From this day

□クロロの買い出し
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「お嬢さん、お一人ですか?」
「っ……⁉」
 その瞬間、あまりにも強い衝撃で腰を抜かしそうになり、ガクンとその場にへたり込んだ。公衆の面前でこんなこと、耳を押さえ真っ赤になりながら振り返れば、事の張本人は手の甲で口元を覆いながら控えめに笑っていた。
「お前って、本当にオレが好きだよな」
「クロロ……」
「奇遇だな、おかえり」
 帰り道、今日はお目当ての新刊が発売する日だということもあり、いつも立ち寄る書店にてコミックスを物色していたときのことだ。突然予期せぬところから息を吹きかけられ、あんなふうに甘く囁かれれば私でなくとも世の女性は大抵ああなる。周りの視線が恥ずかしくて、当初買う予定だったものをさっさと手に取り一目散にレジへと向かおうとしたのだが、
「……何?」
「まあ、待てって」
 クロロに手首を取られ、見上げた表情は嬉々としていた。
「少し付き合えよ。お前が喜ぶものを見せてやるから」
「え?」
 クロロは私の顰められた表情など一切気にも止めず、徐に自身の左手を胸の位置まで掲げた。一体何なのだろうと焦点を合わせる私の目に飛び込んできたものは、俄には信じ難い光景。
「な、んで……?」
「泣くほど嬉しいか」
 薬指に指輪があった。頑なに拒否し、首元にしか鎮座することのなかった私たち二人を繋ぐべく大切な媒介。湧き上がる感情が涙となり流れ、クロロは私の左手も同じようにして並べた。
「どう見てもペアリングだよな」
「どう、して……?」
「この書店ではいつもこうしている。幸運だった、お前が今日立ち寄るとは」
「え……?」
 意味がわからず見上げていたままの私に、クロロは床に放置しておいたであろうカゴを持ち上げてみせる。今更その量には驚きもしないが、それが指輪と一体何の関係があるのだろうか。
「一緒に会計してくれないか?」
「……は?」
 お金ないの? 言いかけて止まる。そんなはずはない。そもそもクロロが所持しているケータイの使用料諸々は彼からいただいているのだ。そして、そのお金の出処など聞きたくもない。
 仮に、クロロに限ってまずないとは思いたいが、財布を忘れてきたというそういう残念な理由ならば致し方ないと思いはするものの、そこは彼のことだ、プリンばかり食べる横顔のせいで時折忘れてしまいそうになるが盗賊という立派な本業がある。
 ずっと口を開けたまま固まっている私に、クロロは肩をすくめながらようやく事の顛末を話し出した。要約すればこうだ。私に恋人のフリをしてくれと。
「……マジですか」
「マジです」
「どの人?」
 毎回毎回、万単位で購入していく男前。店員に顔を覚えられないわけがなかった。
 クロロは言う。中でも一際面倒な女がいるのだと。一度目の声掛けは当然無視をした。二度目には、念の為付け替えてみた左手の指輪をアピールしても徒労に終わる。そして三度目ともなると、ついに袋を渡される間際に手まで握られ咄嗟に手首を落とそうとしてしまった自分を諌めるのに彼は必死であったという。殺気を滲ませて尚、怯むどころか上目で見つめてくる始末。さすがに本日四度目は殺人衝動を抑え難く、ずっと困り果てていたところに私の来店。それであの喜びようかとようやく納得した。



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