From this day

□クロロと念の使い方
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 クロロが出掛けていて助かった。いや逆か。出掛けていなければ、こんなことにはならなかったのだ。
 所持していたはずのケータイはテーブルに放置され、私は仕方なくクロロが帰ってくるであろう道で待機し彼を捕まえた。食事でもしてきたのだろうか、手ぶらの男前は突っ立ったままの私を見るなり怪訝そうに眉を寄せている。
「何のトラブルだ」
「まだ何も言ってませんけど」
「いちいち待ち伏せるあたり、それくらい予想はつく」
 夕暮れ時。薄暗いとはいえ自宅までは百メートルもない。とりあえず人目のつかないところまでクロロと移動し、ぎゅっと目を閉じながら私は顔の前で両手を重ね合わせた。
「いいから早く言え」
「窓割った」
「何?」
 僅かに片目を開けて見上げた先のクロロは、幸い怒ってはいないようだった。しかし、まさかこのような事態になっていたとは露にも思わなかったのだろう。珍しく声も出さずにジッと私を見下ろしている。
「業者さんに頼み込んでこれから見積だけしてもらうの私もしばらくはリビングで寝るつもりだし悪いんだけどクロロは工事が終わるまで他所に泊まってもらっていい?」
 無言の間がこわすぎて、息継ぎもせず言いたいことを一気に言った。全ては、私の過ちである。
 クロロに迷惑をかけてしまうことは限りなく申し訳なさすぎて泣けてくるけれど、ここはもう嫌でもイエスと言ってもらう他に道はない。こうしている間にも、約束の時は刻一刻と近付いてくる。立ち会いをしなければならない私にとっては、ここでこれ以上時間を割いている余裕は一切ないのだ。
「入り用のものは今から持ってくるから。ね?」
 しかしクロロは一向に頷かない。真っ黒な瞳で私を見下ろし、その雰囲気があまりにも恐怖で私は一歩だけ後退した。
「お、怒ってます……よね?」
「他所に泊まれ? オレに他の女を引っ掛けろということか?」
「なんで⁉ ホテルじゃダメなの⁉」
 ようやく口を開いたかと思いきや、僅かに顔を歪めながら地の底を這うような声で脅された。なぜそのような結論になるのだ。金のないヒモ男じゃあるまいし、クロロなら宿くらいいくらだって探せるでしょうに。
「へえ、オレはてっきり追い出したいのかと」
「そんなはずないじゃん明日休みなのに!」
 いつもだったらクロロとまったり夜更かしして、気が向いたら触ってもらって、キスくらい期待していいような、そんな休日前の貴重なひとときがすぐ目の前にあるというのに。

 今日は久し振りの早上がりだった。なのに帰ったらクロロは外出中で、心底がっかりしたことを覚えている。だから暇だしと、真剣な顔で基礎訓練に取り組んでいたのだ。
 私も随分と念を扱えるようになり、ふとここで見直しがてらグリードアイランド編を読み返してみたのだ。ゴンのように私も拳にオーラを振り分けたらどれ位の威力になるのか。勿論こんな屋内で試すほど私も馬鹿ではない。ただちょっとできるかどうかだけやってみたかったのだ。
 その結果、流れる汗すら拭わず何十分もかけようやく成功したのが心底嬉しかった私は、完全に浮かれきったまま暑さをしのぐため窓を開けようとしたのだ。
 どうなってしまうかなど今では想像するに容易い事態。いくら少ない私のオーラとはいえ、脆いガラスなどひとたまりもない。窓枠ごと見事にぶっ飛び、全て粉々に四散した。まるで爆発音のようだと近所の人たちは慌てて出てくるし、説明は大変だったし、きっと業者さんにも怪しまれるし、家族には絶対怒られるし。今日だけで、一体何度の嘘と謝罪を繰り返すのだろう。想像しただけでげんなりする。
 クロロは一通り私の話を黙って聞くと、先程までの表情とは一変。口元に手の甲を添え笑い出した。
「含みがないことはよくわかった。お前、馬鹿だもんな」
「返す言葉もございません」
 機嫌が上昇し何よりではあるが少し笑いすぎではないのか。そりゃあクロロにしてみれば初歩中の初歩ではあるだろうけれど、こんな念の知識も何もないところで一人寂しく開花した私にしてみれば、少しでも知っている人たちと同じことをしてみたいと思ってしまうのは、決していけないことではないはずだ。ただ、その後の行動があまりにも浅はかであったというだけで。
 しかしどんなに後悔しても、やってしまったものは仕方がない。今の私にできることは、腹をくくること、ただこれだけだった。
「そういうわけだから今日はごめん」と踵を返す私の手首は、なぜかクロロによってがっしりと捕らえられ、振り返った先の視線はもう穏和に細められている。




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