From this day

□クロロの正装
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 その日はただいつも通りにクローゼットを開けただけなのに、なぜか一番最初にクロロのコートが目に付いた。端にある、クロロのスーツやら何やら少しだけ増えた愛しいその中で唯一クリーニングから仕上がったままでいるこの団長服は一際異彩を放っていた。背負う逆十字に触れ、ふといけない考えが脳裏を掠める。
「ねえ、クロロ。今日この家私しかいないんだ」
「へえ」
「珍しいね」
「そうだな」
「何やっても大丈夫だね」
「早く行けよ。時間だろ」
 振り返った先のクロロは今日も変わらず本を読んだままだけど、その手にある分厚い洋書は、あともう何時間かすれば読み終えるだろうことを私は知っていた。そして先日偶然目にした地元誌の特集記事にて、並んででも食べたいと評されたプリンを扱う洋菓子店が駅裏にオープンしたということも。
「……今日、買物してくるから帰り少し遅くなるかも」
「セックスしたいんじゃなかったのか」
「してくれるの?」
「そうだな……」
 ねだり方次第では。ここでようやく顔を上げたクロロは、言葉を詰まらせる私の様子など構うことなく徐に財布を取り出した。何をするのかと見ていればお札を一枚私に差し出し美しい笑顔で言う。
「サイズは間違えるなよ」
「……え?」
「ゴムのサイズだ」
「いや待って。私に買わせる気?」
「いい思い出になるな」
 残酷な台詞に思わず片眉が上がった。自分は感傷になど浸りもしないくせに敢えてこういう言い方で私の行動全般を操ろうとするのが最近のクロロだった。本当にこの男はずるい。けれど今回も飲み込むしかない。ちょうどドラッグストアに大事な用事があったから。思い出が欲しいのは事実だったから。
「いってきます」
 春だというのに桜を見る余裕すらないのは、誰よりも愛しいあなたをこの目に焼き付けることが最優先事項であったから。儚い出逢いであるところはこの花にとてもよく似ていた。
 ああ、もしも来年こうしてまた逢えるなら私は精一杯の我慢をしてみせるのに。

 *

「ただいまクロロ」
「なんだ、早かったな」
「急ぎましたから」
「へえ、セックスしたくて?」
 帰宅後のクロロは、やはりあの洋書を読み終えた後だった。すぐに別の本へと手を出すことはせずに放置されていた雑誌を適当に眺めている。思った通りで、つい口元が緩むのも止められない。
 荷物を下ろす私の横顔に痛いくらいクロロの視線が突き刺さり、気付かないふりをして部屋着に着替える私の腰をクロロの逞しい腕が引き寄せた。下着同然の時だ。狙ってやっている。
「どうせ脱ぐだろ。このままでいろよ」
「ま、待って、ほら、その前に」
 耳に息が掛かり本来の目的を忘れてしまいそうになる。それでは駄目だと自分を叱咤し鞄の陰に隠しておいた小さな箱を取り出した。金色のシールを外し、そっと開封しながらクロロの方に傾ける。
「お土産」
「よくやった」
 お一人様二個限定ではあったが十分喜んでいただけたようで本当によかった。早速備え付けのスプーンで食べ始めたクロロがなんとも可愛らしい。この機嫌ならば私のお願いきいてくれるだろうか。
「よく買えたな」
「知ってたの?」
「まあ、プリンのことは大抵。だがさすがに躊躇していた」
「どうして?」
 並んだだろ? 悪いと思って。そう話し出すクロロは今までの行いを全て忘れてしまっているのだろうか。行列くらいなんだ。吹雪の中プリンを買いに行かされたことは決していい思い出なんかじゃないよクロロ。言えない、けど。
「おいしい?」
「ああ、うまいな」
 食べてる間に部屋着を着用し、ここからが本番だ。避妊具と共に買ってきた水性の無香整髪料とコーム取り出し心の中で祈りを捧げる。食べ終わったところを見計らい、スッとクロロの前に置いた。
「……なんだ」
「お願いがあるんだけど」
 ついでに鏡も持ってきて、できる限りの笑顔で言う。
「団長姿のクロロに、抱いてほしいの」
 僅かだが開かれる漆黒の瞳。テーブルの上を一瞥し、その視線は再度私を捉える。何を言うわけでもなくじっと探るように見つめられたので、更に頑張って笑みを深めた。
「お願いクロロ」
「理由は何だ」
「え?」
「オレにそうさせる理由だ」
 立てられた膝に片肘をついたまま表情を変えずにクロロは問う。これは怒っていると、そう、捉えて正解なのだろうか。相手はクロロだ、判別が非常に難しいところではあるが今更なかったことにはできやしない。


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