 周辺から続々と見物人が集まる中、思わず顔を背けてしまった私の前では興味すら示さないクロロが立ち止まることもせずに直進を続ける。きっと彼にとっては決して珍しくもない光景なのだろう。今でこそクロロという男の穏和な様子ばかりが目につくが、彼は元々盗み殺しを生業とする集団の頭である。本来ならばこのような平和な世界にいるはずのない人なのだから。
「……クロロなら……助けられたんじゃない……?」
 無意識下で口に出し、数秒遅れて咄嗟に手のひらで塞ぎ俯いた。私は何てことを言ってしまったのだろう。彼は正義の味方でもなんでもない。殺しすら日常であるクロロがなぜ見ず知らずの人間を助けなくてはならないのか。
 案の定、視界に映るクロロの革靴がピタリと止まり爪先がこちらに向けられる。怒られる前に謝罪をしようと唇を開きかけたとき、クロロは何を言うでもなく踵を返した。まるで何事もなかったかのように。
 謝るタイミングを逃し段々と開いていく距離に泣きたくなるも、横断歩道の一歩手前、スッとクロロの左手が上がり近付く私の歩行を阻んだ。
「え……? な、に……?」
 青信号なのに。みんな渡り始めているのに。訳もわからず立ち止まったままでいると、クロロは上げていたその手を今度は私の顔の前にかざす。正確には瞼の上に。するとそのすぐ後に聞こえた、けたたましいブレーキ音と腹にまで響く轟音。状況は周りの声が教えてくれた。どうやらダンプカーが交差点に侵入し横倒しになっているという。直ぐ間近で起こったこの惨劇に、一体どれだけの人間が巻き込まれているのか。
 クロロは察知していたのだ。そしてその光景を、きっと嘔吐してしまうようなその地獄の光景を、私に見せまいと守ってくれていた。
「オレは、お前さえ無事ならあとはどうでもいい」
 悲鳴もサイレンも一切聞こえなかった。肩越しに振り返ったクロロがあまりにも優しく笑うから。もうただただ嬉しくて、私は一体いつからこんな、こんな最低な人間に成り下がってしまったのだろうか。
 帰るために必要なだけ。クロロにとって私の存在価値など所詮その程度。わかっているのにクロロはいつも、こうして私に期待ばかりを持たせてくる。せめて無表情で言ってくれればよかったのに。そんな風に笑いかけてこなければ私だって。
「道を変えよう」
 袖口を掴んだ私をクロロは振り解きもしない。私だけが特別だなんて思うつもりもないけれど、それでも今のこの瞬間だけはクロロの唯一でいたかった。
「クロロ……好き……」
「知ってる」
「本当は……私のことどう思ってる……?」
 ぎゅっと強く握りすぎた袖口は、一度放られクロロからの温もりと繋がる。見下ろされた視線が楽し気で、クロロは顎に手を添えながら口角を上げた。
「そうだな、とりあえず」
 繋いだ手が掲げられ、
「こういうことは、お前以外としたことがない」
 嗚咽を漏らす私に少しだけ強まった手はどのような想いからなのか。
 人を人とも思わず、関係のない人間など平気で殺せる男の、その内側に身を置くという何よりもの喜び。それでもいつか死ぬならば、最期はクロロの手で逝きたいと泣きながら伝えた。
 クロロは、笑うだけで何も答えてはくれなかったけれど。






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